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第2話
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ヒロイン・薫視点
おっさん、ちょっとだけ悶えます。
********************************************
第2話
伊達が出勤した後、薫はリネン庫から新しいシーツを取り出し寝室へ向かう。
ドアを開けるとそこは情事の後を色濃く残した匂いが充満していた。
薫は眉を顰め、すぐに窓を開け空気を入れ替える。
そうでもしなければ昨夜の己の痴態を思い出してしまうから…。
外の空気を目一杯吸い込み、吐き出す。
顔を上げ、ベットのシーツに手をかけ剥ぎ取る。
そのシーツには互いの汗と体液が染みついていた。
昨夜は初めて騎乗位という体勢で交わった。
それまで伊達にされるがまま快楽を植え付けられてきた薫にとって戸惑うことばかりだった。
結局、伊達に翻弄され快楽を求める言葉を口にしていた。
今思い返すと羞恥で消えてなくなりたい気持ちでいっぱいだった。
(これ以上考えるのはよそう。)
薫は頭を振り、昨夜の痴態を振り払う。
剥ぎ取ったシーツを洗濯かごに放り込み、新しいシーツをベッドに敷くと、寝室を後にする。
剥ぎ取ったシーツは即座に洗濯機に入れた。
今はただ昨夜の痴態を忘れたかったから。
ドラム式のそれはすべての工程が終わるころには跡形もなく元の綺麗なシーツへと変わっているだろう。
そのことに薫はホッと息をつく。
だが、そこではたと思い出す。
洗濯機のあるここが脱衣所で、その先に見える擦りガラスのドアの先がバスルームであることを…。
否応なく思い出されるのは今朝行われた情事。
そして、再び伊達に陰毛を剃られたことだった。
薫は再び羞恥に悶える。
自分で自分の体を強く抱きしる。
深いため息とともにその場を離れた。
リビングに戻った薫はソファに体を沈める。
そうして、今の自分の状況を思い返す。
だが、ため息しか出なかった。
気づけば、自然と下腹部に手をやっている。
既にそこには伊達との新しい命が宿っているかもしれないから…。
(なんでこんなことになったんだろう…。)
薫は置いてあったクッションを抱きしめ、目を瞑る。
伊達と関係を持つことになった理由を思い返していた。
そもそも、伊達に初めて会ったのは5年前のオープンキャンパスの日。
右も左もわからぬ土地で薫は迷子になってしまった。
そんな自分に救いの手を差し伸べてくれたのが伊達だった。
大柄で筋肉質な伊達は一見すると近寄りがたい。
だが、照れたような彼の笑顔は人懐っこくて好感が持てた。
薫はその笑顔に一瞬で心を奪われる。
生まれて初めて家族以外の男性を意識した瞬間だった。
だが、その時はただの偶然で薫にとってはただの憧れ、そう思っていた。
あの合格発表の日までは…。
合格発表の日、薫はまたしても校内で迷子になる。
そこで再び伊達の姿を見つけた。
薫は思わず声を掛ける。
一瞬の後悔があったが、伊達はまたあの笑顔を浮かべ、受験結果を張り出している掲示板へと案内してくれた。
薫は自分の受験番号を見付け歓喜する。
振り返ると、伊達はいなかった。
既にその場を離れたことを知り、薫は慌てて探し始める。
大柄な彼を見つけるのはさほど難しくはなかった。
薫は伊達に礼を言う。
ここで初めて伊達の名と自分が籍を置く史学部の准教授だということを知る。
お互い口にはしなかったが、三度目の再会があるかもしれないことに歓喜した。
その2か月後、薫は三度伊達と再会することとなる。
流石にここまでくると薫は伊達に運命を感じる。
だから、迷わず彼のゼミに入った。
聞けば、昨年准教授になったばかりで自分たちが初めての教え子だという。
そのことで薫は浮足立だった。
ゼミの仲間も気さくで付き合いやすく、それまで薫の周りにいなかったタイプの人間ばかりで新鮮だった。
薫にとって新しい世界が開けた瞬間だった。
実は薫が今の大学に進学することにしたのは母・百合子の存在が大きく関わっている。
薫は何事にも口を挟み世話を焼きたがる母が嫌いだった。
母のその行為はその生い立ちが関係していた。
母はやりたいことをさせてもらえず、祖父母にその道を歪められ父・猛と結婚させられたらしい。
そのせいか、薫に対して自分を投影している節があった。
母がやりたかったことをすべて薫に押し付けたのだ。
幼い頃はそれに一切疑問を抱かなかったが、中学に上がり思春期を迎えると薫は母のその行為を疎ましく思うようになる。
だが、母はお構いなしに強要し、気づけば高校は母の望む女子高へと進学させられた。
それでも薫は口答えすることなく望まれるままの生活を送った。
だが、やがてそこに軋轢が生まれ、薫の心は耐えかね決壊した。
決壊した心は破壊行動へ舵を切り、手当たり次第壊していく。
それまであった家族や友人との温かい思い出すら薫の破壊対象となった。
それを止めたのは父と弟・雅人だった。
父は母に対し、これ以上干渉するようなら離婚も辞さないと宣言した。
弟も母から姉を守るように立ち振る舞い始める。
そうなって初めて自分の異常さに気付いた母だったが、時既に遅く薫から一定の距離を置くという選択肢しか残っていなかった。
薫は父の計らいで叔父夫婦に預けられ、転校することになった。
叔父夫婦には子がなかったため、薫のことを暖かく迎え入れてくれた。
そのことで母の呪縛から解き放たれた薫は徐々に心を取り戻す。
それでも完全ではなく、時折言いようのない恐怖に心を真っ黒に染められる。
それを危惧した弟は他県の大学への進学を勧めた。
父もその方がいいだろうと一人暮らしに理解を示してくれた。
そうして受験し、合格したのが今の大学だった。
薫が手にした新しい世界は年相応の生活をくれた。
親しくなった友人と恋バナを咲かせたり、レポートに頭を抱えファミレスや図書館でともに勉強したり。
そうやって薫は生まれ変わっていった。
それでも唯一できなかったものがある。
それは『恋人』と呼べる異性。
それだけはどうしても作れなかった。
何故なら、あの日見てしまった伊達の行為が忘れられなかったから…。
「はぁ、何であの日に限ってあんなの見ちゃったんだろ…。」
薫はそこで過去から現在へと意識を戻す。
ちょうど洗濯機が工程の終了を告げるブザーが鳴った。
ソファを立ち、脱衣所へ向かう。
洗濯機の中からシーツを取り出したたみ始める。
何気に目に入った脱衣かご。
そこには伊達が脱いだシャツがあった。
手に取るとそこにはほのかに残る伊達の匂い。
その匂いを嗅いだ薫にあの日の記憶が蘇る。
それは三年前の夏休みのこと。
薫は閑散とした校内を歩いていた。
目的は伊達の研究室。
前日の残りを詰めた弁当を渡すためだ。
前期試験が始まったあたりから伊達の容姿が一変し始めた。
よれよれのシャツにネクタイ。
髪はぼさぼさで、無精髭だらけ。
余りの変わりように薫は恐る恐る訊ねると、学会で発表する論文の執筆で連日研究室に泊まり込んでいるからだと話してくれた。
よく見ると、研究室のごみ箱にはコンビニ弁当の空や菓子パン・サンドイッチの空袋が山のように放り込まれている。
これではいいものは書けない。
そう思うが薫に手伝えることはない。
「そう言えば、結城は一人暮らしだっけ?」
「は、はい。」
「じゃ、自炊してるのか?」
「一応してます。
父からバイトは禁止されてて…。
仕送りしてもらってる生活費のだけで遣り繰りしないといけませんから。」
「そうか、だったら一つ頼んでいいかな?」
「何ですか?」
「弁当作って。
勿論俺の分の材料費は出すよ。」
伊達はそう言って財布ごと渡してきた。
薫は戸惑うが、あの笑顔を向けられては断り切れない。
そうして、伊達のために弁当を作る日々が始まった。
その日も同じ時間に研究室を訪れた薫だったが、いつもと違う雰囲気に入室を躊躇う。
逡巡しているうちに聞こえてきたのは伊達の荒い息遣いだった。
(え? 何? 中で何が…。)
薫はドアノブに手をかけ、そっと扉を開ける。
そこで目にしたのつい先日貸したハンカチを嗅ぎながら、自慰行為にふける伊達の姿だった。
「結城…、結城…。」
伊達はうわ言のように薫の名を呼んでいる。
それでわかってしまった。
誰を思って自慰行為にふけっているのかということを…。
薫の心臓は早鐘を打つ。
見てはいけない、見てはいけないと頭ではわかるが目を逸らすことができない。
やがて伊達は達し、逸物を扱いていた右手が自ら吐き出した白濁で汚れる。
薫は堪らなくなり、足音をたてないようにその場を一旦離れた。
そうして、トイレの個室に駆け込んだ薫はそこに座り深呼吸をする。
目を瞑ると先程の光景が思い出された。
自分との行為を妄想し、自慰行為にふける伊達。
その姿を思い出すだけで下腹部がキュンとなり、奥から蜜が溢れてきた。
薫はショーツの中に指を這わせる。
(やだ、濡れてる…。)
そこはしとどに濡れており薫の指を簡単に受け入れるほどだった。
薫は恐る恐る指を奥へと入れていく。
「んっ…。」
電流が背筋を這い上がる感覚に襲われ、思わず仰け反る。
気づけば伊達の姿を思い浮かべ、自慰行為にふけっていた。
そうしてこの日、薫は初めて自慰行為で達した。
伊達のことを思い浮かべながらするそれは甘美でどうしようもない快感を与えてくれたのだった。
後始末を終えてから薫は再び研究室へ向かう。
ドアをノックし開けるとすでに伊達も後始末を終えたようでいつもの様子に戻っていた。
「お弁当、ここに置いときますね。」
「ああ、ありがとう。」
「あ、あの…。」
「うん?」
「えっと、その…。」
「結城?」
「あ、明日は何がいいですか?」
「そうだなぁ、子供っぽかもしれんがハンバーグ。」
「わかりました。
じゃあ、明日は煮込みハンバーグにしましょうか?」
「お、それは楽しみだ。」
何気ない会話に普段通りの伊達の姿を見、安堵する薫。
(よかった…。 いつもの先生だ。)
だが、次の日も伊達の自慰行為を見てしまう。
その日は研究室の奥にある資料室に薫が入ったのを確認してから伊達は行為を始めた。
薫は驚き混乱する。
扉の向こうから聞こえるのはやはり自分のことを思いながら行為にふける伊達の喘ぎ声。
薫は顔を背けることも、耳を塞ぐこともできず、その行為を凝視し続けた。
それは連日続けられ、やがて薫はその行為を見ながら、自身も自慰にふけるようになる。
夏休みのため、校内は薄暗く、静まり返っている。
そのことが二人の倒錯的なこの行為を助長させていた。
伊達は薫も自慰行為に及んでいることに気付いたが、決して手を出すことはなかった。
ただ、互いの痴態を妄想し、扉を挟んで自慰行為にふける。
二人の興奮を掻きたてるには十分だった。
その行為は夏休みが終わっても続けられる。
いつの間にかできた暗黙のルール。
土曜の昼下がり、研究室と資料室の扉一枚を隔てての自慰行為。
二人のこの行為はこの夏休みに入る前まで続けられた。
だから、薫は『恋人』を作ることができなかった。
その行為が互いを意識してのものだったことが一番の理由。
だが、そのことに後悔はない。
初めて会った時から伊達に心を奪われていたから。
だが、薫は決して伊達の心に踏み込むことはしなかった。
年齢差を考えれば自分などが恋愛対象になりえるはずない。
薫はそう思っていた。
だから、いつか諦めざるを得なくなる日が来ることを予見して線引きをしていた。
まさか、その一線を伊達の方が越えてくるとは思いもよらなかったが。
そこで薫は再び現実へと意識を引き戻す。
手にした伊達のシャツを脱衣かごに戻し、シーツを片付ける為にリネン庫に向う。
再びリビングに戻るとやはりため息しか出なかった。
思うのは伊達が関係を持った初日に口にした提案。
「俺のところに永久就職しないか?」
それは友人・里佳子がだけが知っているはずの秘密。
前期試験の直前にいつものファミレスで勉強していた時に二人で冗談めかして話していたこと。
何故、伊達はそれを知っていたのだろう。
薫はそのことを未だ聞けずにいた。
(今夜こそ詳細を確認しよう)
薫はそう決意する。
すると、急激に睡魔が襲ってきた。
(嘘…。 昨日はあの後ぐっすり寝たはずなのに…。)
薫はそこでバスルームでの情事を思い出す。
あれは思いの外体力を奪っていたようだ。
(それもそっか…。 結局三回も出されちゃったんだもんね。)
こんな時、伊達の体力を恨めしく思う。
自分はこれほどまでに疲弊しているのに伊達は平然としていた。
本来なら、射精と言う行為はかなりの体力を要するはずだ。
それなのに伊達は元気よく出勤していった。
薫の体は重くなる一方で、寝室に戻るのも億劫になる。
考えても仕方ないのでそのままソファに横になる。
クッションを枕代わりにし、タオルケットを掛けると瞼が重くなってきた。
薫はそれに贖うわず、深淵の如きまどろみの海へと漕ぎ出す。
目覚めた時に待っているのは安らぎか、伊達との逢瀬か。
その時の薫には及びもしなかった。
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次でおっさん悶えます。
おっさん、ちょっとだけ悶えます。
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第2話
伊達が出勤した後、薫はリネン庫から新しいシーツを取り出し寝室へ向かう。
ドアを開けるとそこは情事の後を色濃く残した匂いが充満していた。
薫は眉を顰め、すぐに窓を開け空気を入れ替える。
そうでもしなければ昨夜の己の痴態を思い出してしまうから…。
外の空気を目一杯吸い込み、吐き出す。
顔を上げ、ベットのシーツに手をかけ剥ぎ取る。
そのシーツには互いの汗と体液が染みついていた。
昨夜は初めて騎乗位という体勢で交わった。
それまで伊達にされるがまま快楽を植え付けられてきた薫にとって戸惑うことばかりだった。
結局、伊達に翻弄され快楽を求める言葉を口にしていた。
今思い返すと羞恥で消えてなくなりたい気持ちでいっぱいだった。
(これ以上考えるのはよそう。)
薫は頭を振り、昨夜の痴態を振り払う。
剥ぎ取ったシーツを洗濯かごに放り込み、新しいシーツをベッドに敷くと、寝室を後にする。
剥ぎ取ったシーツは即座に洗濯機に入れた。
今はただ昨夜の痴態を忘れたかったから。
ドラム式のそれはすべての工程が終わるころには跡形もなく元の綺麗なシーツへと変わっているだろう。
そのことに薫はホッと息をつく。
だが、そこではたと思い出す。
洗濯機のあるここが脱衣所で、その先に見える擦りガラスのドアの先がバスルームであることを…。
否応なく思い出されるのは今朝行われた情事。
そして、再び伊達に陰毛を剃られたことだった。
薫は再び羞恥に悶える。
自分で自分の体を強く抱きしる。
深いため息とともにその場を離れた。
リビングに戻った薫はソファに体を沈める。
そうして、今の自分の状況を思い返す。
だが、ため息しか出なかった。
気づけば、自然と下腹部に手をやっている。
既にそこには伊達との新しい命が宿っているかもしれないから…。
(なんでこんなことになったんだろう…。)
薫は置いてあったクッションを抱きしめ、目を瞑る。
伊達と関係を持つことになった理由を思い返していた。
そもそも、伊達に初めて会ったのは5年前のオープンキャンパスの日。
右も左もわからぬ土地で薫は迷子になってしまった。
そんな自分に救いの手を差し伸べてくれたのが伊達だった。
大柄で筋肉質な伊達は一見すると近寄りがたい。
だが、照れたような彼の笑顔は人懐っこくて好感が持てた。
薫はその笑顔に一瞬で心を奪われる。
生まれて初めて家族以外の男性を意識した瞬間だった。
だが、その時はただの偶然で薫にとってはただの憧れ、そう思っていた。
あの合格発表の日までは…。
合格発表の日、薫はまたしても校内で迷子になる。
そこで再び伊達の姿を見つけた。
薫は思わず声を掛ける。
一瞬の後悔があったが、伊達はまたあの笑顔を浮かべ、受験結果を張り出している掲示板へと案内してくれた。
薫は自分の受験番号を見付け歓喜する。
振り返ると、伊達はいなかった。
既にその場を離れたことを知り、薫は慌てて探し始める。
大柄な彼を見つけるのはさほど難しくはなかった。
薫は伊達に礼を言う。
ここで初めて伊達の名と自分が籍を置く史学部の准教授だということを知る。
お互い口にはしなかったが、三度目の再会があるかもしれないことに歓喜した。
その2か月後、薫は三度伊達と再会することとなる。
流石にここまでくると薫は伊達に運命を感じる。
だから、迷わず彼のゼミに入った。
聞けば、昨年准教授になったばかりで自分たちが初めての教え子だという。
そのことで薫は浮足立だった。
ゼミの仲間も気さくで付き合いやすく、それまで薫の周りにいなかったタイプの人間ばかりで新鮮だった。
薫にとって新しい世界が開けた瞬間だった。
実は薫が今の大学に進学することにしたのは母・百合子の存在が大きく関わっている。
薫は何事にも口を挟み世話を焼きたがる母が嫌いだった。
母のその行為はその生い立ちが関係していた。
母はやりたいことをさせてもらえず、祖父母にその道を歪められ父・猛と結婚させられたらしい。
そのせいか、薫に対して自分を投影している節があった。
母がやりたかったことをすべて薫に押し付けたのだ。
幼い頃はそれに一切疑問を抱かなかったが、中学に上がり思春期を迎えると薫は母のその行為を疎ましく思うようになる。
だが、母はお構いなしに強要し、気づけば高校は母の望む女子高へと進学させられた。
それでも薫は口答えすることなく望まれるままの生活を送った。
だが、やがてそこに軋轢が生まれ、薫の心は耐えかね決壊した。
決壊した心は破壊行動へ舵を切り、手当たり次第壊していく。
それまであった家族や友人との温かい思い出すら薫の破壊対象となった。
それを止めたのは父と弟・雅人だった。
父は母に対し、これ以上干渉するようなら離婚も辞さないと宣言した。
弟も母から姉を守るように立ち振る舞い始める。
そうなって初めて自分の異常さに気付いた母だったが、時既に遅く薫から一定の距離を置くという選択肢しか残っていなかった。
薫は父の計らいで叔父夫婦に預けられ、転校することになった。
叔父夫婦には子がなかったため、薫のことを暖かく迎え入れてくれた。
そのことで母の呪縛から解き放たれた薫は徐々に心を取り戻す。
それでも完全ではなく、時折言いようのない恐怖に心を真っ黒に染められる。
それを危惧した弟は他県の大学への進学を勧めた。
父もその方がいいだろうと一人暮らしに理解を示してくれた。
そうして受験し、合格したのが今の大学だった。
薫が手にした新しい世界は年相応の生活をくれた。
親しくなった友人と恋バナを咲かせたり、レポートに頭を抱えファミレスや図書館でともに勉強したり。
そうやって薫は生まれ変わっていった。
それでも唯一できなかったものがある。
それは『恋人』と呼べる異性。
それだけはどうしても作れなかった。
何故なら、あの日見てしまった伊達の行為が忘れられなかったから…。
「はぁ、何であの日に限ってあんなの見ちゃったんだろ…。」
薫はそこで過去から現在へと意識を戻す。
ちょうど洗濯機が工程の終了を告げるブザーが鳴った。
ソファを立ち、脱衣所へ向かう。
洗濯機の中からシーツを取り出したたみ始める。
何気に目に入った脱衣かご。
そこには伊達が脱いだシャツがあった。
手に取るとそこにはほのかに残る伊達の匂い。
その匂いを嗅いだ薫にあの日の記憶が蘇る。
それは三年前の夏休みのこと。
薫は閑散とした校内を歩いていた。
目的は伊達の研究室。
前日の残りを詰めた弁当を渡すためだ。
前期試験が始まったあたりから伊達の容姿が一変し始めた。
よれよれのシャツにネクタイ。
髪はぼさぼさで、無精髭だらけ。
余りの変わりように薫は恐る恐る訊ねると、学会で発表する論文の執筆で連日研究室に泊まり込んでいるからだと話してくれた。
よく見ると、研究室のごみ箱にはコンビニ弁当の空や菓子パン・サンドイッチの空袋が山のように放り込まれている。
これではいいものは書けない。
そう思うが薫に手伝えることはない。
「そう言えば、結城は一人暮らしだっけ?」
「は、はい。」
「じゃ、自炊してるのか?」
「一応してます。
父からバイトは禁止されてて…。
仕送りしてもらってる生活費のだけで遣り繰りしないといけませんから。」
「そうか、だったら一つ頼んでいいかな?」
「何ですか?」
「弁当作って。
勿論俺の分の材料費は出すよ。」
伊達はそう言って財布ごと渡してきた。
薫は戸惑うが、あの笑顔を向けられては断り切れない。
そうして、伊達のために弁当を作る日々が始まった。
その日も同じ時間に研究室を訪れた薫だったが、いつもと違う雰囲気に入室を躊躇う。
逡巡しているうちに聞こえてきたのは伊達の荒い息遣いだった。
(え? 何? 中で何が…。)
薫はドアノブに手をかけ、そっと扉を開ける。
そこで目にしたのつい先日貸したハンカチを嗅ぎながら、自慰行為にふける伊達の姿だった。
「結城…、結城…。」
伊達はうわ言のように薫の名を呼んでいる。
それでわかってしまった。
誰を思って自慰行為にふけっているのかということを…。
薫の心臓は早鐘を打つ。
見てはいけない、見てはいけないと頭ではわかるが目を逸らすことができない。
やがて伊達は達し、逸物を扱いていた右手が自ら吐き出した白濁で汚れる。
薫は堪らなくなり、足音をたてないようにその場を一旦離れた。
そうして、トイレの個室に駆け込んだ薫はそこに座り深呼吸をする。
目を瞑ると先程の光景が思い出された。
自分との行為を妄想し、自慰行為にふける伊達。
その姿を思い出すだけで下腹部がキュンとなり、奥から蜜が溢れてきた。
薫はショーツの中に指を這わせる。
(やだ、濡れてる…。)
そこはしとどに濡れており薫の指を簡単に受け入れるほどだった。
薫は恐る恐る指を奥へと入れていく。
「んっ…。」
電流が背筋を這い上がる感覚に襲われ、思わず仰け反る。
気づけば伊達の姿を思い浮かべ、自慰行為にふけっていた。
そうしてこの日、薫は初めて自慰行為で達した。
伊達のことを思い浮かべながらするそれは甘美でどうしようもない快感を与えてくれたのだった。
後始末を終えてから薫は再び研究室へ向かう。
ドアをノックし開けるとすでに伊達も後始末を終えたようでいつもの様子に戻っていた。
「お弁当、ここに置いときますね。」
「ああ、ありがとう。」
「あ、あの…。」
「うん?」
「えっと、その…。」
「結城?」
「あ、明日は何がいいですか?」
「そうだなぁ、子供っぽかもしれんがハンバーグ。」
「わかりました。
じゃあ、明日は煮込みハンバーグにしましょうか?」
「お、それは楽しみだ。」
何気ない会話に普段通りの伊達の姿を見、安堵する薫。
(よかった…。 いつもの先生だ。)
だが、次の日も伊達の自慰行為を見てしまう。
その日は研究室の奥にある資料室に薫が入ったのを確認してから伊達は行為を始めた。
薫は驚き混乱する。
扉の向こうから聞こえるのはやはり自分のことを思いながら行為にふける伊達の喘ぎ声。
薫は顔を背けることも、耳を塞ぐこともできず、その行為を凝視し続けた。
それは連日続けられ、やがて薫はその行為を見ながら、自身も自慰にふけるようになる。
夏休みのため、校内は薄暗く、静まり返っている。
そのことが二人の倒錯的なこの行為を助長させていた。
伊達は薫も自慰行為に及んでいることに気付いたが、決して手を出すことはなかった。
ただ、互いの痴態を妄想し、扉を挟んで自慰行為にふける。
二人の興奮を掻きたてるには十分だった。
その行為は夏休みが終わっても続けられる。
いつの間にかできた暗黙のルール。
土曜の昼下がり、研究室と資料室の扉一枚を隔てての自慰行為。
二人のこの行為はこの夏休みに入る前まで続けられた。
だから、薫は『恋人』を作ることができなかった。
その行為が互いを意識してのものだったことが一番の理由。
だが、そのことに後悔はない。
初めて会った時から伊達に心を奪われていたから。
だが、薫は決して伊達の心に踏み込むことはしなかった。
年齢差を考えれば自分などが恋愛対象になりえるはずない。
薫はそう思っていた。
だから、いつか諦めざるを得なくなる日が来ることを予見して線引きをしていた。
まさか、その一線を伊達の方が越えてくるとは思いもよらなかったが。
そこで薫は再び現実へと意識を引き戻す。
手にした伊達のシャツを脱衣かごに戻し、シーツを片付ける為にリネン庫に向う。
再びリビングに戻るとやはりため息しか出なかった。
思うのは伊達が関係を持った初日に口にした提案。
「俺のところに永久就職しないか?」
それは友人・里佳子がだけが知っているはずの秘密。
前期試験の直前にいつものファミレスで勉強していた時に二人で冗談めかして話していたこと。
何故、伊達はそれを知っていたのだろう。
薫はそのことを未だ聞けずにいた。
(今夜こそ詳細を確認しよう)
薫はそう決意する。
すると、急激に睡魔が襲ってきた。
(嘘…。 昨日はあの後ぐっすり寝たはずなのに…。)
薫はそこでバスルームでの情事を思い出す。
あれは思いの外体力を奪っていたようだ。
(それもそっか…。 結局三回も出されちゃったんだもんね。)
こんな時、伊達の体力を恨めしく思う。
自分はこれほどまでに疲弊しているのに伊達は平然としていた。
本来なら、射精と言う行為はかなりの体力を要するはずだ。
それなのに伊達は元気よく出勤していった。
薫の体は重くなる一方で、寝室に戻るのも億劫になる。
考えても仕方ないのでそのままソファに横になる。
クッションを枕代わりにし、タオルケットを掛けると瞼が重くなってきた。
薫はそれに贖うわず、深淵の如きまどろみの海へと漕ぎ出す。
目覚めた時に待っているのは安らぎか、伊達との逢瀬か。
その時の薫には及びもしなかった。
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