君と暮らす事になる365日

家具付

文字の大きさ
52 / 52

52

しおりを挟む

遙か遠方に追いやられたわけであるが、依里はあまり気にしたりしていなかった。
それどころか、本社でのごたごたにこれ以上巻き込まれないであろう事、そして井上のヒステリックにさらされなくなった事、うっかりこなしてしまうからこそ積み上げられてきていた膨大な一日の仕事の量から解放されたので、これはこれで良いぞ、と思う程度には前向きでいようとしていた。
本社の営業課に配属された後は、人間関係は総務課にいた時よりもはるかにましだったが、忙しさはほぼ同じラインで、なるほど営業課が出世街道に乗りやすいのも道理だと納得した。
能力の高さその他が、営業課の方が目立つからである。総務課が劣っているとかそんな話では無くて、目立つ人間の方が気にかけられたりする、というありふれた話の一つだろう。
現在の自分の仕事は倉庫番という奴で、在庫その他のあれこれを行う担当だ。
人間が関わる部分が減ったため、人間関係でギスギスする場面が少なく、これはこれで気が楽だった。
依里を左遷させた側の思惑と、自分の感じ方が大きく違うと言う事が起きているだけで、実際には退職を進められたと言う事かもしれない。
だがそれに気付かないという顔をしていれば、まあしばらくは大丈夫だろう。
それ以上の問題が起きる気配を感じてから、転職を考えたって良いのだ。
そもそも依里がこちらに追いやられた理由の大きな部分が、色恋沙汰に巻き込まれたと言う部分なので、それが大きな間違いだとわかれば、本社でこの対応を決定した側も何かしら動くだろう。
依里の方から労基などに訴えれば、また騒ぎが無駄に大きくなる事もあろう。

「どう考えたって私がえらい人のご令嬢の彼氏を寝取ったとか、あり得ないんだけどな」

依里はその日も倉庫の備品や在庫その他の管理を行い、何かもっと楽に出来るシステムに似た事を考えられないかと知恵を絞っていた。
意外と外から入ってきた人間の方が、無駄に気付いて改善点が見つかるという現象である。
依里もまた、外部から来たわけで、そう言った部分が目についた側だった。

「環さんって仕事熱心よね」

そう言ったのは倉庫管理歴の長いパートの女性で、依里は会社の備品のパソコンを見ながら答えた。

「そんなに仕事熱心じゃないですよ」

「そう? 前の人はそんなに頭を悩ませたりしなかったわ」

「気になっちゃうだけですよ」

「そういう人も居るのね。あ、私もう上がりますんで」

「お疲れ様です」

女性はそう言って退社していく。依里は最後の鍵の当番でもあったので、鍵の管理をきちんと行い、その日も適切な時間に退社したのであった。




四月に異動し、五月の大型連休も乗り切り、季節は六月の半ばを過ぎようとしていた。
仕事に慣れてきた事もあり、依里は気分的に余裕が出来つつあった。人間余裕は大事な物である。
仕事でいっぱいいっぱいだった精神状態に余裕が出来れば、人間その他の事にちょっと目が向くわけで、依里もまたそういう普通さを持っている。
普通さを持っているが故に、そうだ、たまには自炊をしようなんて思えるようになったのである。
自炊をサボっていたのか、と思われるかもしれないが、社宅から最寄りのスーパーまでがやや遠いと言う土地の問題で、ぶっちゃけカップ麺などを配達してもらった方が楽だったのだ。
このあたりには大型スーパーのネットスーパーの範囲の対象外だった事も大きく、自炊をする生鮮食品を手に入れる事が、気分的な余裕がなければ叶わなかったのだ。
近隣に住んでいる人の多くが、自家用車を持っているあたりでお察しと言えるだろう。

「……実家に野菜を送ってもらう方が楽かもしれない……」

なんて考えちゃう程度には、買い物が面倒くさかった。送られてくるかもしれない野菜の処理ははたしてその買い物の面倒くささを超えるのだろうか、とちょっとは頭の中で考えたわけだが、実家と近所の野菜は直送なわけで、スーパーで目利きをしなければならない手間がない。
それでも。

「それでも買い物もしなきゃならないし、お金は有り余ってないし……腐らせたらもったいないし……」

依里は第一歩を踏み出せないのだった。その第一歩とは、実家に送料を振り込んで、見た目だけが不合格である規格外品の野菜を、送って欲しいと頼む行動、であった。





彼女の社宅は会社が不動産から一棟借り上げている所で、前に暮らしていたところとはずいぶんと設備が違っている。騒音を考えた鉄筋コンクリートではない。
しかし、暮らしている人間が社の関係者という事もあり、そもそもそこでは単身者と多くても同棲相手が暮らしている程度なので、一番嫌いな騒音問題はあまり起きない。
その部分だけは安心して良いだろう。
部屋数も少ない。ロフトはあるものの、1Kである。単身者に必要な設備はそろっているが、冷蔵庫洗濯機その他家電製品は大体備え付けである。
まさにレオ○レスに近いものがある。いいやそもそもそこを借りているのかもしれない。
そう思いつつ、依里は鍵を開けて自宅に入り、とにかく先に風呂に入りシャワーを浴び、そこから空腹を満たすために冷蔵庫を開けた。

「……買ってきた物がないんだからある訳がない」

依里はぼそりと呟いた後に、ごそごそとカップ麺の入った段ボールに手を突っ込み、一つ取り出して、お湯を沸かし始めた。
いい加減に買い物に行かなくてはならない。買い物の時だけ車を借りられないだろうか。
会社にレンタルできる車はあっただろうか。
必要であるが故に、調べなければならない事が山積みで、頭が痛くなってくる。
カップ麺をすすりつつ、ナトリウムの計算を思想になる部分が頭をよぎったその時だ。

「……あ?」

最近はあまり着信を告げない彼女のスマホが、着信を告げてきた。
欄を見ると知らない電話番号だが、海外からではない。誰だろう。
実家の関係者なら全員電話番号を登録している。余計に誰だろうと思いつつも、会社関係の可能性も否定できないので、依里は電話に出た。

「あ、もしもし、環依里さんの電話でお間違いはないでしょうか?」

言葉は丁寧で普通である。だが口調では隠しきれない焦りが、電話のノイズの混ざった音声越しに伝わってくる。

「どなたですか」

「林です。大鷺晴美の元部下の林です」

「……はい、環ですが、一体どうしたんですか」

「まどろっこしい会話を抜いても良いでしょうか」

「はい」

「副料理長の居場所をご存じではありませんか」

「…………は?」

林だと聞いた時点で、晴美が電池切れだかガス欠だかを起こした時の対処法でも、確認したかったのかと思えば、それ以上の問題が発生している気配がする。

「ハルは何をしましたか」

「三日前にホテルの支配人に退職届を出した後に……行方がわからなくなっているんです」

「あいつのスマホのGPSは。いざという時のために、入れてはいないんですか」

「数年前のやらかしの結果、あの人のスマホには位置情報が共有できるようになっていたんですが……そのスマホすら、自宅の室内で、ガムテープでぐるぐる巻きにされて電池切れを起こしていたんです」

「……夜逃げ?」

「そんな暢気そうな声を出さないでください。もう二号店の方もこちらも大騒動になってるんです。あの人の料理だから、予約を取ったという人がどれだけの数いるか! あの人、こんな無責任な事はしない人だったのに」

「……林さん、自宅の中に入れたんですね?」

「入れました。というか、駆けつけたら、同棲相手だとおっしゃる女性が切羽詰まっていて……」

「冷蔵庫の中や冷凍庫の中に、保存の利かない食料は入っていましたか」

「え? えーっと……同棲相手の女性の方が作成した物は入っていましたが、副料理長が自分で作った物は入ってなかったらしいです」

「うわあ……」

聞いていて依里は頭が痛くなってきた。
あの問題児百点満点の幼なじみにとって、料理は趣味で娯楽で仕事でストレス発散の方法だ。彼から調理を取り上げたら、まず間違いなく精神状態が追い込まれ始める。
そのため、自分で隙に調理が出来る環境かどうか、は、ある意味目印になるのだ。

「何か」

「あいつストレス爆発して逃走してますよ」

「……やはりそちらですか。同棲相手の女性はまるで話にならなくて……聞いてもとんちんかんなので、こちらに連絡を」

「退職届って所が大きいですよ。多分一週間や二週間程度の脱走じゃなくて、新天地に旅立つレベルの脱走のところまで、追い詰められて居たはずです。職場では何か異変を察知した人は」

「二号店の同僚が……あの、いくつか聞いていて」

林はそう言うと大きく電話越しにため息をついてからこう言った。

「なんでも……ハウスキーパーを雇ったはずなのに、指定してない仕事までして、えーっと……いつの間にか彼女みたいな顔をしているからよくわからないとか」

「そこまでされたら重傷だ……」

獣はねぐらに安全な物しか入れない。自分が許した物しかいれない。
おそらくあの幼なじみは。


「自分のテリトリーに侵入者が居座り続けるストレスで……頭をやられて、常識を失って逃げてますね……」

「しかも」

まだあるのかい。依里はもう聞きたくなかったが、林は誰かに言いたかったのだろう。

「その女性が……二号店に大きく影響を与える、大きな会社の社長令嬢みたいなんです……」

「うわあ……」

二号店の上司達が、晴美に我慢しろ、いい顔をしろ、と言ってきたのが目に浮かびそうで……それは晴美にとっては胃潰瘍を起こしかねないストレスの塊であろう。

「林さん、その事情を晴美の実家に連絡しておいた方が良いです。……私は今のところ、晴美の居場所は見当がつきませんけれども」

幼なじみがどこまで理性を吹っ飛ばしたのかはわからない。
しかし、依里とて解決が出来る情報は、持っていないのであった。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?

とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。 高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。 明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!! そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。 「なぁ、俺と結婚しないか?」 直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。 便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。 利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。

婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~

ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」  中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。  そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。  両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。 手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。 「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」  可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。 16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。  13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。 「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」 癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

妖狐の嫁入り

山田あとり
恋愛
「――おまえを祓うなどできない。あきらめて、俺と生きてくれ」 稲荷神社の娘・遥香(はるか)は、妖狐の血をひくために狐憑きとさげすまれ、ひっそり生きてきた。 ある日、村八分となっている遥香を探して来たのは怨霊や魔物を祓う軍人・彰良(あきら)。 彼は陰陽師の名門・芳川家の男だった。 帝国陸軍で共に任務にあたることになった二人だったが、実は彰良にもある秘密が――。 自己評価は低いが芯に強さを秘める女が、理解者を得て才能を開花させる!   & 苦しみを抱え屈折した男が、真っ直ぐな優しさに触れ愛を知る! 明治中期風の横浜と帝都を駆ける、あやかし異能ロマンス譚です。 可愛い妖怪・豆腐小僧も戦うよ! ※この作品は、カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...