不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

文字の大きさ
1 / 91

【プロローグ】あの執事だけは、敵に回すな

しおりを挟む
──人生は楽しまなければ損だ。私は、ずっとそう考えて生きてきた。

生まれは子爵家の二男。名門ではないにせよ、多少の遊びは目をつぶられる立場だ。それに、人生を謳歌するために生まれてきたような私が、遊ばずして何をするというのか。

そんな私に、ある日突然、叔母が縁談を持ってきた。

「良いお話がありますのよ」

叔母はそう言って微笑んだが、その真意を私は知っている。
つまり、「お前もそろそろ落ち着け」という一族の意思表示だろう。正直、結婚相手になど興味はなかったが、相手の家柄を聞いて、私は少し考えを改めた。

相手は地方の小さな男爵家の令嬢。地位はうちよりも下、財産もさほどないという話だった。だが、屋敷を訪れてみて、正直驚いた。

──どこが田舎の小男爵だ?

庭は見事なほど整備され、屋敷の調度品には品の良さが漂い、使用人たちの動きも洗練されている。何より、私を出迎えた執事──クロードという男の姿が、強烈な印象を与えた。

すらりと背が高く、仕立ての良い執事服を完璧に着こなし、艶のある黒髪をきっちりと撫でつけている。その瞳は、妙に紅く輝き、まるで人間離れした美しさすら感じさせた。

彼は深々とお辞儀をして私を迎え入れた。

「ようこそお越しくださいました、子爵家のご子息様」

丁寧な物腰だったが、その目はまるで私の心の底を見透かしているようで、初めて背筋が震えた。

だが、私がもっと驚いたのは、その家の令嬢だった。
美しく聡明で、私が遊び半分で付き合ってきた令嬢たちとはまるで違った。私の心に、柄にもなく本気で惹かれる感情が生まれかけていたほどだ。

──これは、良い縁談かもしれない。

そう思い、私は何度か屋敷を訪れ、令嬢との仲を深めていった。

しかし、そんなある日だった。
私が夜の街で遊んでいるところに、突然彼が現れたのだ。

「こんばんは、子爵家のご子息様」

闇の中から静かに現れたのは、あの執事、クロードだった。
執事服のまま、路地裏で優雅に立つその姿は、まったく場違いだった。

「……クロード? なぜこんなところに……?」

私は動揺を隠せなかった。
しかし彼は微笑を絶やさぬまま、冷淡な声で言い放った。

「申し訳ありませんが、あなたにはお嬢様との婚約を破棄していただきたく存じます」

「……は?」

「ご子息様の、社交界における評判を調べさせていただきました。なかなかにお盛んなご様子で」

そう言うと、彼は一枚の書類を差し出した。そこには、私がこれまで密かに関係を持ってきた女性たちの名前が羅列され、どこでどのように関係を持ったのかまで、克明に記されていた。

「なっ……!?」

声が震える。

「身の程を弁えていただけますか? そのような身持ちでお嬢様に近づくなど、言語道断です」

「お前……たかが執事の分際で、貴族に意見するつもりか!?」

私は怒鳴った。
だがクロードは冷静そのものだった。

「ええ。ただの執事です。ですが──」

その瞬間、彼の瞳が鋭く赤く光ったように見えた。

「お嬢様の幸せを脅かす存在は、どなたであろうと容赦いたしません」

その瞬間、私の身体に鳥肌が立った。
この男は本気で私を潰すつもりだ。それを直感した。

「……わ、わかったよ」

私は後ずさりながら声を絞り出した。

「この縁談は取り消す。もう近づかない。だから、これ以上俺に関わるな!」

「ご賢明です、ご子息様」

クロードは穏やかな微笑みに戻り、一礼すると、音もなく闇に溶けるように去っていった。

私は、その場に崩れるように座り込んだ。
震える手を見つめながら、一つの真実を悟る。

──あの執事だけは、敵に回してはいけない…!

後日、私は慌てて叔母に縁談を破棄すると伝えた。
彼女は呆れたように私を見て、「だからあなたはいつまでたっても落ち着かないのよ」と言ったが、何も知らない叔母に何が言えるというのだ。

あの日から私は、社交界で少しでも妙な噂を耳にすると、背筋が凍るようになった。
まるで、どこかの暗がりから、あの赤い瞳が私を監視しているような気がしてならないのだ。

──これが、私が人生で最も震え上がった出来事の顛末である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...