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face the truth(2)
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「狭いところやけどどうぞ。ゆっくりしていってま」
プレハブの小屋が立ち並ぶうちのひとつに案内される。母は……ここは、恋生が纏う空気とは別の世界。家を土地を家族を奪われ、それでも懸命に生きようと決めたひとたちの過ごす部屋。足を踏み入れるのに勇気を伴ったが、ドアを開いてくれる母に従い、先に靴を脱ぎ、部屋に入る。
「ただいま……」
ここは、あまりに、神宮寺恋生の宅とは違った。
プレハブの住宅は冬は寒さの厳しい能登ではきついに違いない。これからやってくる冬を父は母はどう乗り切るのか。壁に板が貼られているあたりあたたかみを感じさせたが、ここは、かつて私が生まれ過ごした実家とはまるで違い、どこかの事業所にやってきたかのようだった。
家具も、こたつも、ポットも全部……見たことがないものだった。
手頃なものに違いない。恋生の家に慣れ切った私にとっては衝撃の光景だった。恋生が、この家を見たらなんと言うだろう。
いいや。あなたのことをそんなふうに見下したくはない。受け入れてくれると信じている。
入ってすぐのところに簡素なキッチンダイニングがあり、奥に部屋があるようだった。父はごろ寝をしている様相。眉間に皺が寄る。
バッグを置いて手を洗い、先ずはお仏壇にご挨拶をする。――ただいま。お久しぶりです。四年ぶりになりますかね。家は被災して更地になりましたが、お仏壇がご無事でよかったです。
ご先祖様への挨拶を済ませ、床に寝転がったままの父に声をかける。「お父さん。ただいま」
「ああ花かぁ……久しぶりやのーう」
父は、転がったまま、動かない。こういうところが大嫌いなのだ。
そもそも母がこんな父と結婚しなければ、私はこんな呪わしい運命と向き合わずに済んだのに。もっともっと、自分が自由で気楽でいられたはずなのに。この父がいつも、私の大事な夢や希望をぶち壊す。
寝転がったまま酒瓶に手を伸ばしそのまま口をつけようとする父を直視するのに我慢がならず、場所をダイニングへと移す。母は、困ったように突っ立ったままで、私の反応を見守っているようだった。
「ほんなら、お茶でも入れようかね」
台所で母がお茶の用意をするので、私はダイニングの上座の席に座る。こうして、台所に向かう母の後ろ姿を見るのは随分久しぶりで。いつも台所に立つのは母で。父は飲んだくれでうんざりしていた。
学校帰りにうちの父がふらついていることは周知の事実で、翌日クラスメイトの噂話でそれを知るのだ。もう、うんざりだった。
こんな父となんか別れてくれればいいのに。
でも父は、こんな体たらくを晒す一方で文筆家でもあり、時々出版社のかたがやってくる。菓子折りを持って。
父が、賞を受賞したのは私が生まれる前のことだった。地元のみんなは勿論知っている。
受賞作「能登逃亡」は、能登を舞台にしたスリリングなサスペンス要素を盛り込んだミステリー小説で、かつて畑中にまで通じていたのと鉄道も千枚田もやせの断崖も登場する。読み応えのある小説だ。
華々しい賞を受賞した父の誇らしげな写真を見たことがある。あのアルバムはどうしたのだろう。
既に実家は更地となってしまった。果たしてどれだけの家財を持ち出せたのか。見る限り中古品を集めたようだった。
地元での仕事を失い、土地を失った父と母が、どれほどの苦労をしたのか。この簡素な室内がそれを証明している。
「花ちゃん。元気そうでよかったわ。これ、畑中で買うてきた落雁やさけ、よかったらどうぞ」
「ありがとう」
「花ちゃん。あんなぁ……」見れば母は涙ぐみ、「あんな地震があったさけ、もう、お母さん、花と二度と会えんようになるかもしれんて思ったんよ。ほんに、花が無事でなによりやわ」
震災の爪痕がまざまざと残る能登。既に三千人以上の人間が能登を離れたというのに、いまだ、父と母は能登で暮らしている。
震災後一時的に父と母は畑中へと住んだ。被災者向けの恵まれたホテル住まいを辞めて、わざわざ能登に帰ることを選んだ。それも、こんな海の傍の仮設住宅で……。
なにに対して怒りを感じているのかは、きっと、話しても伝わらない。
私も、この感情をどうしたらいいのか分からない。
ひとまずは、昔話だ。「あのね。お母さん。今回私が帰省したのは、私が小さかった頃の話を詳しく聞きたいと思ったからなの。特に、小学校高学年の頃。海野小島の合宿に行ったり、東北で震災を経験したりと……色々あったでしょう? 私自身思い出せていない記憶があるから、当時のことを知るお母さんから、顔を見てちゃんと話を聞きたかったの」
「そうなんね。合宿……なら二年連続で行っておったやろ。写真なら全部送ってんけども」
「一年目にある子たちと会ったの。溺れている子を助けたとかそういう話ってお母さん覚えていない?」
「ああ……なんかあったねえ。花が溺れている子を助けたって、合宿を取りまとめておるかたから、電話があったわ。お父さんなんてそれ聞いて、そんな危ない合宿なんか行って花が大丈夫なんか、って心配してもうて、一晩中寝られんかってんよ」
そうなのか。「その後、合宿で会った子と特に交流する様子はなかったんだよね?」
「手紙も来ておらんかったし……ああ手紙ね。そや。なんか、聞いたことない子からの手紙あって、それ、どうなんか分からんでいったん取っておいたんよ。花に直接見したほうがええやろって思うて」
母が別室から持ってきた手紙の差し出し主を見て、鳥肌が立った。
「五尻禅雨」――そう。そこに、あなたからの手紙があった。
プレハブの小屋が立ち並ぶうちのひとつに案内される。母は……ここは、恋生が纏う空気とは別の世界。家を土地を家族を奪われ、それでも懸命に生きようと決めたひとたちの過ごす部屋。足を踏み入れるのに勇気を伴ったが、ドアを開いてくれる母に従い、先に靴を脱ぎ、部屋に入る。
「ただいま……」
ここは、あまりに、神宮寺恋生の宅とは違った。
プレハブの住宅は冬は寒さの厳しい能登ではきついに違いない。これからやってくる冬を父は母はどう乗り切るのか。壁に板が貼られているあたりあたたかみを感じさせたが、ここは、かつて私が生まれ過ごした実家とはまるで違い、どこかの事業所にやってきたかのようだった。
家具も、こたつも、ポットも全部……見たことがないものだった。
手頃なものに違いない。恋生の家に慣れ切った私にとっては衝撃の光景だった。恋生が、この家を見たらなんと言うだろう。
いいや。あなたのことをそんなふうに見下したくはない。受け入れてくれると信じている。
入ってすぐのところに簡素なキッチンダイニングがあり、奥に部屋があるようだった。父はごろ寝をしている様相。眉間に皺が寄る。
バッグを置いて手を洗い、先ずはお仏壇にご挨拶をする。――ただいま。お久しぶりです。四年ぶりになりますかね。家は被災して更地になりましたが、お仏壇がご無事でよかったです。
ご先祖様への挨拶を済ませ、床に寝転がったままの父に声をかける。「お父さん。ただいま」
「ああ花かぁ……久しぶりやのーう」
父は、転がったまま、動かない。こういうところが大嫌いなのだ。
そもそも母がこんな父と結婚しなければ、私はこんな呪わしい運命と向き合わずに済んだのに。もっともっと、自分が自由で気楽でいられたはずなのに。この父がいつも、私の大事な夢や希望をぶち壊す。
寝転がったまま酒瓶に手を伸ばしそのまま口をつけようとする父を直視するのに我慢がならず、場所をダイニングへと移す。母は、困ったように突っ立ったままで、私の反応を見守っているようだった。
「ほんなら、お茶でも入れようかね」
台所で母がお茶の用意をするので、私はダイニングの上座の席に座る。こうして、台所に向かう母の後ろ姿を見るのは随分久しぶりで。いつも台所に立つのは母で。父は飲んだくれでうんざりしていた。
学校帰りにうちの父がふらついていることは周知の事実で、翌日クラスメイトの噂話でそれを知るのだ。もう、うんざりだった。
こんな父となんか別れてくれればいいのに。
でも父は、こんな体たらくを晒す一方で文筆家でもあり、時々出版社のかたがやってくる。菓子折りを持って。
父が、賞を受賞したのは私が生まれる前のことだった。地元のみんなは勿論知っている。
受賞作「能登逃亡」は、能登を舞台にしたスリリングなサスペンス要素を盛り込んだミステリー小説で、かつて畑中にまで通じていたのと鉄道も千枚田もやせの断崖も登場する。読み応えのある小説だ。
華々しい賞を受賞した父の誇らしげな写真を見たことがある。あのアルバムはどうしたのだろう。
既に実家は更地となってしまった。果たしてどれだけの家財を持ち出せたのか。見る限り中古品を集めたようだった。
地元での仕事を失い、土地を失った父と母が、どれほどの苦労をしたのか。この簡素な室内がそれを証明している。
「花ちゃん。元気そうでよかったわ。これ、畑中で買うてきた落雁やさけ、よかったらどうぞ」
「ありがとう」
「花ちゃん。あんなぁ……」見れば母は涙ぐみ、「あんな地震があったさけ、もう、お母さん、花と二度と会えんようになるかもしれんて思ったんよ。ほんに、花が無事でなによりやわ」
震災の爪痕がまざまざと残る能登。既に三千人以上の人間が能登を離れたというのに、いまだ、父と母は能登で暮らしている。
震災後一時的に父と母は畑中へと住んだ。被災者向けの恵まれたホテル住まいを辞めて、わざわざ能登に帰ることを選んだ。それも、こんな海の傍の仮設住宅で……。
なにに対して怒りを感じているのかは、きっと、話しても伝わらない。
私も、この感情をどうしたらいいのか分からない。
ひとまずは、昔話だ。「あのね。お母さん。今回私が帰省したのは、私が小さかった頃の話を詳しく聞きたいと思ったからなの。特に、小学校高学年の頃。海野小島の合宿に行ったり、東北で震災を経験したりと……色々あったでしょう? 私自身思い出せていない記憶があるから、当時のことを知るお母さんから、顔を見てちゃんと話を聞きたかったの」
「そうなんね。合宿……なら二年連続で行っておったやろ。写真なら全部送ってんけども」
「一年目にある子たちと会ったの。溺れている子を助けたとかそういう話ってお母さん覚えていない?」
「ああ……なんかあったねえ。花が溺れている子を助けたって、合宿を取りまとめておるかたから、電話があったわ。お父さんなんてそれ聞いて、そんな危ない合宿なんか行って花が大丈夫なんか、って心配してもうて、一晩中寝られんかってんよ」
そうなのか。「その後、合宿で会った子と特に交流する様子はなかったんだよね?」
「手紙も来ておらんかったし……ああ手紙ね。そや。なんか、聞いたことない子からの手紙あって、それ、どうなんか分からんでいったん取っておいたんよ。花に直接見したほうがええやろって思うて」
母が別室から持ってきた手紙の差し出し主を見て、鳥肌が立った。
「五尻禅雨」――そう。そこに、あなたからの手紙があった。
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