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act27. 榎原紘花のなにげないありふれた一日
しおりを挟む朝。午前八時四十五分には自席につく。
隣の席にはイケメン上司が座っていて、顔も見ずに「おはよう」と挨拶を返してくれる。
それだけで彼女はたまらなく幸せだ。
彼の「おはよう」を毎朝聞ける権利を欲しいとすら思う。彼は。
顔だけでなく声も良いのだ。
耳に心地よく響く低音ヴォイス。聞けば一瞬で虜にされる。
なお、彼の初対面の印象は最悪だったが、その顔と声の良さへの評価を覆すものでは無い。
彼女の仕事は彼の仕事のサポートなので、会話をするチャンスは多々ある。出来ることならば、と、彼女は仕事中にも彼の内側に踏み込める機会を伺っているのだが、その瞬間は決して訪れない。
だがその緊迫感こそが彼への執着心そして愛情を加速させている。
正午にはランチ。いつも、一つ年下の道林ミカと昼食を摂る。
なお、彼のほうはひとりで手早く摂るか、部内の男性社員と摂るかだ。昼食のパートナーは不特定。決まったルーティンを作らない。
新入社員を誘ったりするのは、彼らの様子を気にしているから。一見すると人間に対して無関心な男のようであって、存外情の深いところがあるのだと思う。
それは、彼女がこれまで何度となくピンチを救われた場面や、様々なプライベートのことに協力してくれた場面を経験しているから、知っている。
午後の仕事中も一言二言程度会話をする。つまらない、会議室予約の仕事も蒔田にさえ頼まれればものすごく嬉しいことに変化をする。
彼の役に立てるのが、嬉しいのだ。
彼に尽くすことが職務でもあるし役得でもある。彼が隣に居るならどんなことでも楽しめる。これからの人生を、彼と一緒に過ごせたらどんなに幸せだろう。
その夢想は、ビジネスに1ミリも私情を割りこませない、彼のドライな態度に時として破られるのだが。
ともあれ、幸せな気分を持続したままに定時ジャストで彼女の業務は終了する。残業をしないよう言われているのだ。彼の命令には逆らえない。
従って、業務終了後に彼にかける言葉は常に「お先に失礼します」だ。
「ああ。お疲れ」
その一言を胸に、温かい気持ちを維持したままに彼女は退社する。
帰りの道中もその言葉を語感を脳内でエンドレスリピートする。病的だと思うが、ここちいいのだから止められない。
いまの仕事が天職とすら思う。
そして神様、平穏無事な明日がまたやって来ますように。
土日がハイスピードで過ぎて、素早く月曜日がやって来ますように、と。
土日は、蒔田に会えないから嬉しくない。それでも。
彼無しで過ごせない、味気のない女になりたくないから、土日の自由な時間をなるだけ楽しんで過ごしている。テレビ観るとか掃除するとか。
彼のために家事をできるならどんなに幸せだろう。
そんな想像もちょっとしてみる。異常なほどに、蒔田に執着している。
病気かもしれないとも思う。
それでも。紘花の気持ちを、さしあたって、ものすごく嫌がる様子が見られないから、淡い薄い希望を彼女は抱き続けている。
いつか、あたしを見てくれるのではないかと。
ただの部下ではない、ひとりの人間として、と。
希望があるから、今日を楽しく過ごせる。今日を行きていける。眠るときは、いつも、蒔田の顔が自然と浮かんでくる。
『期待するな』
『きみのことは部下としか見ていない』
現実に言われた台詞の希望のなさに涙が出そうなときもあるけど、
『サンキュ』
『助かる。気が利くな』
笑顔とは言わないまでも。ちょっと微笑んだくらいの表情なら、仕事中見せてくれるようになった。彼女の頑張りが評価されたかたちだ。
(明日、また蒔田さんに会える……)
新たな希望を励みに、彼女は布団にもぐりながら、明日を夢見るのだった。
*
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