39 / 67
絵の前で立ち止まる“彼”
しおりを挟む
文化祭の展示時間も終盤に差しかかり、教室の中はすでに多くの来場者が立ち去っていた。
ざわついていた空気は静まり返り、部屋の中には淡い夕陽と天井の蛍光灯だけが残っていた。
壁一面に掲げられたパネル群も、熱気が落ち着いた後の余韻だけをまとっているようだった。
その中で、一枚の絵の前に、ひとりの人影が立っていた。
京橋蒼真だった。
制服の上から羽織ったカーディガンが、ほんの少し肩からずり落ちている。
きちんと整えられた襟元と、涼しげな眼差しはいつものままだが、彼の背中からはどこか言葉にしがたい静けさが滲んでいた。
悠翔は、その姿に気づきながら、教室の入り口で立ち止まった。
何気なく、展示品の確認をするふりをして、視線を向けないようにする。
心の中で、何度も深呼吸を繰り返す。
けれど、足が動かない。
視線はどうしても、あの絵の前に立つ彼を追ってしまう。
それは、自分の絵が、彼の瞳の中に映っているという事実に、どうしようもなく心がざわめいたからだった。
すると、京橋がゆっくりと振り返った。
悠翔は思わず肩をびくりと震わせた。
「あ、いたんだ」
京橋はそう言って、少しだけ笑った。
その笑顔には、照れやからかいではなく、どこか懐かしさのようなものがにじんでいた。
「悠翔くんが描いたんだよね、この騎士。…やっぱり、なんだか懐かしいな」
その言葉に、悠翔の胸がドクンと鳴った。
懐かしい。
その響きが、ただの感想としては聞こえなかった。
まるで、彼の中に“何かを知っている”記憶の欠片があるような、そんな言い方だった。
いや、違う。
そんなはずはない。
ここは“前の世界”じゃない。
レオ様が存在していた物語は、もうどこにもない。
悠翔だけが、それを知っていて、感じていて、覚えているはずだった。
なのに、京橋の言葉は、まるでその“記憶”を呼び起こすかのようだった。
「懐かしい…って、どうして…?」
そう訊きたいのに、声にならなかった。
喉が詰まる。
唇が少し開いたまま、何も言えずにいた。
代わりに、悠翔はほんの少しだけ、頷いた。
うん。
それだけを絞り出すように返すと、視線はすぐに床へと逸れていった。
京橋はそれ以上、何も言わなかった。
ただまた、絵の方へと目を戻し、しばらく見つめていた。
展示壁の照明が、彼の輪郭を柔らかく浮かび上がらせていた。
その横顔は、悠翔が知っている“レオ様”とは似ていない。
いや、似ているはずなのに、全然違って見えた。
きっと、もう比べる意味はないのかもしれない。
目の前にいるのは、あの“騎士”ではない。
だけど、同じように何かを背負って、何かを大切にしようとしている人なのだ。
笑顔も、声も、視線も――すべてが、レオ様とは違う“彼”のものだった。
「…ありがとう。展示、すごくよかった」
京橋はふと、もう一度だけ振り返った。
「なんか、こういう世界もいいなって思った。言葉とか、絵とかで気持ちが伝わるって、なんか…素敵だよね」
その言葉を聞いて、悠翔の中で、何かがゆっくりほどけていくような感覚があった。
“気持ちが伝わる”。
あの詩。
あの絵。
あの想い。
全部が、伝わってしまっていたのだろうか。
名乗っていないはずの、自分の心の中を、彼はもうどこかで察していたのだろうか。
それでも、京橋は笑っていた。
静かで、どこか切ない、でも優しい笑顔だった。
「また、教えてね。今度は絵じゃなくて、ちゃんと声で」
それだけ言って、京橋は展示教室を後にした。
静かに閉じられたドアの音が、耳の奥に残ったまま、悠翔はその場に立ち尽くしていた。
絵と、京橋の後ろ姿が重なって見えた。
そして、胸がきゅうと締め付けられる。
それは、もう“推し”ではない、ひとりの人間に恋をしてしまった、
その事実を受け止めざるを得なかった、ひとつの瞬間だった。
ざわついていた空気は静まり返り、部屋の中には淡い夕陽と天井の蛍光灯だけが残っていた。
壁一面に掲げられたパネル群も、熱気が落ち着いた後の余韻だけをまとっているようだった。
その中で、一枚の絵の前に、ひとりの人影が立っていた。
京橋蒼真だった。
制服の上から羽織ったカーディガンが、ほんの少し肩からずり落ちている。
きちんと整えられた襟元と、涼しげな眼差しはいつものままだが、彼の背中からはどこか言葉にしがたい静けさが滲んでいた。
悠翔は、その姿に気づきながら、教室の入り口で立ち止まった。
何気なく、展示品の確認をするふりをして、視線を向けないようにする。
心の中で、何度も深呼吸を繰り返す。
けれど、足が動かない。
視線はどうしても、あの絵の前に立つ彼を追ってしまう。
それは、自分の絵が、彼の瞳の中に映っているという事実に、どうしようもなく心がざわめいたからだった。
すると、京橋がゆっくりと振り返った。
悠翔は思わず肩をびくりと震わせた。
「あ、いたんだ」
京橋はそう言って、少しだけ笑った。
その笑顔には、照れやからかいではなく、どこか懐かしさのようなものがにじんでいた。
「悠翔くんが描いたんだよね、この騎士。…やっぱり、なんだか懐かしいな」
その言葉に、悠翔の胸がドクンと鳴った。
懐かしい。
その響きが、ただの感想としては聞こえなかった。
まるで、彼の中に“何かを知っている”記憶の欠片があるような、そんな言い方だった。
いや、違う。
そんなはずはない。
ここは“前の世界”じゃない。
レオ様が存在していた物語は、もうどこにもない。
悠翔だけが、それを知っていて、感じていて、覚えているはずだった。
なのに、京橋の言葉は、まるでその“記憶”を呼び起こすかのようだった。
「懐かしい…って、どうして…?」
そう訊きたいのに、声にならなかった。
喉が詰まる。
唇が少し開いたまま、何も言えずにいた。
代わりに、悠翔はほんの少しだけ、頷いた。
うん。
それだけを絞り出すように返すと、視線はすぐに床へと逸れていった。
京橋はそれ以上、何も言わなかった。
ただまた、絵の方へと目を戻し、しばらく見つめていた。
展示壁の照明が、彼の輪郭を柔らかく浮かび上がらせていた。
その横顔は、悠翔が知っている“レオ様”とは似ていない。
いや、似ているはずなのに、全然違って見えた。
きっと、もう比べる意味はないのかもしれない。
目の前にいるのは、あの“騎士”ではない。
だけど、同じように何かを背負って、何かを大切にしようとしている人なのだ。
笑顔も、声も、視線も――すべてが、レオ様とは違う“彼”のものだった。
「…ありがとう。展示、すごくよかった」
京橋はふと、もう一度だけ振り返った。
「なんか、こういう世界もいいなって思った。言葉とか、絵とかで気持ちが伝わるって、なんか…素敵だよね」
その言葉を聞いて、悠翔の中で、何かがゆっくりほどけていくような感覚があった。
“気持ちが伝わる”。
あの詩。
あの絵。
あの想い。
全部が、伝わってしまっていたのだろうか。
名乗っていないはずの、自分の心の中を、彼はもうどこかで察していたのだろうか。
それでも、京橋は笑っていた。
静かで、どこか切ない、でも優しい笑顔だった。
「また、教えてね。今度は絵じゃなくて、ちゃんと声で」
それだけ言って、京橋は展示教室を後にした。
静かに閉じられたドアの音が、耳の奥に残ったまま、悠翔はその場に立ち尽くしていた。
絵と、京橋の後ろ姿が重なって見えた。
そして、胸がきゅうと締め付けられる。
それは、もう“推し”ではない、ひとりの人間に恋をしてしまった、
その事実を受け止めざるを得なかった、ひとつの瞬間だった。
11
あなたにおすすめの小説
ハッピーライフのために地味で根暗な僕がチャラ男会計になるために
ミカン
BL
地味で根暗な北斗が上手く生きていくために王道学園でチャラ男会計になる話
※主人公へのいじめ描写ありのため苦手な方は閲覧ご注意下さい。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年BLです。
【新版】転生悪役モブは溺愛されんでいいので死にたくない!
煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。
処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。
なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、
婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。
最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・
やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように
仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。
クレバーな立ち振る舞いにより、俺の死亡フラグは完全に回避された・・・
と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」
と言いやがる!一体誰だ!?
その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・
ーーーーーーーー
この作品は以前投稿した「転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!」に
加筆修正を加えたものです。
リュシアンの転生前の設定や主人公二人の出会いのシーンを追加し、
あまり描けていなかったキャラクターのシーンを追加しています。
展開が少し変わっていますので新しい小説として投稿しています。
続編出ました
転生悪役令嬢は溺愛されんでいいので推しカプを見守りたい! https://www.alphapolis.co.jp/novel/687110240/826989668
ーーーー
校正・文体の調整に生成AIを利用しています。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる