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保健室、尊死の中で
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カーテン越しの空気が静かに揺れた。
それまでそこに確かにいた声の主――京橋蒼真は、もう言葉を重ねなかった。ただ一言、穏やかに、何気ない日常へと繋ぐようにこう告げた。
「じゃあ…また、教室で」
その言葉には、何の装飾もなかった。余計な気遣いも、特別な感情の濃度も感じさせず、けれど確かに“ふたりだけの時間”を丁寧に閉じるためのやさしさがあった。
すぐあとに、かすかな足音が廊下に消えていく。
悠翔は、まだしばらくのあいだ、布団の中でその余韻を抱きしめるように息を潜めていた。けれど、不思議と怖くはなかった。何かが終わったのではなく、ようやく始まろうとしているのだと、そう思えた。
ゆっくりと、布団の端を手繰る。
指先が冷たくて、少しだけ震えた。
けれど、体は拒まなかった。
むしろ、ようやく動けるようになったという感覚があった。
ゆっくりと身体を起こす。
ベッドの端に座り、足を床につけた。
体の奥に残る疲労感はある。けれどそれ以上に、何かが芯からほどけたような、脱皮したあとのような軽さが、ほんのすこしだけ心に満ちていた。
鏡はないが、今の自分の顔がどんな表情をしているのか、悠翔には分かっていた。
まだ涙の跡が頬に残っている。
目元も少し赤い。
けれど、さっきまでとは違う。
あの声を聞いて、自分の気持ちを受け止めて、ようやく“好き”という感情の輪郭に触れられた。
それは、理想の物語ではなかった。
幻想の中の騎士ではなかった。
目の前の、ひとりの高校生――京橋蒼真。
彼のことを、自分は、好きになってしまったのだ。
それを知った今、苦しみは消えないが、逃げ場ではなく「居場所」を探せる気がした。
カーテンがそっと開く。
ふわりと風が入るように、鶴見先生がそこに立っていた。
相変わらず、ラフな白衣と明るい茶髪。
けれどその目は、何も言わずに悠翔の変化を見抜いていた。
先生は少し顎を引いて、口角を上げる。
「ほら、青春って、尊死しながら生きてくもんだから」
その言葉に、悠翔は思わず、小さく笑った。
涙と一緒に笑いがこみ上げたのは、久しぶりだった。
「尊死しながら、生きる、か…」
呟いた言葉は、まるで魔法のように空気を変えた。
保健室の午後の光が、やわらかく彼の背中を照らす。
鶴見先生は、それ以上何も言わずに、部屋の出口へと歩いていく。
その背中を見送りながら、悠翔はようやく立ち上がった。
自分の足で立つ。
それだけのことが、こんなにも難しかったこと。
でも、今はもうできる。
一歩目を踏み出す。
扉に向かって歩く。
その足取りは、まだおぼつかないけれど、確かだった。
今の自分が抱いている気持ちは、
かつての“推し活”ではたどり着けなかった場所にある。
レオ様を愛した時間は、間違いなく自分を救ってくれた。
でも今、自分が描きたい物語の主人公は――
あの人ではなく、あの人によく似た、けれど全く違う存在。
京橋蒼真という、“現実”を持った人だった。
自分自身も、ようやく物語の中に立てる気がする。
読む側でも、推す側でもない。
この世界で、“好き”という言葉を手にした一人として、今度は自分が、誰かに気持ちを伝える側になってもいいのかもしれない。
悠翔は保健室の扉の前で、少しだけ深呼吸した。
そして、静かに扉を開けた。
この先にあるのは、たぶんまだ騒がしくて、混沌としていて、
予想もできない日常――でも、
そのすべてに“彼”がいてくれるなら。
きっと、もう逃げなくていい。
尊死しても、生きていけばいい。
青春は、ここからだった。
それまでそこに確かにいた声の主――京橋蒼真は、もう言葉を重ねなかった。ただ一言、穏やかに、何気ない日常へと繋ぐようにこう告げた。
「じゃあ…また、教室で」
その言葉には、何の装飾もなかった。余計な気遣いも、特別な感情の濃度も感じさせず、けれど確かに“ふたりだけの時間”を丁寧に閉じるためのやさしさがあった。
すぐあとに、かすかな足音が廊下に消えていく。
悠翔は、まだしばらくのあいだ、布団の中でその余韻を抱きしめるように息を潜めていた。けれど、不思議と怖くはなかった。何かが終わったのではなく、ようやく始まろうとしているのだと、そう思えた。
ゆっくりと、布団の端を手繰る。
指先が冷たくて、少しだけ震えた。
けれど、体は拒まなかった。
むしろ、ようやく動けるようになったという感覚があった。
ゆっくりと身体を起こす。
ベッドの端に座り、足を床につけた。
体の奥に残る疲労感はある。けれどそれ以上に、何かが芯からほどけたような、脱皮したあとのような軽さが、ほんのすこしだけ心に満ちていた。
鏡はないが、今の自分の顔がどんな表情をしているのか、悠翔には分かっていた。
まだ涙の跡が頬に残っている。
目元も少し赤い。
けれど、さっきまでとは違う。
あの声を聞いて、自分の気持ちを受け止めて、ようやく“好き”という感情の輪郭に触れられた。
それは、理想の物語ではなかった。
幻想の中の騎士ではなかった。
目の前の、ひとりの高校生――京橋蒼真。
彼のことを、自分は、好きになってしまったのだ。
それを知った今、苦しみは消えないが、逃げ場ではなく「居場所」を探せる気がした。
カーテンがそっと開く。
ふわりと風が入るように、鶴見先生がそこに立っていた。
相変わらず、ラフな白衣と明るい茶髪。
けれどその目は、何も言わずに悠翔の変化を見抜いていた。
先生は少し顎を引いて、口角を上げる。
「ほら、青春って、尊死しながら生きてくもんだから」
その言葉に、悠翔は思わず、小さく笑った。
涙と一緒に笑いがこみ上げたのは、久しぶりだった。
「尊死しながら、生きる、か…」
呟いた言葉は、まるで魔法のように空気を変えた。
保健室の午後の光が、やわらかく彼の背中を照らす。
鶴見先生は、それ以上何も言わずに、部屋の出口へと歩いていく。
その背中を見送りながら、悠翔はようやく立ち上がった。
自分の足で立つ。
それだけのことが、こんなにも難しかったこと。
でも、今はもうできる。
一歩目を踏み出す。
扉に向かって歩く。
その足取りは、まだおぼつかないけれど、確かだった。
今の自分が抱いている気持ちは、
かつての“推し活”ではたどり着けなかった場所にある。
レオ様を愛した時間は、間違いなく自分を救ってくれた。
でも今、自分が描きたい物語の主人公は――
あの人ではなく、あの人によく似た、けれど全く違う存在。
京橋蒼真という、“現実”を持った人だった。
自分自身も、ようやく物語の中に立てる気がする。
読む側でも、推す側でもない。
この世界で、“好き”という言葉を手にした一人として、今度は自分が、誰かに気持ちを伝える側になってもいいのかもしれない。
悠翔は保健室の扉の前で、少しだけ深呼吸した。
そして、静かに扉を開けた。
この先にあるのは、たぶんまだ騒がしくて、混沌としていて、
予想もできない日常――でも、
そのすべてに“彼”がいてくれるなら。
きっと、もう逃げなくていい。
尊死しても、生きていけばいい。
青春は、ここからだった。
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