不遇水魔法使いの禁忌術式

キミドリ

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不遇な水魔法使い

10話 『大海』の魔法

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 この世界に海がない――その異常性に気づいたのは、世界地図を広げた時だった。

 灼熱の火山地帯が連なり、強風の絶え間ない渓谷が刻まれ、果てしない砂漠が広がる。それぞれの土地は、火、風、土の元素に呼応するかのように形作られている。都市と都市の間を隔てるそれらの過酷な環境は、まるでこの世界の掟のように厳然と存在していた。

 しかし、一つだけ、どうしても違和感を拭えない事実があった。

 水の領域が存在しないのだ。

 この世界は四大元素で構成されているはずなのに、他の三元素に比べて水だけが、あまりにも存在感が薄い。大きな海も湖も、悠々と流れる大河も存在しない。そして、最も不可解なことに、雨が降らないのだ。

 前世界――地球では、雨が降り、川となって流れ、海へと注ぎ、また空へと昇る。その水の循環が、生命の営みを支えていた。しかし、この世界にはその循環が存在しない。

 わずかに地下から湧き出る水と、水魔法を組み合わせることで、都市は水不足を回避している。だが、四元素で成り立つはずの世界で、この不均衡は明らかに不自然だった。

 さらに不思議なことに、『川』や『海』という言葉は辞書に存在する。その説明は、存在しないことを除けば地球のものと寸分違わない。まるで、かつては確かにそれらが存在したかのように。

 だからこそ、サーシャの言う『大海』の魔法という言葉に、俺は強く心を揺さぶられた。

***

「『大海』の魔法……!?」

 研究室で向かい合うサーシャの目が、いつになく強い光を放っていた。

「ふふーん、驚いたでしょう?(ドヤさ)」

 珍しく得意げな様子で、サーシャは立ち上がる。書架から古ぼけた一冊を取り出し、俺の前に広げた。

「大昔に存在したと言われる水のエイドスが潤沢な巨大すぎる水の宝庫。それが『大海』です!」

「いや、『大海』という言葉自体は知ってるけど……ってことは、昔には本当に存在したのか?」

「あら、知っていたんですか。カイは本当に変なことばかり覚えているんですね」

 サーシャは少し拗ねたような表情を見せるが、すぐに熱に浮かされたような口調で続ける。

「『大海』はこの世界の地表の半分以上を占めていたと言われています。それにより、水魔法はより強力で、より自由な力を持っていたはずなんです!」

 その言葉に、地球での記憶が重なる。確かに地球の表面の大部分は海に覆われていた。だが、そんな途方もない量の水が消えるなど、考えられない。

「本当にそんなものが存在したのか? そんなに大量の水が消えるなんて……」

「確かに、決定的な証拠はありません」

 サーシャは一度冷静さを取り戻したように深く息を吐く。

「でも、地形や地下水脈の調査から、かつてこの世界にはより多くの水が存在したことは間違いありません。問題は、なぜそれが消えたのか。そして、なぜその研究が禁じられているのか」

「それで、なぜ禁じられているんだ?」

 サーシャの表情が、急に厳かなものに変わる。

「『大海』の魔法は、水魔法の常識をはるかに超えるものなのです」

「常識を超える……?」

「考えてみてください、カイ」

 サーシャは立ち上がり、黒板に向かって。

「この世界の四大元素。『火』は熱や光、エネルギーを操り、フランのように電磁気すら操ることができる。『風』は大気を操って物を浮かせ、音をも司る。『土』は物質そのものを作り出し、この世のありとあらゆるものを生み出せる」

 チョークが黒板を走る音が、研究室に響く。

「でも『水』は? 水を操作するだけ。これが、この世界での水元素の一般的な性質なのです」

 サーシャの声に、わずかな震えが混じる。

「私はずっとその不均衡に疑問を持っていました。水があまりにも自由を奪われている。そう、なのです!」

「……不遇」

 その言葉が、妙に重く響く。

「でも、古い文献を探り、解読していくうちに、『大海』の真の姿が見えてきました」

 サーシャは机の上に、無数の古文書を広げていく。

「海は全ての生命を作り出し、育み、万物を溶け合わせ、新生させる。海は全てを記憶し、全てを流し、全てを混濁させ、全てを浄化する。これが『大海』の本質なのです」

 一枚一枚の羊皮紙に描かれた術式の断片が、机の上で輝きを放つ。

「『大海』の魔法は、これら全てを統べる術式。すなわち、『水』元素の根源となる魔法。しかし、水魔法族はその研究を固く禁じているのです」

「そんな大事な魔法を、なぜ?」

「かつて『大海』の魔法を研究した者が、悪魔に憑りつかれて水魔法族を崩壊の危機に陥れたという言い伝えが……」

「そ、そんな非現実的なことが……」

「――ええ! あり得ません!!!」

 サーシャの声が研究室に響き渡る。

「そんな昔からの言い伝えを、私たち水魔法族は未だに信じているのです。各都市で水魔法は軽んじられ、インフラとしての地位しか与えられていない。もう研究し尽くされた元素だと決めつけられて!」

 拳を握り締めるサーシャの小さな体が震えている。

「水魔法にはまだ、無限の可能性があるはずなのに。なのに、発展を止め、足を止めている。私は、水魔法族の一人として、それを我慢できませんでした」

 サーシャの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。

「だから私は、禁術と言われても戦いました。結果として追放という形になりましたが、後悔はありません。故郷から追い出されるなんて、大したことではありません」

「――水魔法の進歩に比べれば」

 サーシャの言葉一つ一つに、魂が宿っているように感じられた。

 研究への情熱、水魔法族としての誇り、そして禁忌に立ち向かう覚悟。彼女の歩んできた道のりの全てが、血の滲むような努力が、今この瞬間の言葉となって俺の胸を打つ。

 小さな体に秘めた、あまりにも大きな決意。

「サーシャ」

 俺は静かに立ち上がる。

「水魔法への思いは、よく分かった。いや、軽々しくそんなことは言えないかもしれない。でも……」

 サーシャの瞳が、僅かに揺れる。

「俺は、サーシャの力になりたい。お前の目指す『大海』の魔法への夢を、俺にも見せてくれ!」

「カイ……」

 サーシャの目に、また涙が浮かぶ。だが今度は、喜びの色を帯びていた。

「ありがとうございます!」

***

 サーシャの話を聞いて、俺は確信を得ていた。この世界の水魔法には、何らかの制限が課せられている。地球で実際に海を知る俺には、彼女の言葉に強い説得力があった。

 この世界の水魔法は、意図的に貶められているのだ。

 サーシャの力になるには、この状況を招いた真実を突き止めなければならない。そして、新たな水魔法の可能性を見出さなければ。

 そんな中、一つのアイデアが浮かんだ。水の操作だけに限定された魔法を拡張し、『大海』の魔法へと繋がる、新しい術式。

 だが、これを研究するには協力者が必要だった。

 都市の研究地区にある、使われていない魔法訓練施設。実験には程よい広さと、十分な頑丈さを備えたその場所で、俺は待ち合わせを設定した。

「やほほ! カイ君、お待たせ~」

 軽やかな足取りで現れたのは、フランだった。

「彼女をほっといてお姉さんと浮気なんて、イケナイ子だね~」

「フランさん、勘弁してください。フランさんは魅力的な女性ですけど、俺はサーシャ一筋なので」

「……これを毎日食らってるあの子には同情するしかないわね」

 苦笑いを浮かべながら、フランは続ける。

「それで、私に手伝って欲しい研究ってのは?」

「ええ、実は……」

「君の考えている魔法は、確かにサーシャと二人じゃ難しいかもね」

 俺の説明を聞きながら、フランは頷く。

「私の『電磁界』の魔法は、きっと役に立つと思う。でも、それだけじゃまだ足りない」

 フランは不敵な笑みを浮かべる。

「そこで、もう一人の協力者を用意したの。入ってきて~」

 カツン、カツン。

 金属が軽く打ち付けられる音と共に、巨大な影が現れた。月明かりに照らされ、全身を覆う金属が煌めく。金、銀、銅、鉄。様々な金属が流動的に形を変えながら、一つの装甲を形作っている。

 その金属の覆いが開くと、一人の男の顔が現れた。

「貴方がミヤザワ・カイ君ですか」

 190センチはあろうかという大柄な体躯に、整った髭を蓄えた紳士的な容貌。その佇まいには、どこか威厳のようなものが漂っていた。

「ワタクシは『錬煌』の魔法使い、アルジェント・オーロと申します。この度は、フラン嬢の依頼とあって、お力添えさせていただく次第です」

 優雅な仕草で軽く会釈しながら、アルジェントは自己紹介を続ける。

「土魔法族の技術を極めた後、金属操作の研究に従事し、都市魔法使いの称号を得ました。以後、貴族の警護や軍事顧問なども務めております」

「アルジェントはね」

 フランが補足する。

「土魔法族の中でも特に優秀な研究者なの。私が知る限り、最も信頼のおける協力者よ。それに……」

 フランの表情が、少し懐かしそうになる。

「私と同じ戦争の生き残りでもあるの。魔法戦闘の訓練相手としても、これ以上はないわ~」

「フラン嬢からのお褒めの言葉、光栄です」

 アルジェントは丁寧にお辞儀をする。その仕草には、貴族のような優雅さがあった。

「とはいえ」

 真っ直ぐに俺を見つめ、アルジェントは続ける。

「ワタクシが協力する以上は、生半可な成果は許されません。まずは、貴殿の実力を拝見させていただきましょう」

「え?」

「ワタクシと一戦、お手合わせ願います。貴殿の覚悟を、その身でお示しください」

 アルジェントの周囲で、金属が煌めきを増す。その姿に、俺は思わず息を呑んだ。
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