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執事は雄弁に沈黙する
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──私のせいではない。断じて。いや、断固として、である。
そう心の中で言い切るたびに、なぜか己の胸に鋭く突き刺さる何かがあるが、それはまったくの無関係だ。
お嬢様がまたしても婚約破棄をされ、部屋の隅で膝を抱えて沈んでいるのは私のせいではない。決して、決して。なぜなら私はただの執事──いや、元蜘蛛の執事に過ぎないからだ。
「──私のせいです。申し訳ございません、お嬢様」
口をついて出た謝罪の言葉に、私は内心で舌打ちをする。謝ってはいけないのだ。謝罪はすなわち、暗黙の自白だ。私は悪くない。
けれど、目の前で震える小さな肩を見てしまうと、勝手に口が動いてしまうのだ。蜘蛛としての八本の脚を捨てて、魔女に二本の腕と二本の脚を願ったのが運の尽きだった。
お嬢様はふるりと肩を揺らし、顔を上げた。
真っ赤な目。泣き腫らした目だ。なんという残酷な美しさだろうか。この世の美が涙を通してより際立つとしても、私は彼女を永久に泣かせたくない。
だが、それは果たしてお嬢様のためなのか、それとも私自身の罪悪感の消滅を願っているのか。いやいや、違う違う違う違う。私はただ忠実な執事であり、彼女の涙を止めるために存在しているだけなのだ。
「また……だめだったわ、クロード」
お嬢様の声は小さく、まるで糸を手繰るような儚さがあった。その糸の先に蜘蛛がいると知ったなら、彼女はどうするだろう。切り落とすか、絡め取られるか。
だが、その問いに答えはない。なぜなら、私は絶対に真実を明かさない。愛とは沈黙であり、嘘の中で生きる覚悟なのだ。
「お嬢様、恐れながら……そのような男、こちらからお断りする価値もございません!」
誇張ではなく真実だ。
あの馬鹿どもは、何を勘違いしたのか身の程知らずにもお嬢様に求婚した挙句、彼女に向かって「あなたのそばにいる執事の視線がどうにも恐ろしくて……」などと弱音を吐いて逃げていく。
私を恐れる?当然だ。奴らは動物的な本能で察知しているのだ。この優雅な背広の下にうごめく、悪夢のような悪意を。
「それに、私はどこまでもお嬢様についてまいりますので」
この一言で、お嬢様は少しだけ目を見開いた。ほんの少し、光が戻った気がする。そう、その光を守り続けるために、私は生まれ変わったのだ。八本の脚を失い、二本の腕を得て、心の片隅に余計な感情を飼うことになった。だが、それもまた幸福だ。
「……クロードは、どうしてそんなに優しいの?」
お嬢様の問いは純粋だ。純粋すぎて、蜘蛛ごときには毒だ。
私は笑みを浮かべる。心臓を刺されても主人に微笑むのは、執事の基本である。だが、その答えを言うわけにはいかない。執事の務めとは秘密を守ることだ。
そしてその秘密の中身が、彼女をどれほど愛しているかという愚かな想いであっても。
「お嬢様には、笑っていてほしいのです」
そう言い切った瞬間、胸の奥が軋む。見てほしいとは言えない。彼女の隣にいたいとも言えない。ただ笑っていてほしい──まるで偽善者のような言葉を吐き出しながらも、それが今の私の全てだ。お嬢様は、小さなため息をついた。そして少しだけ微笑む。
「……ありがとう、クロード」
その笑顔を見た瞬間、私は決意を新たにした。たとえ婚約者たちが次々と逃げ去ろうとも、私はその真相を語らない。どれだけ彼女の幸せを願おうとも、私が元蜘蛛であることを明かせば、彼女は恐怖するに違いないのだ。沈黙とは罪だ。しかし、罪を背負うことこそが彼女を守る唯一の方法なのだ。
「どういたしまして、お嬢様」
そう言いながら、私は心の中でそっと誓った。次に現れる求婚者もまた、私の悪意を目にして震え上がらせるとしても──お嬢様の微笑みを曇らせることは決して許さないと。
そう心の中で言い切るたびに、なぜか己の胸に鋭く突き刺さる何かがあるが、それはまったくの無関係だ。
お嬢様がまたしても婚約破棄をされ、部屋の隅で膝を抱えて沈んでいるのは私のせいではない。決して、決して。なぜなら私はただの執事──いや、元蜘蛛の執事に過ぎないからだ。
「──私のせいです。申し訳ございません、お嬢様」
口をついて出た謝罪の言葉に、私は内心で舌打ちをする。謝ってはいけないのだ。謝罪はすなわち、暗黙の自白だ。私は悪くない。
けれど、目の前で震える小さな肩を見てしまうと、勝手に口が動いてしまうのだ。蜘蛛としての八本の脚を捨てて、魔女に二本の腕と二本の脚を願ったのが運の尽きだった。
お嬢様はふるりと肩を揺らし、顔を上げた。
真っ赤な目。泣き腫らした目だ。なんという残酷な美しさだろうか。この世の美が涙を通してより際立つとしても、私は彼女を永久に泣かせたくない。
だが、それは果たしてお嬢様のためなのか、それとも私自身の罪悪感の消滅を願っているのか。いやいや、違う違う違う違う。私はただ忠実な執事であり、彼女の涙を止めるために存在しているだけなのだ。
「また……だめだったわ、クロード」
お嬢様の声は小さく、まるで糸を手繰るような儚さがあった。その糸の先に蜘蛛がいると知ったなら、彼女はどうするだろう。切り落とすか、絡め取られるか。
だが、その問いに答えはない。なぜなら、私は絶対に真実を明かさない。愛とは沈黙であり、嘘の中で生きる覚悟なのだ。
「お嬢様、恐れながら……そのような男、こちらからお断りする価値もございません!」
誇張ではなく真実だ。
あの馬鹿どもは、何を勘違いしたのか身の程知らずにもお嬢様に求婚した挙句、彼女に向かって「あなたのそばにいる執事の視線がどうにも恐ろしくて……」などと弱音を吐いて逃げていく。
私を恐れる?当然だ。奴らは動物的な本能で察知しているのだ。この優雅な背広の下にうごめく、悪夢のような悪意を。
「それに、私はどこまでもお嬢様についてまいりますので」
この一言で、お嬢様は少しだけ目を見開いた。ほんの少し、光が戻った気がする。そう、その光を守り続けるために、私は生まれ変わったのだ。八本の脚を失い、二本の腕を得て、心の片隅に余計な感情を飼うことになった。だが、それもまた幸福だ。
「……クロードは、どうしてそんなに優しいの?」
お嬢様の問いは純粋だ。純粋すぎて、蜘蛛ごときには毒だ。
私は笑みを浮かべる。心臓を刺されても主人に微笑むのは、執事の基本である。だが、その答えを言うわけにはいかない。執事の務めとは秘密を守ることだ。
そしてその秘密の中身が、彼女をどれほど愛しているかという愚かな想いであっても。
「お嬢様には、笑っていてほしいのです」
そう言い切った瞬間、胸の奥が軋む。見てほしいとは言えない。彼女の隣にいたいとも言えない。ただ笑っていてほしい──まるで偽善者のような言葉を吐き出しながらも、それが今の私の全てだ。お嬢様は、小さなため息をついた。そして少しだけ微笑む。
「……ありがとう、クロード」
その笑顔を見た瞬間、私は決意を新たにした。たとえ婚約者たちが次々と逃げ去ろうとも、私はその真相を語らない。どれだけ彼女の幸せを願おうとも、私が元蜘蛛であることを明かせば、彼女は恐怖するに違いないのだ。沈黙とは罪だ。しかし、罪を背負うことこそが彼女を守る唯一の方法なのだ。
「どういたしまして、お嬢様」
そう言いながら、私は心の中でそっと誓った。次に現れる求婚者もまた、私の悪意を目にして震え上がらせるとしても──お嬢様の微笑みを曇らせることは決して許さないと。
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