転生しても推しが尊い!〜京橋くんとの学園ライフが尊死案件〜オタクでよかった、君に出会えたから

中岡 始

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火消しの聖母、動く

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保健室の窓には、夕方の光がうっすらと射し込んでいた。  
ブラインド越しに切り取られた光と影が、床にしま模様のような静寂をつくっている。  
屋上近くの風が、時折校舎の隙間を抜けて、窓ガラスを小さく鳴らした。  
それ以外に、部屋の中に音はなかった。

悠翔は、保健室のベッドの端に腰かけていた。  
膝を抱え、上着の裾を指でぎゅっとつまんでいる。  
視線は下を向いたまま、顔半分が前髪の陰に隠れていた。

静かだった。  
あまりにも静かで、何も考えたくないのに、逆に思考が勝手に巡り続ける。  
なにスタのタイムライン。あのタグ。  
あの言葉の応酬。スクショ。考察。皮肉めいたコメント。

――きょゆう、って。  
自分と京橋くんの名前を組み合わせただけの、ただのファンタグだったはずなのに。

「……こそこそしてると、余計目立つよ」

唐突に聞こえてきたその声に、悠翔は肩をすくめた。  
保健室の奥、デスクの前にいたはずの鶴見先生が、スマホを片手にこちらに近づいていた。

足音は軽快だった。スニーカー特有のリズム。  
白衣はラフに羽織られ、ピアスが耳元でちらりと光る。  
彼女の立ち姿は、聖母というより“青春の戦場に詳しい先輩”のようだった。

「ねえ、悠翔」

鶴見先生は、スマホを見つめたままソファの背にもたれ、足を組んだ。  
画面の光が、白衣の袖をぼんやり照らしていた。

「タグ、見た?」

声のトーンは穏やかだったが、その中にふっと芯のある柔らかさが混じっていた。  
悠翔は、小さくうなずいた。  
胸のあたりがまたざわつき始める。

「“供給過多なきょゆう、現場写真まとめ”、とかさ。  
“今後の展開を憂う古参ファンより”、とか。  
まあ、いろいろあるよね」

先生はひとしきりスクロールしながら、肩をすくめる。

「でもまあ、だいたい沈下傾向よ。  
昨日あたりから、"例の人"が動いてるし」

“例の人”?  
悠翔が不思議そうに顔を上げると、先生はスマホを胸にあてて、にやりと笑った。

「つるみん、って知ってる?」

一瞬、何のことかと思ったが、すぐに脳内のどこかが反応した。  
なにスタの投稿で、しばしば現れる大人びた口調の“裏アカ詩人”の名だ。  
誰にも正体を明かしていない。けれど、なぜか界隈での影響力は妙に高い。

「まさか……」

「まさか、じゃなくて、まさに。私」

鶴見先生は笑いながら、スマホの画面を差し出した。  
そこには、投稿されたばかりの言葉が表示されていた。

『燃やすより、育てよ。愛の火は、見せびらかすためでなく、  
ふたりがあたたまるためにある。』

閲覧数、いいね、ブックマーク。  
数字がじわじわと伸びていく。  
コメント欄も、「つるみんの言葉、染みた」「この界隈の母」などの反応であふれていた。

「沈静化ってのはね、火に水をかけるんじゃなくて、  
もっと大きくて、穏やかな風を吹かせることなの」

そう言って、先生は自分の髪をくしゃりと指先で整えた。

「愛って、たまに炎上するのよ。  
特に、推しの隣に“名前付きの誰か”が立ったときはね。  
でも、それって悪いこと?」

悠翔は何も言えずにいた。  
けれど、さっきまで体を丸めていた姿勢が、少しだけゆるんだ。  
視線が、やっと鶴見先生の顔へと上がった。

「こわいと思うよ。  
でもね、見せるってことは、逃げないってことでもある。  
誰かの隣にいるって、そういうことよ」

先生の声は、どこまでも静かだった。  
悠翔の胸の奥、ぐらぐらと揺れていたものが、すうっと底に沈んでいく。

「……僕、そんなふうに言えないです。  
なんか、全部、言葉にするのが、こわくて」

正直だった。  
感情を詩にして書き出せたとしても、現実の中で声に出すことは、やはり別のことだった。

先生はそれを否定しなかった。  
ただ一歩近づいてきて、悠翔の肩に手を置いた。

「言わなくてもいいの。  
でも、歩きなさい。堂々と。  
こそこそしてたら、君が悪いことしてるみたいになる」

その手は、思っていたよりもずっとあたたかかった。

「あとでさ、阿波座と紬ちゃんも来るってさ。  
彼女たちなりに、君の味方でいようとしてるみたいよ」

そう言いながら、先生はスマホをもう一度開いた。  
「つるみん」の投稿がまたひとつ増えている。

『恋を知られたら恥ずかしい?  
ならばこう言おう。  
この心は、隠すよりも、美しいと誰かに見つけられたほうが、  
もっと誇らしい。』

その言葉を見た瞬間、悠翔の目の奥がじんと熱くなった。  
まだ何も終わっていない。  
でも、何かがきっと、始まりつつある。  
そんな気がした。
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