不遇水魔法使いの禁忌術式

キミドリ

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不遇な水魔法使い

9話 小さな手、大きな決意

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 強盗の襲撃から数日が経過していた。

 深い無力感が胸の奥に残っている。ローブの姿は見えず、あの夜の記憶だけが繰り返し蘇る。サーシャの悲鳴、自分の無様な姿、そして何より、守れなかった現実。

 俺とサーシャを襲ったローブの行方は依然として不明だ。手がかりといえば、ローブが使用していた大気操作の術式とレイピアの金属器。しかし、都市への照会でも、どちらも登録された履歴はないという。

 フランの配慮で、俺たちはすぐに家に戻れることになった。壊れた部屋の修理も請け負ってくれるという。

 サーシャは特に大きな怪我もなく、病院で安静にしていたら2日と経たずに歩けるまでに回復。今は先に家に戻り、後片付けをしてくれている。

 一方の俺は、魔法を直接受けた影響で入院を余儀なくされた。とはいえ、この世界の医療は驚くべきものだった。元の世界には及ばないものの、傷を治す薬の効果は凄まじい。

 以前、砂漠の洞窟でサーシャが使っていた薬と同じものを投与されると、その晩のうちにある程度傷が塞がっていた。聞けば、この世界に生える植物を乾燥させ焙煎したものらしい。傷口にヒュレーを流し、自然回復力を高める効果があるのだという。

 この世界の人や動物、植物や鉱物、空気に至るまで、全てにヒュレーが流れている。ヒュレーはエネルギーそのものだ。だからこそ魔法として使え、生命への働きかけも可能なのだろう。

 改めて、現代日本とはかけ離れた世界だと実感する。しかし不思議なことに、この異世界での生活にも十分順応してきている自分がいた。

 横たわっていた身体を起こし、ベッドから立ち上がる。長期の安静で体が鈍っているのを感じた。少し散歩にでも出ようと思い、病室の扉に手をかけた瞬間、ひとりでに開く。

 扉の向こうには、フルーツバスケットを抱えた人影が。緩やかなウェーブのかかった水色の髪が靡き、石鹸の優しい香りが漂ってくる。

「うわ! 起きていたのですね、カイ」

「おはよう、サーシャ。少し散歩に行こうと思ってね」

「もう歩けるんですか? まだ無理は……」

 バスケットを机に置いて病室を出ようとする彼女の手を、優しく掴んで制した。

「大丈夫だよ、サーシャ。この通り元気いっぱいだ」

「そ、そうですか。よかったです。とても心配していたので……」

 自分が空回りしていたことに気づいたのか、冷静さを取り戻して俺の袖をそっと掴みながら呟く。

「心配かけたな、ごめん」

「そんな、謝ることではないですよ。無事で何よりです!」

 俺はサーシャの手を放し、病室を出る。彼女も黙って付いてきて、共に病院の外へ。都市の病院だけあって、建物は広く立派で、都市魔法使いの助手という立場のおかげか、部屋も通常より豪華だった。そのせいか、少し落ち着かない気分になる。

 病院周辺は緑が多く、小さな池もあり、散歩には持ってこいの環境だった。暖かな日差しを浴びながら、舗装された道を歩く。


 不意に手を握られる。隣を歩く青髪の少女が、頬を赤らめながら声を発した。

「カ、カイはまだ全快ではないでしょうから、手を握ってあげます……!」

「ふふ、ありがとう。サーシャは本当に可愛くて優しいな」

「フン、私ほどの心清らかな美少女もいませんからね。当然ですよ!(ドヤさ)」

 サーシャはいつものようにドヤ顔をしながら、さらに頬を赤らめる。

「ははっ」

 そんな彼女とのやり取りに、思わず笑みがこぼれる。

 ――と同時に、胸の奥で怒りが湧き上がった。

 この大切な少女を傷つけられ、何もできずにすぐさま気を失い、彼女よりも長く悠長に病院で寝ていた自分への怒り。

 俺は無力だった。守りたい人一人、守れない弱い人間。
 だから、強くならなければならない。今度は自分の無力さを呪わなくて済むように。サーシャを守れるように。彼女を心配させないように。

 ――そう、小さな手をそっと強く握り、静かに大きな決意を固める。

「……カイ? どうしましたか」

「いや、なんでもないよ。そろそろ戻らないと病院の人に怒られちゃうな」

「ふふっ、そうですね。早く戻りましょう」

 サーシャと共に、水鳥が池から飛び立つのを見つめて静かに言葉を紡ぎながら、病室へと戻った。

***

 2日後、俺は無事に退院できた。後遺症もなく、完全に回復している。

 退院の日迎えに来てくれたサーシャと二人、久しぶりのわが家へと帰る。

 見慣れた庭を超え玄関前に到着すると、サーシャは「ちょっと待ってください」と言い先に扉を開け玄関に入る。

「おかえりなさい、カイ!」

 玄関を開け、サーシャが嬉しそうに出迎えてくれる。

 この子はどうしてこう……。

「ただいま」
 
 満足したように微笑んでいた。
 
 その背後には、完璧に修復された室内が広がっていた。

「随分きれいになったな」

「ラグさんの采配が素晴らしくて。お掃除も、壊れた家具の買い替えも、全部手配してくれたんです」

 窓ガラスと俺の部屋がメインだったため、工事自体は数日で終わったという。まるで事件など起きなかったかのように、部屋は元通りの姿を取り戻している。

 ただ、まだローブは見つかっていない。都市は警戒態勢を取り続けていて、憲兵としての指揮を執るフランさんは特に忙しそうだ。それでも研究の合間を縫って、入院中も見舞いに来てくれた。後日、改めてお礼に行かなければ。

「コーヒーを淹れましょうか?」

「ああ、久しぶりの家でのコーヒーが飲みたいな」

 サーシャが台所に向かう間、俺は書斎で彼女の資料整理を手伝うことにした。書類棚で探し物をしていると、見覚えのある束が目に留まる。

「これって……」

 あの夜、ローブが奪おうとしていた研究資料だ。

「サーシャ、ちょっといいか?」

「はい、コーヒーも入れ終えたところです」

 コーヒーの香りと共に戻ってきたサーシャが、俺の手元の資料に気付く。

「ああ、それは……」

「あの時の資料だよな。実は気になってたんだ」

 サーシャは二つのカップを置き、隣に腰を下ろす。

「コーヒーでも飲みながら、話そうか」

「ふふ、そうですね」

 カップから立ち上る湯気を見つめながら、サーシャが静かに口を開く。

「これが私のメインの研究題材なんです。故郷で研究していた……」

「追放の原因になった禁忌の研究?」

「む~、その言い方はやめてくださいよ!」

 頬を膨らませる仕草は、いつ見ても愛らしい。

「それで、禁忌の研究ってどういったものなんだ?」

 魔法使いの助手として働いているものの、彼女の研究内容はまだ難しくて把握できていない。主な仕事は書類の整理や実験の記録、装置の片付けなどの雑用がメインだ。本格的な研究の手伝いは、もう少し魔法の勉強が進んでからだと言われていたが……。

「そうですね」サーシャが少し考え込む。「基礎魔法論について一通り終わりましたし、そろそろ教えてもいいかもしれません」

「私が研究しているのは……」

 胸を張り、得意げな声で宣言する。

「『大海』の魔法についての研究です!(ドヤさ)」

 ――その瞬間、俺の頭の中で何かが引っかかる。
 そう、この世界の大きな特徴を思い出したのだ。

 この世界には、海が存在しない。
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