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執事の一分──『優雅なる宣戦』
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──誇りとは他人のために捨てるものではなく、他人のために貫くものである。
「……では、皆様。外に出ましょう」
花が咲き誇る庭園は、まるでこの場の緊張を和らげようとしているかのようだった。春の陽差しは柔らかく、しかし胸の奥のざわめきを抑えるには力が足りない。
私はそっと息を整える。呼吸を乱さず、感情を揺らさず、静かに世界を整えていく。執事とは、そうあるべきものだ。だが──。
「伯爵様」
声をかけると、ティタ嬢の父──アルフォンス伯爵は、微笑すら浮かべずにこちらを見つめていた。その眼差しは冷静で、だが確かに娘を思う強さが宿っている。父親として、そして貴族として、今のこの状況に覚悟を決めている眼だった。
私はその視線を真正面から受け止めたまま、丁寧に頭を下げる。
「この場において、サンゼールとの決闘をお許しいただけますか?」
伯爵は黙したまま、目を伏せることも逸らすこともなく、私の言葉の奥を測るように沈黙した。私の決意が、そこにどれほどの重みを持っているかを、見極める時間だったのだろう。
「……決闘、か」
ようやく絞り出されたその言葉には、簡単には首を縦に振れぬ父親としての複雑さが滲んでいた。
「正当な形式であれば、止める理由もあるまい。ただし、条件次第だ」
その言葉に、私は頷いた。
「ありがとうございます。そして……その勝利条件についても、私にお任せいただけないでしょうか?」
再び、伯爵の瞳が細められる。試されている。私はそれを知っていた。
「君は、自分の言葉が背負う意味をわかっているのかね、クロード君」
「ええ。自覚しております」
「……ならば、任せよう。君に全てを委ねる」
その言葉を得た瞬間、私は初めて深く頭を下げた。軽々しく礼をするのは嫌いだったが、この一礼は、私にとっての誓いであり、伯爵との契約だった。
「サンゼール、前へ」
静かな呼びかけに、彼は少しの戸惑いを見せつつも前に進み出た。姿勢はいつもの通り端正で、表情は静謐そのものだった。
「そういえば、あのとき決着がつきませんでしたね。執事同士の勝負……形式はどうであれ、心のどこかで、あなたと私の間に決着をつける必要があると感じていました」
私が指の関節を鳴らすと、アポロが口角を上げる。
「拳で殴り合って決めたらどうだ、って俺が言ったな」
「ええ。ですから、本日はそれに従いましょう。素手で、執事同士、最後の一勝負といきましょう」
ざわりと、空気が揺れた。
「え、ええっ!?殺し屋を一瞬で倒したクロード先輩と!?そんなの、サンゼール先輩が――」
イワンが青ざめて叫ぶのを、私は軽く手を挙げて制した。
「では、条件を申し上げます」
私は淡々と、しかし聞き逃すまいとする全員の前で声を張った。
「あなたが勝利した場合、伯爵令嬢ティタ・ロベルシュタインと婚約し、彼女を生涯守るという誓いを立てていただきます。私が勝利した場合は──あなたには、我が男爵家の執事として、一生無報酬で奉仕していただきます」
一瞬、空気が張り詰める。庭に吹いた風が、花の香を散らした。
「勝ったら……お嬢様と結婚、ですか」
サンゼールの声は、予想よりも静かだった。しかしその奥には、はっきりと動揺があった。彼の長い睫毛が影を落とし、瞳が僅かに揺れる。私はそれを逃さなかった。
「……ですが、私は、執事です。令嬢と婚姻など……伯爵家の未来を思えば……お嬢様が……」
そんなふうに言い淀む彼を見て、私は微笑んだ。冷ややかにではない。優しくもなかった。どこまでも私らしく、あくまで静かに。
「知ったことではありませんね」
私の言葉に場の空気が凍った。だが私は構わず、言葉を重ねる。
「このまま一人の男として諦めるのですか?アポロ様と結婚した彼女を、他の男のものになった彼女を、あなたは指を咥えて見ているつもりですか?」
サンゼールが目を見開く。反論しようとした唇は、声を成さないまま震えた。
私は一歩、彼に近づいた。陽光を浴びた庭園の花々が、風に揺れる。あまりにも美しい光景だった。まるで、終劇の幕開けに相応しい舞台装置のように。
「これは、慈悲ですよ?」
その言葉に、彼は目を伏せた。私は言葉の刃を、さらに研いでいく。
「愛する女性がお情けで抱かれ、産まれた子供を甲斐甲斐しく世話しながらも、己の名は戸籍のどこにも刻まれず、ただ見守るだけの敗北者として生きる――そのような人生よりも」
私はそこで言葉を切り、少しだけ口元を緩めた。
「……奴隷の方が、まだマシでしょう?」
「……あなたはっ!」
ようやく声を絞り出したサンゼールが、拳を握りしめて私を睨んだ。その目は、怒りと、哀しみと、決意の入り混じった色をしていた。
「愛しているからこそ、身を引くという選択があることを、あなたは知らないのですか!“光織る蜘蛛”の話を、知らないのですか!」
私は薄く笑った。軽蔑ではない。侮りでも、ない。
「ええ、知っていますとも。――だからこそ、私は嫌いです。あの話」
言葉の温度を限りなく低くして、私は言う。
「私は、彼女の傍らにいるためなら、すべてを投げうち、戦うことを選びます。尊厳も誇りも――名前すら捨てて構いません。彼女が選び、彼女が望むのであれば、私は何にでもなりましょう。あの“シオン”のように、祈りながら死ぬのではなく、命を張って、奪い取る側に」
──これは、誇りのための決闘。
そして何より、若人の未来を守るための、執事としての賭けである。
「……では、皆様。外に出ましょう」
花が咲き誇る庭園は、まるでこの場の緊張を和らげようとしているかのようだった。春の陽差しは柔らかく、しかし胸の奥のざわめきを抑えるには力が足りない。
私はそっと息を整える。呼吸を乱さず、感情を揺らさず、静かに世界を整えていく。執事とは、そうあるべきものだ。だが──。
「伯爵様」
声をかけると、ティタ嬢の父──アルフォンス伯爵は、微笑すら浮かべずにこちらを見つめていた。その眼差しは冷静で、だが確かに娘を思う強さが宿っている。父親として、そして貴族として、今のこの状況に覚悟を決めている眼だった。
私はその視線を真正面から受け止めたまま、丁寧に頭を下げる。
「この場において、サンゼールとの決闘をお許しいただけますか?」
伯爵は黙したまま、目を伏せることも逸らすこともなく、私の言葉の奥を測るように沈黙した。私の決意が、そこにどれほどの重みを持っているかを、見極める時間だったのだろう。
「……決闘、か」
ようやく絞り出されたその言葉には、簡単には首を縦に振れぬ父親としての複雑さが滲んでいた。
「正当な形式であれば、止める理由もあるまい。ただし、条件次第だ」
その言葉に、私は頷いた。
「ありがとうございます。そして……その勝利条件についても、私にお任せいただけないでしょうか?」
再び、伯爵の瞳が細められる。試されている。私はそれを知っていた。
「君は、自分の言葉が背負う意味をわかっているのかね、クロード君」
「ええ。自覚しております」
「……ならば、任せよう。君に全てを委ねる」
その言葉を得た瞬間、私は初めて深く頭を下げた。軽々しく礼をするのは嫌いだったが、この一礼は、私にとっての誓いであり、伯爵との契約だった。
「サンゼール、前へ」
静かな呼びかけに、彼は少しの戸惑いを見せつつも前に進み出た。姿勢はいつもの通り端正で、表情は静謐そのものだった。
「そういえば、あのとき決着がつきませんでしたね。執事同士の勝負……形式はどうであれ、心のどこかで、あなたと私の間に決着をつける必要があると感じていました」
私が指の関節を鳴らすと、アポロが口角を上げる。
「拳で殴り合って決めたらどうだ、って俺が言ったな」
「ええ。ですから、本日はそれに従いましょう。素手で、執事同士、最後の一勝負といきましょう」
ざわりと、空気が揺れた。
「え、ええっ!?殺し屋を一瞬で倒したクロード先輩と!?そんなの、サンゼール先輩が――」
イワンが青ざめて叫ぶのを、私は軽く手を挙げて制した。
「では、条件を申し上げます」
私は淡々と、しかし聞き逃すまいとする全員の前で声を張った。
「あなたが勝利した場合、伯爵令嬢ティタ・ロベルシュタインと婚約し、彼女を生涯守るという誓いを立てていただきます。私が勝利した場合は──あなたには、我が男爵家の執事として、一生無報酬で奉仕していただきます」
一瞬、空気が張り詰める。庭に吹いた風が、花の香を散らした。
「勝ったら……お嬢様と結婚、ですか」
サンゼールの声は、予想よりも静かだった。しかしその奥には、はっきりと動揺があった。彼の長い睫毛が影を落とし、瞳が僅かに揺れる。私はそれを逃さなかった。
「……ですが、私は、執事です。令嬢と婚姻など……伯爵家の未来を思えば……お嬢様が……」
そんなふうに言い淀む彼を見て、私は微笑んだ。冷ややかにではない。優しくもなかった。どこまでも私らしく、あくまで静かに。
「知ったことではありませんね」
私の言葉に場の空気が凍った。だが私は構わず、言葉を重ねる。
「このまま一人の男として諦めるのですか?アポロ様と結婚した彼女を、他の男のものになった彼女を、あなたは指を咥えて見ているつもりですか?」
サンゼールが目を見開く。反論しようとした唇は、声を成さないまま震えた。
私は一歩、彼に近づいた。陽光を浴びた庭園の花々が、風に揺れる。あまりにも美しい光景だった。まるで、終劇の幕開けに相応しい舞台装置のように。
「これは、慈悲ですよ?」
その言葉に、彼は目を伏せた。私は言葉の刃を、さらに研いでいく。
「愛する女性がお情けで抱かれ、産まれた子供を甲斐甲斐しく世話しながらも、己の名は戸籍のどこにも刻まれず、ただ見守るだけの敗北者として生きる――そのような人生よりも」
私はそこで言葉を切り、少しだけ口元を緩めた。
「……奴隷の方が、まだマシでしょう?」
「……あなたはっ!」
ようやく声を絞り出したサンゼールが、拳を握りしめて私を睨んだ。その目は、怒りと、哀しみと、決意の入り混じった色をしていた。
「愛しているからこそ、身を引くという選択があることを、あなたは知らないのですか!“光織る蜘蛛”の話を、知らないのですか!」
私は薄く笑った。軽蔑ではない。侮りでも、ない。
「ええ、知っていますとも。――だからこそ、私は嫌いです。あの話」
言葉の温度を限りなく低くして、私は言う。
「私は、彼女の傍らにいるためなら、すべてを投げうち、戦うことを選びます。尊厳も誇りも――名前すら捨てて構いません。彼女が選び、彼女が望むのであれば、私は何にでもなりましょう。あの“シオン”のように、祈りながら死ぬのではなく、命を張って、奪い取る側に」
──これは、誇りのための決闘。
そして何より、若人の未来を守るための、執事としての賭けである。
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