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【プロローグ】あの執事だけは、敵に回すな
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──人生は楽しまなければ損だ。私は、ずっとそう考えて生きてきた。
生まれは子爵家の二男。名門ではないにせよ、多少の遊びは目をつぶられる立場だ。それに、人生を謳歌するために生まれてきたような私が、遊ばずして何をするというのか。
そんな私に、ある日突然、叔母が縁談を持ってきた。
「良いお話がありますのよ」
叔母はそう言って微笑んだが、その真意を私は知っている。
つまり、「お前もそろそろ落ち着け」という一族の意思表示だろう。正直、結婚相手になど興味はなかったが、相手の家柄を聞いて、私は少し考えを改めた。
相手は地方の小さな男爵家の令嬢。地位はうちよりも下、財産もさほどないという話だった。だが、屋敷を訪れてみて、正直驚いた。
──どこが田舎の小男爵だ?
庭は見事なほど整備され、屋敷の調度品には品の良さが漂い、使用人たちの動きも洗練されている。何より、私を出迎えた執事──クロードという男の姿が、強烈な印象を与えた。
すらりと背が高く、仕立ての良い執事服を完璧に着こなし、艶のある黒髪をきっちりと撫でつけている。その瞳は、妙に紅く輝き、まるで人間離れした美しさすら感じさせた。
彼は深々とお辞儀をして私を迎え入れた。
「ようこそお越しくださいました、子爵家のご子息様」
丁寧な物腰だったが、その目はまるで私の心の底を見透かしているようで、初めて背筋が震えた。
だが、私がもっと驚いたのは、その家の令嬢だった。
美しく聡明で、私が遊び半分で付き合ってきた令嬢たちとはまるで違った。私の心に、柄にもなく本気で惹かれる感情が生まれかけていたほどだ。
──これは、良い縁談かもしれない。
そう思い、私は何度か屋敷を訪れ、令嬢との仲を深めていった。
しかし、そんなある日だった。
私が夜の街で遊んでいるところに、突然彼が現れたのだ。
「こんばんは、子爵家のご子息様」
闇の中から静かに現れたのは、あの執事、クロードだった。
執事服のまま、路地裏で優雅に立つその姿は、まったく場違いだった。
「……クロード? なぜこんなところに……?」
私は動揺を隠せなかった。
しかし彼は微笑を絶やさぬまま、冷淡な声で言い放った。
「申し訳ありませんが、あなたにはお嬢様との婚約を破棄していただきたく存じます」
「……は?」
「ご子息様の、社交界における評判を調べさせていただきました。なかなかにお盛んなご様子で」
そう言うと、彼は一枚の書類を差し出した。そこには、私がこれまで密かに関係を持ってきた女性たちの名前が羅列され、どこでどのように関係を持ったのかまで、克明に記されていた。
「なっ……!?」
声が震える。
「身の程を弁えていただけますか? そのような身持ちでお嬢様に近づくなど、言語道断です」
「お前……たかが執事の分際で、貴族に意見するつもりか!?」
私は怒鳴った。
だがクロードは冷静そのものだった。
「ええ。ただの執事です。ですが──」
その瞬間、彼の瞳が鋭く赤く光ったように見えた。
「お嬢様の幸せを脅かす存在は、どなたであろうと容赦いたしません」
その瞬間、私の身体に鳥肌が立った。
この男は本気で私を潰すつもりだ。それを直感した。
「……わ、わかったよ」
私は後ずさりながら声を絞り出した。
「この縁談は取り消す。もう近づかない。だから、これ以上俺に関わるな!」
「ご賢明です、ご子息様」
クロードは穏やかな微笑みに戻り、一礼すると、音もなく闇に溶けるように去っていった。
私は、その場に崩れるように座り込んだ。
震える手を見つめながら、一つの真実を悟る。
──あの執事だけは、敵に回してはいけない…!
後日、私は慌てて叔母に縁談を破棄すると伝えた。
彼女は呆れたように私を見て、「だからあなたはいつまでたっても落ち着かないのよ」と言ったが、何も知らない叔母に何が言えるというのだ。
あの日から私は、社交界で少しでも妙な噂を耳にすると、背筋が凍るようになった。
まるで、どこかの暗がりから、あの赤い瞳が私を監視しているような気がしてならないのだ。
──これが、私が人生で最も震え上がった出来事の顛末である。
生まれは子爵家の二男。名門ではないにせよ、多少の遊びは目をつぶられる立場だ。それに、人生を謳歌するために生まれてきたような私が、遊ばずして何をするというのか。
そんな私に、ある日突然、叔母が縁談を持ってきた。
「良いお話がありますのよ」
叔母はそう言って微笑んだが、その真意を私は知っている。
つまり、「お前もそろそろ落ち着け」という一族の意思表示だろう。正直、結婚相手になど興味はなかったが、相手の家柄を聞いて、私は少し考えを改めた。
相手は地方の小さな男爵家の令嬢。地位はうちよりも下、財産もさほどないという話だった。だが、屋敷を訪れてみて、正直驚いた。
──どこが田舎の小男爵だ?
庭は見事なほど整備され、屋敷の調度品には品の良さが漂い、使用人たちの動きも洗練されている。何より、私を出迎えた執事──クロードという男の姿が、強烈な印象を与えた。
すらりと背が高く、仕立ての良い執事服を完璧に着こなし、艶のある黒髪をきっちりと撫でつけている。その瞳は、妙に紅く輝き、まるで人間離れした美しさすら感じさせた。
彼は深々とお辞儀をして私を迎え入れた。
「ようこそお越しくださいました、子爵家のご子息様」
丁寧な物腰だったが、その目はまるで私の心の底を見透かしているようで、初めて背筋が震えた。
だが、私がもっと驚いたのは、その家の令嬢だった。
美しく聡明で、私が遊び半分で付き合ってきた令嬢たちとはまるで違った。私の心に、柄にもなく本気で惹かれる感情が生まれかけていたほどだ。
──これは、良い縁談かもしれない。
そう思い、私は何度か屋敷を訪れ、令嬢との仲を深めていった。
しかし、そんなある日だった。
私が夜の街で遊んでいるところに、突然彼が現れたのだ。
「こんばんは、子爵家のご子息様」
闇の中から静かに現れたのは、あの執事、クロードだった。
執事服のまま、路地裏で優雅に立つその姿は、まったく場違いだった。
「……クロード? なぜこんなところに……?」
私は動揺を隠せなかった。
しかし彼は微笑を絶やさぬまま、冷淡な声で言い放った。
「申し訳ありませんが、あなたにはお嬢様との婚約を破棄していただきたく存じます」
「……は?」
「ご子息様の、社交界における評判を調べさせていただきました。なかなかにお盛んなご様子で」
そう言うと、彼は一枚の書類を差し出した。そこには、私がこれまで密かに関係を持ってきた女性たちの名前が羅列され、どこでどのように関係を持ったのかまで、克明に記されていた。
「なっ……!?」
声が震える。
「身の程を弁えていただけますか? そのような身持ちでお嬢様に近づくなど、言語道断です」
「お前……たかが執事の分際で、貴族に意見するつもりか!?」
私は怒鳴った。
だがクロードは冷静そのものだった。
「ええ。ただの執事です。ですが──」
その瞬間、彼の瞳が鋭く赤く光ったように見えた。
「お嬢様の幸せを脅かす存在は、どなたであろうと容赦いたしません」
その瞬間、私の身体に鳥肌が立った。
この男は本気で私を潰すつもりだ。それを直感した。
「……わ、わかったよ」
私は後ずさりながら声を絞り出した。
「この縁談は取り消す。もう近づかない。だから、これ以上俺に関わるな!」
「ご賢明です、ご子息様」
クロードは穏やかな微笑みに戻り、一礼すると、音もなく闇に溶けるように去っていった。
私は、その場に崩れるように座り込んだ。
震える手を見つめながら、一つの真実を悟る。
──あの執事だけは、敵に回してはいけない…!
後日、私は慌てて叔母に縁談を破棄すると伝えた。
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あの日から私は、社交界で少しでも妙な噂を耳にすると、背筋が凍るようになった。
まるで、どこかの暗がりから、あの赤い瞳が私を監視しているような気がしてならないのだ。
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