経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始

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観察者たちのささやき合い

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金曜日の午後、経理部は珍しく活気づいていた。  
月末処理にはまだ早いが、営業部からの精算書が一斉に届いたため、部員たちはそれぞれに目を通し、仕分けや入力作業に追われていた。

そんな中、カウンターに現れたのは、もはや日常風景となりつつある人物だった。

「どうもです。阿波座チーフ、これ今日分の修正です」

谷町光。  
肩に上着をかけ、シャツの袖を軽くまくって、いつものように朗らかな笑みを浮かべている。  
その表情は周囲にとっても見慣れたものだったが、今日のそれは、いつも以上に“柔らかく”見えた。

提出された書類を受け取る凛は、特に表情を変えることなく視線を落とす。  
けれど、目元の空気がほんの少しだけ緊張していた。  
微細な皺が眉間に寄りそうになったのを、ぐっと引き戻すように瞬きを一つ。

そのやりとりを、近くのデスクから見ていた弁天町桃が、声を潜めて今里に話しかける。

「ねえ、谷町くん、阿波座チーフにだけ“目が丸い”の知ってる?」

今里は、モニターから視線を外さずに頷いた。

「わかるー。“わんこ顔”になるよね。あれはもう…完全に“好きな人に話しかけてる犬”の目」

「しかもさ、書類提出に来てるって言いながら、明らかに“雑談用の時間”確保してるでしょ」

「あるある。雑談三分、申請二分、退室三分って感じ」

「恋愛カウンターじゃん、もはや」

ふたりがこそこそ話していることに、凛は気づいていた。  
視線を一度だけそちらに流し、目線で牽制する。

その動作は目立たないが、彼の中では十分な“注意”のつもりだった。  
けれど、弁天町はにやりと笑うだけだった。

一方の光は、経理カウンターのその空気を察していた。  
そして、ほんのわずかに動きがぎこちなくなる。

いつもなら凛の正面に立つところを、今日はあえて斜めの位置に立ち、カウンターに肘もつかず、手元の資料だけを示すように差し出す。  
声も少し控えめで、目も直視しないような振る舞い。

だがそれが逆に不自然だった。  
いつものくしゃっとした笑顔は控えめになり、遠慮がちに言葉を選ぶ様子が、かえって浮いて見える。

凛はその挙動の変化にも気づいたが、あえて指摘しなかった。  
ただ、無言のまま書類を受け取り、ページをめくる。

その時間が、少しだけ長く感じられた。

「……修正箇所、問題ありません。内容も整っています」

「ありがとうございます。今日はちゃんと、最初から完璧だったでしょ?」

「“今日は”を強調するあたりが、普段の精度の低さを物語ってますね」

「えっ、めっちゃ正論……」

光が笑いながら頭をかくと、今里のほうから小さな声がまた聞こえてきた。

「ほら、あれ。“いじられるのが嬉しい”って顔してるじゃん」

「チーフ、絶対気づいてないよね、自分の言葉がいちいち爆弾なこと」

「天然がいちばん手ごわいってこういうことかあ…」

凛はペンの手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

「……業務以外の私語は控えてください」

静かな声。  
だがその一言に、今里と弁天町の動きがぴたりと止まる。

視線を向けることはしなかったが、声の調子がいつもよりほんのわずかだけ低かったことに、ふたりは同時に気づいていた。

今里が小さく咳払いをしながら、ぼそりと呟いた。

「……あ、チーフ、ちょっと恥ずかしかったんだなこれ」

弁天町が肩をすくめて笑う。

「わかる。目が泳いでたもん、さっき」

凛はそれ以上何も言わず、光に向き直る。

「提出、ありがとうございました。今後もこの水準を維持してください」

「はい。がんばります。凜さんの期待に応えられるように」

その言葉に、凛のまつげがわずかに揺れた。  
だが口元はきゅっと引き締めたまま、何も返さずに視線を落とす。

光が背を向けて去っていくのを見送りながら、凛は再び椅子に腰を下ろす。  
そして、今里と弁天町の方向にわずかに目を向けると、二人は同時にモニターへと視線を戻して作業に没頭するふりをした。

午後の空気が、また静かに戻ってくる。  
だがそこにはもう、“何もない”とは言えない空気が漂っていた。

ささやき合いは、きっとまだ続く。  
でもそのささやきに、ほんの少しずつ、凛の心も影響を受け始めている。

それが自覚なのか、ただの微熱なのかは、まだわからなかった。
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