不肖ながら、お嬢様は渡しません

松本雀

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静かな攻防──『その身ひとつで、答えを求めて』

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──人は敗北を恐れるあまり、戦わずして敗れる。

だが私は、敗れることよりも、黙して佇むことのほうが遥かに恐ろしい。

それが、私の誇りのかたちだ。

サンゼールの拳が、何度も空を切った。

その動きに迷いはない。だが、私の眼にはそれがむしろ痛々しく映った。冷静さを欠いた速さは、たやすく軌道を読むことができる。力任せの正義ほど、脆いものはない。

私はただ一歩、半歩と、身体を滑らせるように動かす。足元の土がわずかに軋む音を聞きながら、手を出すでもなく、無駄に焦ることもなく、ひたすら流す。

「く……っ!」

サンゼールの息が荒む。額ににじんだ汗が滴り、襟元を濡らした。

その様子を、私はどこか醒めた気持ちで見ていた。自分が冷たいのか、静かすぎるのか――そんなことを、考えても答えは出なかった。

打ち込むたびに彼の足元が揺らぐ。拳が空振りするたびに、焦りと苛立ちが染み込んでいく。

だが、彼は諦めない。私が望んだとおりに。

やがてサンゼールは数歩後ろに跳び退き、息を整えながら、震える手で自らの執事服の上着を脱ぎ始めた。無造作にそれを地面に投げ捨て、再び拳を構える。

その眼差しは、未だ折れていない。

「……負けを認めないんですね」

私がそう告げると、サンゼールは何も言わず、ただこちらを見据えたままだった。

その時、声が割り込んだ。

「やりすぎですよ、クロード先輩!」

イワンだった。庭園の隅で、いつの間にか両手を握りしめていた彼が、顔を歪めて叫ぶ。

「こういうのって、わざと負けるもんでしょう!? 空気読んでくださいよ!」

私は彼に視線を向け、首を小さく傾けて見せる。

「わざと負ける?それはむしろ、彼に失礼でしょう」

そう言った私の声は、驚くほど静かだった。

サンゼールは、それを聞いてもなお、身じろぎ一つせず立ち尽くしていた。拳を握るその両手に、細かく震える影があるのを、私は見逃さなかった。

祈るように両手を組んでいるティタ嬢の姿が、視界の端に映る。指が白くなるほど強く力が込められているのがわかる。小刻みに震える肩。口元は何かを呟いているが、それは風にさらわれて私には届かない。

アトラはその隣で静かに見守っていた。眉一つ動かさず、まるで儀式の成り行きを見届ける聖女のように。

「うちの婿殿は……何を考えているんだか……」

男爵様のぼやきが遠くで聞こえる。普段は温和な彼が、珍しく頭を抱えていた。

ウィルは隣で小さく呟く。

「気持ち的には……その……サンゼールを応援したいのですが……」

そうだろう。おそらく多くの者が、彼に肩入れしている。彼の方が『真っ直ぐ』だからだ。だが、私は曲がっていても譲れないものがある。

「さて……クロードはどう出るつもりかね」

アポロの気怠げな声が聞こえた。彼はどこからともなく取り出した煙草に火をつけ、ひとつ吐息を漏らした。白い煙がゆるやかに立ちのぼり、庭園の空気に溶けていく。

私は再びサンゼールに視線を戻した。

彼の眼は決して折れていない。だが、私には見えている。その頬を伝う汗と血の匂い、その手の震え。体力も、気力も、限界に近い。

それでも構えるのなら、私も応じるだけだ。

私に迷いはなかった。やるべきことは、ただひとつ。彼にとっても、私にとっても、この勝負は通過儀礼だ。

覚悟があるなら、打ち込んでこい。

その一瞬、私は自分の影を見た。それは長く、淡く、まるで過去の誰かが地面に縫い留められているかのようだった。

私は、あくまで静かに、だが確かに、次の一手を待った。

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