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7.親友
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「まあいきなり何だね。どうしたのさ、仕事は?」
庭で野良仕事をしていた母・由香里(ゆかり)は、ぶっきらぼうな口調で迎えた。
「お母さん、わかる?私だよ。琴美」
じわっと涙を溜め、二十年近くの時を経た再会に歓喜して見せた。
「……琴美、琴美だね?」
由香里にも、気づきがあった。
抱えていた農作物を地面へと放って、じっと娘と向かい合った。
「ホント、親不孝しっぱなしでごめんなさい。やっと、帰りました」
琴美は途中から涙声になる。
これは、自分が知っている本当の娘、だ。あの、葬式のときのよそよそしい女ではなくて。
うっ、と、込み上げるものを抑えるように駆け寄った。
「琴美。琴美なんだね?本当に、琴美……」
頬ずりまでして、抱きしめた。
琴美の方も、涙を流しながらされるままになった。
「ごめんなさい。きっと母さんには、ずっと寂しい思いをさせてきたと思う」
しばし見つめ合った後、琴美の荷物を持ち上げて家へ導いた。
「入んなさい。散らかってるけど」
二十年ぶりの実家は、すべてが記憶のままに年月を重ね古びていた。居間の隣の部屋には、亡父の仏壇が置かれていた。
「父さんはいつ亡くなったんだっけ」
「何言ってんの。今年で六年になるよ」
「……ママ」
有紗が割って入ろうとする。琴美には、母にはこうなった理由があるから。
「いいの。正直に言うから」
琴美はそう言うと大きく深呼吸をして、母と向き合った。
「私、ずっと黙っていたけど記憶があやふやなの。あの事故からずっと」
「事故、って。車の事故のことかい?あんた、結婚前でまだ二十歳そこそこだったじゃない。ありさちゃんも亡くなってすぐで」
「ありさ……やっぱり死んでいたの?」
琴美の表情が落胆へ変わり、悲しみを帯びる。
知りたくはなかった、でも避けずに通れない事実。
「いやだねえ、あんたはお葬式も出たし、半月くらい仕事も手に着かずにここでぼうっとしていたよ」
「全然思い出せないの。事故のことも、その後のこともずっと断片的で」
「だけど今まで、アナウンサーをきちんとやってきたじゃないか。今まで普通に過ごせてきたのに今更、何で」
「治ってないのよ、事故の時から。父さんの葬儀の時もおかしいと思ってたはずよ。私、記憶がないもの」
母はすっと立ち上がると、襖を開けた。
「あんたが上京するまでいた部屋、机の中は手つかずで残っているはずだよ。私も家を放った薄情な娘の部屋なんて処分すれば良かったけど、なかなか片づけられなくて」
小さな部屋には机とタンス、少女の好みそうな色調で統一されたファブリックが並んでいた。
「あんたは結婚してから人が違ったようだった。私やお父さんのこと、故郷のこと、ありさちゃんのことさえすっぱりと忘れてしまった。何より大好きでたまらなかった、歌を辞めたのが解せなかった。帰ってくる度、何度話しても変な感じが拭えなくて。でも今のあんたは、私が知っているあんただよ」
「母さん……」
「ありさちゃんのおばさんは夕方帰ってくると思うから、家を尋ねるといい。それまではここで少し話でもしておくれ。私だって”あんた”と会うのは二十年ぶりなんだから」
わだかまりの消えた母は、かいがいしく世話を焼いては昔話に興じた。テーブルに開いたアルバムには、中学生の琴美がありさと写っている。
有紗はまじまじと眺めた。
初めて見る母の若い頃、親友と称される少女の顔に見入る。
琴美の方は今も面影がある。少し当時の方が太っているかもしれない。
そして親友のありさ。
卵形の顔に、胸まで伸びた茶色の髪。はにかむように笑っていた。
「あんたが中学の入学式の日に家に連れてきたんだよ。それからもう、姉妹のように一緒にいて。どっちも一人っ子だったから」
吉野(よしの)ありさ。それが親友の名前だった。
「これが修学旅行に行った時の写真。いっつも二人で映ってるから、どこの風景でも意味ないね、ってよく笑ってた」
有紗もまた、祖母が楽しそうに話すのを見るのは初めてだった。昔、会った時には、幼いながら異様さを感じた。その時は祖母が母を嫌っているのだと思った。でも真実は逆だった。母が祖母を寄せ付けなかったのだ。
「どうしたの?有紗ちゃん」
「ううん。これが親子ってものかなって」
「何言ってんの、今さら」
由香里が笑って答える。
おそらく祖母は、自分と琴美のことを指していると思っただろう。だがそれは有紗にとっても同じだった。
感覚的になじむことを知ると、それまで信じていたものが揺らぐ。
それは肌で触れてみて初めてわかるものだ。違うと気づいてしまうと、もう受け入れられない。優子は母ではなかった。祖母の娘でもなかった。当然のように三崎琴美の姿をして存在していたけれど、わが家にとって侵入者でしかなかった。
一体優子は誰なのだろう?母の体内で生まれた?それともどこか別の場所から来た?
「ね、ママ。これって歌やってた時の?」
本棚に挿してあったファイルを広げる。楽譜や歌詞が書かれたメモが挟まっていた。
琴美は震える指で楽譜を追う。四分音符、二拍待って全音符。音をつないで歌おうとする。だがメロディを思い出せず声にならない。
有紗がメモを読み上げる。歌詞のようだった。
いつも一緒だったね それが当たり前だった
白い息が煙るあの場所で 僕らたくさんの夢を話した
透きとおった時間 すべてが宝物
もう君は帰らない 遠い記憶
「これ、私一体いつ書いたんだろう?」
メモを裏返してみる。どこを見ても日付は書かれていない。
歌詞からはありさの死が読み取れる。ならばいつ?
「おばあちゃん、ありささんは何が原因で亡くなったの?」
二十歳前のいたましい死。事故なのか病気なのか。
「白血病だった。あんなに元気で明るい子がねえ。看護師を目指していて、実習中の血液検査からわかったんだ。若いから進行が早くてね」
思い出すと由香里は涙ぐんだ。
「あんたはちょうどテレビに出始めた頃で、急に忙しくなったからこっちに帰るのもままならなくて。ありさちゃんは隠しておきたかったんだね。手紙をやりとりしていたのに、あんたにも秘密にしてたようだよ。直接会った時に言おうとしていたみたい。実際会えたのは、亡くなる一ヶ月前くらいだと思う」
「それって、三月二十二日?」
琴美は恐る恐る尋ねた。
「さあ、日にちは覚えてないけれど今くらいの時期だったね。あんたは朝早く飛び出て、電車で会いに行ったよ」
時計を見る。そろそろ移動の時間だ。
駅で祖母に見送られ、二人は西方面の駅へと向かう。
三月の夕日はすでに傾き始め、長い影を作っていた。二駅乗った先で降りて数分歩く。
すぐにありさの家が見えてきた。
呼び鈴を押すと、白髪混じりの婦人が目を細めて出迎えた。由香里がすでに連絡していたようだ。
「琴美ちゃん、本当にお久しぶりね。そちらは娘さん?」
「有紗です」
名乗ると一瞬、動揺が見えた。
庭で野良仕事をしていた母・由香里(ゆかり)は、ぶっきらぼうな口調で迎えた。
「お母さん、わかる?私だよ。琴美」
じわっと涙を溜め、二十年近くの時を経た再会に歓喜して見せた。
「……琴美、琴美だね?」
由香里にも、気づきがあった。
抱えていた農作物を地面へと放って、じっと娘と向かい合った。
「ホント、親不孝しっぱなしでごめんなさい。やっと、帰りました」
琴美は途中から涙声になる。
これは、自分が知っている本当の娘、だ。あの、葬式のときのよそよそしい女ではなくて。
うっ、と、込み上げるものを抑えるように駆け寄った。
「琴美。琴美なんだね?本当に、琴美……」
頬ずりまでして、抱きしめた。
琴美の方も、涙を流しながらされるままになった。
「ごめんなさい。きっと母さんには、ずっと寂しい思いをさせてきたと思う」
しばし見つめ合った後、琴美の荷物を持ち上げて家へ導いた。
「入んなさい。散らかってるけど」
二十年ぶりの実家は、すべてが記憶のままに年月を重ね古びていた。居間の隣の部屋には、亡父の仏壇が置かれていた。
「父さんはいつ亡くなったんだっけ」
「何言ってんの。今年で六年になるよ」
「……ママ」
有紗が割って入ろうとする。琴美には、母にはこうなった理由があるから。
「いいの。正直に言うから」
琴美はそう言うと大きく深呼吸をして、母と向き合った。
「私、ずっと黙っていたけど記憶があやふやなの。あの事故からずっと」
「事故、って。車の事故のことかい?あんた、結婚前でまだ二十歳そこそこだったじゃない。ありさちゃんも亡くなってすぐで」
「ありさ……やっぱり死んでいたの?」
琴美の表情が落胆へ変わり、悲しみを帯びる。
知りたくはなかった、でも避けずに通れない事実。
「いやだねえ、あんたはお葬式も出たし、半月くらい仕事も手に着かずにここでぼうっとしていたよ」
「全然思い出せないの。事故のことも、その後のこともずっと断片的で」
「だけど今まで、アナウンサーをきちんとやってきたじゃないか。今まで普通に過ごせてきたのに今更、何で」
「治ってないのよ、事故の時から。父さんの葬儀の時もおかしいと思ってたはずよ。私、記憶がないもの」
母はすっと立ち上がると、襖を開けた。
「あんたが上京するまでいた部屋、机の中は手つかずで残っているはずだよ。私も家を放った薄情な娘の部屋なんて処分すれば良かったけど、なかなか片づけられなくて」
小さな部屋には机とタンス、少女の好みそうな色調で統一されたファブリックが並んでいた。
「あんたは結婚してから人が違ったようだった。私やお父さんのこと、故郷のこと、ありさちゃんのことさえすっぱりと忘れてしまった。何より大好きでたまらなかった、歌を辞めたのが解せなかった。帰ってくる度、何度話しても変な感じが拭えなくて。でも今のあんたは、私が知っているあんただよ」
「母さん……」
「ありさちゃんのおばさんは夕方帰ってくると思うから、家を尋ねるといい。それまではここで少し話でもしておくれ。私だって”あんた”と会うのは二十年ぶりなんだから」
わだかまりの消えた母は、かいがいしく世話を焼いては昔話に興じた。テーブルに開いたアルバムには、中学生の琴美がありさと写っている。
有紗はまじまじと眺めた。
初めて見る母の若い頃、親友と称される少女の顔に見入る。
琴美の方は今も面影がある。少し当時の方が太っているかもしれない。
そして親友のありさ。
卵形の顔に、胸まで伸びた茶色の髪。はにかむように笑っていた。
「あんたが中学の入学式の日に家に連れてきたんだよ。それからもう、姉妹のように一緒にいて。どっちも一人っ子だったから」
吉野(よしの)ありさ。それが親友の名前だった。
「これが修学旅行に行った時の写真。いっつも二人で映ってるから、どこの風景でも意味ないね、ってよく笑ってた」
有紗もまた、祖母が楽しそうに話すのを見るのは初めてだった。昔、会った時には、幼いながら異様さを感じた。その時は祖母が母を嫌っているのだと思った。でも真実は逆だった。母が祖母を寄せ付けなかったのだ。
「どうしたの?有紗ちゃん」
「ううん。これが親子ってものかなって」
「何言ってんの、今さら」
由香里が笑って答える。
おそらく祖母は、自分と琴美のことを指していると思っただろう。だがそれは有紗にとっても同じだった。
感覚的になじむことを知ると、それまで信じていたものが揺らぐ。
それは肌で触れてみて初めてわかるものだ。違うと気づいてしまうと、もう受け入れられない。優子は母ではなかった。祖母の娘でもなかった。当然のように三崎琴美の姿をして存在していたけれど、わが家にとって侵入者でしかなかった。
一体優子は誰なのだろう?母の体内で生まれた?それともどこか別の場所から来た?
「ね、ママ。これって歌やってた時の?」
本棚に挿してあったファイルを広げる。楽譜や歌詞が書かれたメモが挟まっていた。
琴美は震える指で楽譜を追う。四分音符、二拍待って全音符。音をつないで歌おうとする。だがメロディを思い出せず声にならない。
有紗がメモを読み上げる。歌詞のようだった。
いつも一緒だったね それが当たり前だった
白い息が煙るあの場所で 僕らたくさんの夢を話した
透きとおった時間 すべてが宝物
もう君は帰らない 遠い記憶
「これ、私一体いつ書いたんだろう?」
メモを裏返してみる。どこを見ても日付は書かれていない。
歌詞からはありさの死が読み取れる。ならばいつ?
「おばあちゃん、ありささんは何が原因で亡くなったの?」
二十歳前のいたましい死。事故なのか病気なのか。
「白血病だった。あんなに元気で明るい子がねえ。看護師を目指していて、実習中の血液検査からわかったんだ。若いから進行が早くてね」
思い出すと由香里は涙ぐんだ。
「あんたはちょうどテレビに出始めた頃で、急に忙しくなったからこっちに帰るのもままならなくて。ありさちゃんは隠しておきたかったんだね。手紙をやりとりしていたのに、あんたにも秘密にしてたようだよ。直接会った時に言おうとしていたみたい。実際会えたのは、亡くなる一ヶ月前くらいだと思う」
「それって、三月二十二日?」
琴美は恐る恐る尋ねた。
「さあ、日にちは覚えてないけれど今くらいの時期だったね。あんたは朝早く飛び出て、電車で会いに行ったよ」
時計を見る。そろそろ移動の時間だ。
駅で祖母に見送られ、二人は西方面の駅へと向かう。
三月の夕日はすでに傾き始め、長い影を作っていた。二駅乗った先で降りて数分歩く。
すぐにありさの家が見えてきた。
呼び鈴を押すと、白髪混じりの婦人が目を細めて出迎えた。由香里がすでに連絡していたようだ。
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