不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

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終幕の伏線──『立ち上がる者と、微笑む者』

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──正義は時に、己の姿をしていない。

他人のために戦うことほど、欺瞞に満ちた行為はない。――だから私は、私のためにだけ拳を振るう。

それが、唯一の誠実だと信じているから。

渾身の拳が私の顔面をめがけて一直線に飛び込んできた。

風を裂く音とともに、サンゼールの気迫が肌を刺す。無言の怒号のような圧が眼前を覆うその刹那、私は身体を半歩だけ傾け、軽やかに回転した。くるりと、舞踏会の床を滑るように。

「こうするんですよ」

小さく告げながら、背を回して体重を預けるように踏み出し、裏拳を滑らせるように放つ。狙いは甘くない。完璧な角度で、サンゼールの頬骨を斜めに叩き、骨に響かせる。

――乾いた音が庭園に響く。

サンゼールの身体がぐらりと傾き、膝から崩れ落ちた。地面に手をつき、肩を震わせて、それでも顔を上げようとする。鼻先から一筋、血が滴って地面を濡らした。

「降参しますか?」

私の声は柔らかく、どこか慈しむようにさえ聞こえるものだった。だが、それに応えるサンゼールの首は、ゆっくりと、だが確固たる意思をもって左右に振られる。

軽く息を吐いて微笑んだ。

「ならば、続けましょう」

その言葉に、緊張の糸が場を包んだ。

「クロード、やめてっ!」

鋭く叫んだ声に、空気が震えた。視線を向けると、ティタ嬢が両手を胸の前で組み、泣き出しそうな顔で立っていた。

「サンゼール、降参して!もういいでしょう!あなたが負けを認めなくても、誰の目にもわかってるわよ!!」

彼女の声は、祈るようでもあり、命令のようでもあった。

「……お嬢様……」

サンゼールが呟いた。土埃にまみれた顔をあげ、震える手で己の膝を押さえながら、彼は立ち上がろうとしていた。満身創痍、だが目だけは折れていない。彼の忠誠と、矜持。何度も倒れてなお、守ろうとする何かが、彼の中にあるのだろう。

私はその姿を静かに見つめながら、一歩、前へと進んだ。手を前に組み、あくまで礼節を崩さぬように姿勢を正す。

「皆様」

声を発すると、その場にいた全員が私に注目した。ティタ嬢も、アトラも、伯爵も、男爵様も、ウィルも、アポロも。重苦しい沈黙が、庭の空気を満たす。

「ここで私から、お話ししたいことがございます」

私の声は、震えなかった。だが、その声の奥で何かが軋んでいたのは、自分でも分かっていた。話の内容は、この次に語ることになる――だが今だけは、誰もがこの沈黙の中で、真実と向き合う準備をしてほしかったのだ。

すべては、ここから始まるのだから。
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