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【男爵視点】壊れた家族──『愛は誰のためにあったのか』
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──後悔というものは、いつだって気づいたときにはすでに遅すぎる。
アルフォンスは力なく椅子に沈み込み、疲れ切った瞳で私たちを見つめていた。その瞳には、言葉にならない苦悩と後悔が滲んでいる。
「私は、それでもいつか、仲の良い家族になれるかもしれないと信じていたんだ」
彼の声は弱々しく、まるで自分自身に語りかけるようだった。
「ある日、視察の帰りに市場で美しい蝶の髪飾りを見つけた。ティタが蝶を好きだと知っていたから、迷わずそれを買ったんだ。帰宅すると、ティタはその小さな贈り物を受け取って目を輝かせ、『ありがとう、お父様』と心からの笑顔を見せてくれた」
表情が少しだけ柔らかくなる。
「……その後ティタは恥ずかしそうに、頬を赤らめて私にこう言ったんだ。『お母様がね、教えてくれたの。女の子はお礼に、ちゃんと男の人に“してあげなきゃ”いけないって……だから今日は特別なキス、してあげても良いよ?』と……私は、全身の血が逆流したかと思った」
その言葉に、私は内心動揺した。アルフォンスの顔が苦しそうに歪み、彼が当時受けたであろう痛ましい衝撃を私も少なからず感じ取った。
「その無邪気な言葉に、私は直感的に悟った。ジュリエットがティタに何を吹き込んでいたのかを。あの子自身には他意なんて微塵もなく、ただ母親に言われたことを忠実に守ろうとしていただけなんだと……」
アルフォンスの声は震え、その目元がうっすらと濡れているように見えた。
「気づけば私はティタを強く抱きしめていた。『もうそんなことはしなくていい』と、心から伝えたくて。それからすぐに、ジュリエットの部屋へ向かったんだ」
彼の言葉は、部屋の空気を一層重苦しいものに変えた。
「ジュリエットに離婚を告げると、最初彼女はしらばっくれて笑っていた。『何を言っているの?』と、まるで自分がまったく関係ないかのような態度だった」
アルフォンスの握った拳が、膝の上でかすかに震えている。
「けれど、私が『これ以上、ティタを傷つけるのは絶対に許さない』と言った瞬間、彼女は豹変した。怒り狂って叫び出したんだ。『はあ?証拠はあるの!?傷ついたのは私の方よ!大体、私がどれだけあんたのために我慢したと思っているの!!』と。まるで自分が被害者であるかのように」
私はアルフォンスの心痛に深く共感した。彼が抱えてきた苦悩と絶望が、その言葉から嫌でも伝わってきたからだ。
「その後、ジュリエットはティタの前でこう言った。『あなたのお父様が私を信じないから、ここを出ていきます。さよなら、もう二度と会わないわ』と。ティタは泣きながら母親にすがり、『お母様、お願いだから行かないで!』と必死に叫んだ。ジュリエットは振り返ることもなく部屋を出て行った」
アルフォンスは一瞬、目を閉じた。
「ティタの泣き声は今でも耳に残っている。私はただ彼女を抱きしめ、『大丈夫だ』としか言えなかった。けれど、ティタの目にはきっと、私が母親を追い出した悪人として映っていたのだろう」
彼の言葉が終わると、部屋に重い沈黙が落ちた。私もクロードも言葉を失い、ただアルフォンスの語る悲劇に耳を傾けるしかなかった。
「……それから数ヶ月も経たないうちだった。ジュリエットが、浮気相手の一人に刺されて亡くなったと報せが届いたのは」
アルフォンスの声はひどく乾いていた。怒りも悲しみもとうに使い果たしたあとの、空虚な響きだった。
「そのときティタは……私を、冷たい目で見た。『お父様のせいだ。お父様がお母様を信じて追い出さなければ、死ぬことはなかった』と……」
私の胸がぎゅっと締め付けられた。彼は、どれだけその言葉に苦しめられてきたのだろう。
アルフォンスと私は長い付き合いだ。互いの無様も、愚かさも、少しは知っているつもりだった。だが、今語られた過去の重さは、想像していた以上だった。
「……家族ってのは、難しいもんだな」
私はぽつりと呟いた。心の底に、静かに痛みが沈んでいくのを感じながら。
彼の語る地獄のような日々を、たった一言で癒せる言葉など持ち合わせていない。ただ、ここにいることが、せめてもの支えになればと願った。
アルフォンスは力なく椅子に沈み込み、疲れ切った瞳で私たちを見つめていた。その瞳には、言葉にならない苦悩と後悔が滲んでいる。
「私は、それでもいつか、仲の良い家族になれるかもしれないと信じていたんだ」
彼の声は弱々しく、まるで自分自身に語りかけるようだった。
「ある日、視察の帰りに市場で美しい蝶の髪飾りを見つけた。ティタが蝶を好きだと知っていたから、迷わずそれを買ったんだ。帰宅すると、ティタはその小さな贈り物を受け取って目を輝かせ、『ありがとう、お父様』と心からの笑顔を見せてくれた」
表情が少しだけ柔らかくなる。
「……その後ティタは恥ずかしそうに、頬を赤らめて私にこう言ったんだ。『お母様がね、教えてくれたの。女の子はお礼に、ちゃんと男の人に“してあげなきゃ”いけないって……だから今日は特別なキス、してあげても良いよ?』と……私は、全身の血が逆流したかと思った」
その言葉に、私は内心動揺した。アルフォンスの顔が苦しそうに歪み、彼が当時受けたであろう痛ましい衝撃を私も少なからず感じ取った。
「その無邪気な言葉に、私は直感的に悟った。ジュリエットがティタに何を吹き込んでいたのかを。あの子自身には他意なんて微塵もなく、ただ母親に言われたことを忠実に守ろうとしていただけなんだと……」
アルフォンスの声は震え、その目元がうっすらと濡れているように見えた。
「気づけば私はティタを強く抱きしめていた。『もうそんなことはしなくていい』と、心から伝えたくて。それからすぐに、ジュリエットの部屋へ向かったんだ」
彼の言葉は、部屋の空気を一層重苦しいものに変えた。
「ジュリエットに離婚を告げると、最初彼女はしらばっくれて笑っていた。『何を言っているの?』と、まるで自分がまったく関係ないかのような態度だった」
アルフォンスの握った拳が、膝の上でかすかに震えている。
「けれど、私が『これ以上、ティタを傷つけるのは絶対に許さない』と言った瞬間、彼女は豹変した。怒り狂って叫び出したんだ。『はあ?証拠はあるの!?傷ついたのは私の方よ!大体、私がどれだけあんたのために我慢したと思っているの!!』と。まるで自分が被害者であるかのように」
私はアルフォンスの心痛に深く共感した。彼が抱えてきた苦悩と絶望が、その言葉から嫌でも伝わってきたからだ。
「その後、ジュリエットはティタの前でこう言った。『あなたのお父様が私を信じないから、ここを出ていきます。さよなら、もう二度と会わないわ』と。ティタは泣きながら母親にすがり、『お母様、お願いだから行かないで!』と必死に叫んだ。ジュリエットは振り返ることもなく部屋を出て行った」
アルフォンスは一瞬、目を閉じた。
「ティタの泣き声は今でも耳に残っている。私はただ彼女を抱きしめ、『大丈夫だ』としか言えなかった。けれど、ティタの目にはきっと、私が母親を追い出した悪人として映っていたのだろう」
彼の言葉が終わると、部屋に重い沈黙が落ちた。私もクロードも言葉を失い、ただアルフォンスの語る悲劇に耳を傾けるしかなかった。
「……それから数ヶ月も経たないうちだった。ジュリエットが、浮気相手の一人に刺されて亡くなったと報せが届いたのは」
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私の胸がぎゅっと締め付けられた。彼は、どれだけその言葉に苦しめられてきたのだろう。
アルフォンスと私は長い付き合いだ。互いの無様も、愚かさも、少しは知っているつもりだった。だが、今語られた過去の重さは、想像していた以上だった。
「……家族ってのは、難しいもんだな」
私はぽつりと呟いた。心の底に、静かに痛みが沈んでいくのを感じながら。
彼の語る地獄のような日々を、たった一言で癒せる言葉など持ち合わせていない。ただ、ここにいることが、せめてもの支えになればと願った。
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