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【ティタ視点】名もなき願い──『ただ、お母様に愛されたかった』
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──子どもは愛されるものだと、誰が決めたのだろう。
私はずっと、その前提の外側で育った。
抱きしめられた記憶も、おやすみの声もない。
それでも、わたしは母が好きだった。
いつか振り向いてくれる気がして、ずっと。
──夢を、見ていた。
物心がついた時にはもう知っていた。
私は、母に望まれて生まれた子ではないのだと。だって、それを証明するような言葉を、ある日聞いてしまったのだから。
「子供なんか産んだから、わたしの人生はもう終わりよ」
母が誰かと話していた。声の調子は平坦で、紅を引く手元を鏡に映しながら、ふとした瞬間にその言葉はこぼれ落ちた。
私が、母の人生を終わらせた?
それが私という存在の始まりだった。
母は美しい人だった。宝石のように光る瞳に、燃えるような緋色の髪。何を着ても様になって、何をしても周囲の注目を集めた。使用人達は「まるで画から抜け出してきたような方だ」と言っていたし、私の父──名門ロベルシュタイン伯爵家の当主が一目惚れして結婚したのも、きっと当然だったのだと思う。
でも、母は愛されなかった。
私にではない。父にでもなく。
母の心には、別の誰かが住んでいた。名も顔も知らないその男のことを、母は夢の中で呼ぶような声で、たまに呟いていた。
私は近づくたびに、邪魔者のように扱われた。
母の手は白く、細く、香水の匂いがした。けれどその手が私に触れることは滅多になかった。私が駆け寄ると、母は顔をしかめて身を引いた。服が汚れるから。化粧が崩れるから。面倒だから。
だから私は、父と使用人に囲まれて育った。父は穏やかな人だったけれど、いつも仕事で忙しくて、私の髪を梳かしてくれたのは乳母のクラリスだったし、熱を出した夜に傍にいてくれたのは厨房の女中だった。
──私はずっと、夢を見ていた。
よその家のように、お菓子を一緒に焼いたり、リボンを選んだり、ベッドの中で本を読んでもらったり。そういう、絵本の中にあるような『お母さん』との時間を。
私も、そういう愛され方をしたかった。
転機が訪れたのは、私が六歳になった夏のことだった。
母が私を呼んだ。
そう、あのひとが、はじめて私の名前を呼んでくれたのだ。存在を肯定されるように、その声は部屋の空気を変えた。
「ティタ。おいでなさい。今日は、あなたに着せたいドレスがあるの」
母の部屋は、薔薇の香りがした。窓際のレースカーテンが風に揺れ、その陰が床に淡く落ちていた。ソファの上には、淡い空色のドレスが置かれていた。見たこともないほど、繊細な刺繍が施されていた。
私は驚きと、まだ疑うような気持ちで立ち尽くしていた。すると、母が笑った。
「そんなに不思議そうな顔をしないで。あなたは私の娘なんだから、これくらい似合って当然でしょう?」
髪を梳かれ、リボンを結ばれ、頬に紅をのせられて。母の手が、私の頬に触れた。そのとき、世界が静かに輝いた。
「今日は夜会よ。私と一緒に行くの」
お出かけ。あの人と、初めて外へ。私は跳ねる心を押さえるのに必死だった。眠い目をこすりながら馬車に乗り込んだ時、母は私の肩を軽く抱いた。
会場は、眩しいほどだった。シャンデリアの光が跳ね、音楽が鳴り、人々の香水と笑い声が混ざる空間。私は夢を見ているのかと思った。母と手を繋いで歩く私に、男の人たちが笑いかけた。
「おやまあ、可愛いお嬢さん」
「お人形みたいで可憐ですね」
そう言って、大人たちは私の頬や手にキスをした。母は笑っていた。満足そうに。私が褒められるたび、にこやかに頷いていた。
「この子、私にそっくりでしょう?ね?」
私は笑った。嬉しかったのだ。母と並んで、同じ空間にいられることが。手を引かれ、光の中を歩くのが、ずっと夢だったから。
だから、笑った。意味も知らずに笑っていた。
その夜が、夢の始まりだったのか、それとも終わりの始まりだったのか今でも分からない。
私はずっと、その前提の外側で育った。
抱きしめられた記憶も、おやすみの声もない。
それでも、わたしは母が好きだった。
いつか振り向いてくれる気がして、ずっと。
──夢を、見ていた。
物心がついた時にはもう知っていた。
私は、母に望まれて生まれた子ではないのだと。だって、それを証明するような言葉を、ある日聞いてしまったのだから。
「子供なんか産んだから、わたしの人生はもう終わりよ」
母が誰かと話していた。声の調子は平坦で、紅を引く手元を鏡に映しながら、ふとした瞬間にその言葉はこぼれ落ちた。
私が、母の人生を終わらせた?
それが私という存在の始まりだった。
母は美しい人だった。宝石のように光る瞳に、燃えるような緋色の髪。何を着ても様になって、何をしても周囲の注目を集めた。使用人達は「まるで画から抜け出してきたような方だ」と言っていたし、私の父──名門ロベルシュタイン伯爵家の当主が一目惚れして結婚したのも、きっと当然だったのだと思う。
でも、母は愛されなかった。
私にではない。父にでもなく。
母の心には、別の誰かが住んでいた。名も顔も知らないその男のことを、母は夢の中で呼ぶような声で、たまに呟いていた。
私は近づくたびに、邪魔者のように扱われた。
母の手は白く、細く、香水の匂いがした。けれどその手が私に触れることは滅多になかった。私が駆け寄ると、母は顔をしかめて身を引いた。服が汚れるから。化粧が崩れるから。面倒だから。
だから私は、父と使用人に囲まれて育った。父は穏やかな人だったけれど、いつも仕事で忙しくて、私の髪を梳かしてくれたのは乳母のクラリスだったし、熱を出した夜に傍にいてくれたのは厨房の女中だった。
──私はずっと、夢を見ていた。
よその家のように、お菓子を一緒に焼いたり、リボンを選んだり、ベッドの中で本を読んでもらったり。そういう、絵本の中にあるような『お母さん』との時間を。
私も、そういう愛され方をしたかった。
転機が訪れたのは、私が六歳になった夏のことだった。
母が私を呼んだ。
そう、あのひとが、はじめて私の名前を呼んでくれたのだ。存在を肯定されるように、その声は部屋の空気を変えた。
「ティタ。おいでなさい。今日は、あなたに着せたいドレスがあるの」
母の部屋は、薔薇の香りがした。窓際のレースカーテンが風に揺れ、その陰が床に淡く落ちていた。ソファの上には、淡い空色のドレスが置かれていた。見たこともないほど、繊細な刺繍が施されていた。
私は驚きと、まだ疑うような気持ちで立ち尽くしていた。すると、母が笑った。
「そんなに不思議そうな顔をしないで。あなたは私の娘なんだから、これくらい似合って当然でしょう?」
髪を梳かれ、リボンを結ばれ、頬に紅をのせられて。母の手が、私の頬に触れた。そのとき、世界が静かに輝いた。
「今日は夜会よ。私と一緒に行くの」
お出かけ。あの人と、初めて外へ。私は跳ねる心を押さえるのに必死だった。眠い目をこすりながら馬車に乗り込んだ時、母は私の肩を軽く抱いた。
会場は、眩しいほどだった。シャンデリアの光が跳ね、音楽が鳴り、人々の香水と笑い声が混ざる空間。私は夢を見ているのかと思った。母と手を繋いで歩く私に、男の人たちが笑いかけた。
「おやまあ、可愛いお嬢さん」
「お人形みたいで可憐ですね」
そう言って、大人たちは私の頬や手にキスをした。母は笑っていた。満足そうに。私が褒められるたび、にこやかに頷いていた。
「この子、私にそっくりでしょう?ね?」
私は笑った。嬉しかったのだ。母と並んで、同じ空間にいられることが。手を引かれ、光の中を歩くのが、ずっと夢だったから。
だから、笑った。意味も知らずに笑っていた。
その夜が、夢の始まりだったのか、それとも終わりの始まりだったのか今でも分からない。
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