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見てないようで、見てますから
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今里はマグカップを片手に、いつものように経理部の島の端で仕事をしていた。
書類のチェック、精算データの確認、エクセルの関数修正。
どれも退屈といえば退屈なルーティンワークだが、慣れてくると、それはそれで“静かな観察”には向いている。
とくにこの数ヶ月、彼女にとっては一つの「小さな連ドラ」が社内で進行しており、それを見守るのがなかなかの楽しみになっていた。
主演:阿波座凛。
相手役:谷町光。
ジャンルは、ややツンデレ味のあるラブコメディ。
設定:経理部×営業部という社内恋愛の黄金フォーメーション。
今もその主演ふたりが、数メートル先の経理カウンターで対面していた。
光が資料を差し出し、凛がそれを受け取る。
そのやりとりは、ぱっと見ただの書類提出に見える。
けれど、今里の目はごまかせない。
凛の手の動きが、明らかに柔らかい。
紙の角を指先で慎重に扱う仕草、目を通す速さ、そして表情のわずかなゆるみ。
かつて他部署の人間に対して見せていた、あの無慈悲な「精算斬り」とは明らかに違う。
光は光で、どこか様子を伺うような笑顔を浮かべながら、わざとらしく一歩引いた。
だがその口元が、笑みをこらえきれずにぴくぴくしている。
今里はマグカップを口に運びながら、ちらりとメモ帳を開く。
“交際確率95%”と青いペンでさらさらと書き足した。
その横には、過去に記録していたログが並ぶ。
「1/12 タルト差し入れ事件」
「2/03 メモにハート型のシール(光の犯行)」
「3/21 呼び出しメールの語尾が丁寧すぎ問題」
「4/07 終電逃し → 翌朝同時出勤」
ページの端には、“今里観察日記”と、自分で勝手に書いたタイトルもある。
完全に趣味の域だが、誰にも咎められていないから続けている。
光は資料を渡し終えると、軽く頭を下げた。
「では、よろしくお願いします。……あ、これ、さっき話してた分です」
そう言って、封筒の間に挟んだ付箋を凛の目の前に置く。
薄いピンクの付箋。見るからに業務とは無関係な色味。
凛はちらと視線を落としたが、すぐに表情を変えずに一言だけ。
「……分かりました。確認しておきます」
その声は冷たいようでいて、実際には“拒絶”ではなかった。
むしろ、どこかしら受け入れている。
今里の耳には、そんなふうに響いた。
光はやや満足そうな顔で、小さく笑ってその場を去ろうとしたが、
すれ違いざま、今里と目が合って一瞬止まる。
「おつかれさまです」
光が頭を下げたとき、その笑顔が普段より三割増しで優しくて、今里はつい小さく吹き出してしまいそうになった。
「おつかれさま、谷町くん」
そう返しながら、彼女は再びメモ帳にペンを走らせる。
“4/22 付箋に何か書かれていた(凛→無視せず)→愛情交換未遂事件?”
カップをくるくる回しながら、彼女は心の中でつぶやく。
「チーフの“気づかれたくないけど気づいてほしい感”、天井まで届いてるよ……」
そのあと、ちらと凛のほうを見ると、彼はすでに付箋を外し、机の下の引き出しにそっとしまっていた。
誰にも見られないように、さりげなく、でも確実に“取っておく”動作。
今里は目を細めた。
それは、きっと“もらった”ということ。
返事はなくても、受け取る。
拒絶しない。
そういうやりとりが、いちばんの進展なのだ。
彼女は静かにマグを口に運びながら、思った。
もうそろそろ、祝電を準備してもいいかもしれない。
ふたりの関係は、誰の許可もなく、それでも確実に深まっている。
あとは、本人たちがそのことにちゃんと気づくだけ。
そう、ほんの少しだけ、背中を押してあげればいいのだ。
それが、見守る側のささやかな特権というものだろう。
書類のチェック、精算データの確認、エクセルの関数修正。
どれも退屈といえば退屈なルーティンワークだが、慣れてくると、それはそれで“静かな観察”には向いている。
とくにこの数ヶ月、彼女にとっては一つの「小さな連ドラ」が社内で進行しており、それを見守るのがなかなかの楽しみになっていた。
主演:阿波座凛。
相手役:谷町光。
ジャンルは、ややツンデレ味のあるラブコメディ。
設定:経理部×営業部という社内恋愛の黄金フォーメーション。
今もその主演ふたりが、数メートル先の経理カウンターで対面していた。
光が資料を差し出し、凛がそれを受け取る。
そのやりとりは、ぱっと見ただの書類提出に見える。
けれど、今里の目はごまかせない。
凛の手の動きが、明らかに柔らかい。
紙の角を指先で慎重に扱う仕草、目を通す速さ、そして表情のわずかなゆるみ。
かつて他部署の人間に対して見せていた、あの無慈悲な「精算斬り」とは明らかに違う。
光は光で、どこか様子を伺うような笑顔を浮かべながら、わざとらしく一歩引いた。
だがその口元が、笑みをこらえきれずにぴくぴくしている。
今里はマグカップを口に運びながら、ちらりとメモ帳を開く。
“交際確率95%”と青いペンでさらさらと書き足した。
その横には、過去に記録していたログが並ぶ。
「1/12 タルト差し入れ事件」
「2/03 メモにハート型のシール(光の犯行)」
「3/21 呼び出しメールの語尾が丁寧すぎ問題」
「4/07 終電逃し → 翌朝同時出勤」
ページの端には、“今里観察日記”と、自分で勝手に書いたタイトルもある。
完全に趣味の域だが、誰にも咎められていないから続けている。
光は資料を渡し終えると、軽く頭を下げた。
「では、よろしくお願いします。……あ、これ、さっき話してた分です」
そう言って、封筒の間に挟んだ付箋を凛の目の前に置く。
薄いピンクの付箋。見るからに業務とは無関係な色味。
凛はちらと視線を落としたが、すぐに表情を変えずに一言だけ。
「……分かりました。確認しておきます」
その声は冷たいようでいて、実際には“拒絶”ではなかった。
むしろ、どこかしら受け入れている。
今里の耳には、そんなふうに響いた。
光はやや満足そうな顔で、小さく笑ってその場を去ろうとしたが、
すれ違いざま、今里と目が合って一瞬止まる。
「おつかれさまです」
光が頭を下げたとき、その笑顔が普段より三割増しで優しくて、今里はつい小さく吹き出してしまいそうになった。
「おつかれさま、谷町くん」
そう返しながら、彼女は再びメモ帳にペンを走らせる。
“4/22 付箋に何か書かれていた(凛→無視せず)→愛情交換未遂事件?”
カップをくるくる回しながら、彼女は心の中でつぶやく。
「チーフの“気づかれたくないけど気づいてほしい感”、天井まで届いてるよ……」
そのあと、ちらと凛のほうを見ると、彼はすでに付箋を外し、机の下の引き出しにそっとしまっていた。
誰にも見られないように、さりげなく、でも確実に“取っておく”動作。
今里は目を細めた。
それは、きっと“もらった”ということ。
返事はなくても、受け取る。
拒絶しない。
そういうやりとりが、いちばんの進展なのだ。
彼女は静かにマグを口に運びながら、思った。
もうそろそろ、祝電を準備してもいいかもしれない。
ふたりの関係は、誰の許可もなく、それでも確実に深まっている。
あとは、本人たちがそのことにちゃんと気づくだけ。
そう、ほんの少しだけ、背中を押してあげればいいのだ。
それが、見守る側のささやかな特権というものだろう。
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