虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

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42 レクオンの過去4

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 それは何の変哲もない日だった。見上げれば雲ひとつない青空が広がり、開け放した窓からアーモンドの白い花びらがひらひらと舞い込むような穏やかな春の日だった。

 弟と過ごすことが多くなったレクオンは離宮に寄り付かなくなり、母のもとへ戻るのは食事と寝る時ぐらいであった。それに正直な気持ちを明かせば、エイメルダの顔を見るのがつらかったというのもある。母はいつもレクオンに対して申し訳なさそうな顔をするので、見るたびにイライラしてしまうのだ。

『なんだよ、母上。俺の顔になにか付いてるか?』

『そ、そうじゃないの……。ごめんなさい』

『すぐに謝るなよ! 母上が簡単に謝るから、あいつらが自分は悪くないと勘違いするんだ。ごめんなさいってのは、悪いのは自分だと認めることなんだぞ』

『そう、ね……。レクオンの言うとおりだわ。でも、どうしても責任を感じてしまって……』

『だったら勝手に謝ってりゃいいだろ!』

 そう叫んで離宮を飛び出したので、夕方になって母のもとへ戻るのは気まずかった。昼食はマシュウと一緒に取ったが、さすがに晩餐ぐらいは親子で食べるべきだろう。でも、やっぱり気まずい。

(まぁいいさ。母上に会ったらすぐに、朝は言いすぎたと詫びればいいんだ。どうって事はない)

 離宮までの長い回廊を進みながら、母になんて伝えようかか悶々と悩む。今回に限っては、悪いのは俺だ。でも母上だって簡単に謝るのはよくない。ごめんなさいなんて縮こまっているから、悪い奴がのさばるんだ。

 ぶつくさ言いながら母の部屋を訪ねると、バルコニーで母の侍女が蒼白な顔で佇んでいる。どうしていいか分からないと、途方に暮れたように。

 バルコニーの下で誰かが「きゃああっ」と悲鳴をあげ、バタバタと走る音まで聞こえる。何か大変なことが起きたのは間違いない。レクオンはバルコニーの侍女へ駆け寄った。

『一体どうしたんだ? 母上はどこに――』

『れ、レクオン様……! こちらへ来てはいけません!』

 侍女がレクオンの肩をつかんで部屋へ戻そうとしたが、レクオンは彼女の手を振り切ってバルコニーの手すりを掴んだ。ぐいと身を乗り出して、庭を見下ろし――

『え……? 母上?』

 目に映ったのは、白っぽい石畳にうつ伏せになった母の姿だった。顔は横を向いているが、頭の下からじわじわと赤黒い液体がにじみ出ている。血だと気づくまでに数秒かかった。

『なんで……っ! おい、母上は生きてるのか!? 俺もそこに行くから――』

『エイメルダ妃の部屋を封鎖しろ。死の原因を調べる』

 下に向かって叫んだ瞬間、レクオンの声にかぶさるようにして男の声が響いた。確かめずとも分かる。レクオンは部屋を振り返り、男に向かって怒鳴った。

『封鎖とはどういうことだ、サントス! 母の部屋を勝手にいじるな!』

『王宮の一部で人が死んだのですよ? 調べるのは当然でしょう。殿下は部屋の外へ出てください。子供の出る幕ではありません』

 サントスの配下たちが部屋に入り、レクオンを無理やり追い出す。ドアが閉じる瞬間、すき間からサントスは囁くように言った。

『ああ、そうそう。レクオン殿下、あまり目立つのは感心しませんな。出る杭は打たれるものですよ』

 どういう意味だ――聞き返そうとしたがその前に扉が閉まり、レクオンは唇を噛んだ。今はサントスに構っている場合じゃない。とにかく母の様子を見なければ。

 大急ぎで庭へ降りると、エイメルダは台に乗せられてどこかへ運ばれようとしている。顔には白い布が掛けられ、まるで死んだかのような扱いだ。母の侍女は号泣している。

『母上! 母上……っ!!』

『レクオン様……。エイメルダ様は、お亡くなりになりました……っ。申し訳ございません、私が付いていながら……!』

『なんだと!? 俺にも母上の顔を見せろ!』

 レクオンは大人たちの手を振り切って母に駆け寄ろうとしたが、人の壁が邪魔になって進めない。

『母上! くそっ、俺の母を勝手に連れていくな!』

 台に乗せられて運ばれる母を、レクオンは呆然と眺めた。大人たちが無理やりレクオンを自室に閉じ込め、見張りまで立てて部屋から出ないように監視する。レクオンが変わり果てたエイメルダに会えたのは、翌日の夜だった。

『母上……』

 牢のような窓のない部屋で、静かに横たわる母。服は着替えさせられたのか、血の汚れはついていない。レクオンは母の顔に掛けられた布をそっとめくった。
 額のあたりがぐちゃりと潰れているが、そこ以外には傷がない。母は頭から落ちたのだろう。

『どうして……。なんで、死んだんだよっ……!』

 自分でも滑稽なぐらい声がふるえた。目が熱くなって勝手に涙が出てくる。レクオンは拭いもせずに母の顔を見つめ続けた。

(こんな事になるなら、昨日の朝に謝ればよかった……)

 後悔しても遅いのは分かりきっていたが、それでも悔しくてたまらない。俺は馬鹿だ。母が悩んでいるのを知っているくせに、突き放すような真似をして……。

(俺のせいで死んだのか? それとも、誰かが母上を突き落としたのか?)

 庭に落ちた母はうつ伏せだったのだから、誰かに突き落とされた訳ではないはずだ。でもサントスの言葉も気になった。

――『あまり目立つのは感心しませんな。出る杭は打たれるものですよ』

 あいつが母上を殺したんだろうか? 気になったレクオンは母の手の指や爪を確認した。抵抗したのなら、何か痕跡が残っているはず。でもいくら探しても、そのような形跡はない。

(やっぱり自分から死を選んだのか……)

 レクオンは母の手をそっと戻し、立ち上がった。

『ごめん、母上。必ず母上の無念を晴らしてみせるから……どうか俺を許してくれ』

 自分にできるのは、虐げられた母の無念を晴らすことだけだ。国王に全く似ていない王子でも王太子になれるのだと証明してみせよう。それが何よりも母の供養になるはずだ。

 ダゥゼン公爵にとって誤算だったのは、母の死を目の当たりにしてもレクオンの心が折れなかった事だろう。レクオンの王太子に対する執念はますます強くなり、彼は数年のうちにサントスに対抗する勢力の筆頭となっていった。
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