君と暮らす事になる365日

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そしてあっという間に時間は過ぎていき、山のような資料の山と契約のデータとそれから営業先のデータなどをさばいていた依里は、隣で働いていた山川に声をかけられた。

「ねえ」

「どうしました?」

「もうお昼よ」

「あ、いけない、すみません、それじゃあ休憩入ります」

「あなた仕事が始まると、仕事以外の声がかけられない背中するのよね」

「あはは、すみません」

「真面目なのは結構だけれど、無茶はしないでちょうだい、ここは一人でもかけたら大変な場所なんだから」

「はい、ありがとうございます」

依里は時計を見て確かに時間が来ていたため、お弁当の入った袋を掴み、少し足早に社員食堂の方に向かった。
そこの入り口の近くでは、約束をした柳川が立って待っていた。さりげない姿勢は大人の余裕があり、声をかける女性たちをすんなり諦めさせる話術は、さすがの一言だろう。
こう言った対応が、幼馴染にもできていたら、あいつもうちょっと対人関係ましになったんだけどな、と少し遠い目になりかけた依里ではあるものの、今は関係ないだろう。

「ああ、環さん、仕事が長引きましたか?」

「いいえ」

「では。お弁当ですか?」

「そうなんです」

「しっかりしていらっしゃるんですね」

「いいえ、これ同居人の作ったものなんです。料理が好きな人で」

ここで依里が、媚びを売ったり自分を売り込む言葉を言わなかったからだろうか。
依里は、通りすがりの女性社員の視線が、少し柔らかくなったのを背中で感じた。
そして思った。
まて、社食でエリートと一緒にご飯とか、目立ちまくりじゃないか? それも別の部署の男性だ。
依里がもともと総務課の人間だった事は、調べなくてもわかる事だ。元総務課の落ちこぼれと、エリートな将来有望のイケメンが一緒とか、目立ち過ぎじゃないか?
しかし……一緒にご飯を食べるのなんてこれだけだろう。
今回限りの事なのだから、まあ、言われたら話の流れでそうなった、と誤魔化す方向にしようと決めて、どうどう、何も後ろめたい事などないという顔で、依里は社員食堂に入った。

「ここは何がお勧めですか?」

「定期的にAランチが豪華になるんですよ、今日はそこそこですね、あ、とんかつらしいです」

「とんかつはいいですね。私も結構好きなんですよ、飛び切り美味しいとんかつを作ってくれる料理人がいまして」

「そうなんですか」

依里はそんな事を言いながら、社員食堂の電子レンジを開け、弁当をそこで温めた。
もともと晴美の作成したものに、まずいなんて文字は存在しないので、温め方だけ間違えなければ、今日のお昼だって幸せである。
そのあたりは、人間性以上に依里が、晴美を信頼している部分であった。
温めている間にお茶をくみ、依里は彼が座って手招きする席に置いた。
柳川が座った途端に、近くに来ようとした女性社員たちだったものの、依里と並んで入ってきたからか、聞き耳を立てるためなのか、それとも協定でも組んでいるのか、実際に声をかける気配はなかった。
この調子だと、明日あたりには社内全体にこの事が知れ渡ってんだろうな、と思いつつ、依里は弁当を持って席に着いた。
そしてふたを開けると、ふわりと柔らかく丸みのある、出汁の匂いが鼻に届いた。それから甘い玉ねぎの匂いに、油っ気のある香り。
黄色いふわふわの、しっかり火が通った卵が乗ったそれは……何とかつ丼である。
おい晴美、いつ私がかつ丼を食べたいと思ったんだ。
最近普通の食事ができるようになって、がっつりしたものが食べたいと思っていたけれど、まさかの弁当がかつ丼であるびっくり。
いったいいつとんかつなんて朝っぱらから作ったんだ。そんな材料冷蔵庫にあったとは思わなかったんだが。
依里の頭の中にいくつもの言葉が浮かんだ時、中身が見えた柳川が、少しうらやましそうに言ったのだ。
彼が注文した料理は、イケメンに似合いそうなしゃれたワンプレート定食である。
写真映りのいい、美味しそうなものなのは間違いないのだが……?

「美味しそうなかつ丼ですね。私もかつ丼を頼めばよかったかもしれない」

「ああ、じゃあ一口交換しましょう、手は付けてないでしょう」

依里が疚しい事の欠片もない声で言うと、柳川は目を丸くした。
その間に依里は備品の取り皿と箸を用意した。
ざっくりと一口分、とんかつを含めて皿において差し出す。
柳川はその一連の流れに目を丸くしていたため、依里はしばし停止し、あ、やっちまった、と気が付いた。
この、一口あげるよというやり取りは、晴美やその兄弟としていた事である。
がっつりしたものが食べたい晴美達、男子学生であっても、依里が頼む美味しそうな綺麗なものに興味があったりするわけで、特に長男坊は視線から態度から、うらやましい、でも欲しいなんて言えない、と匂わせていたのだ。
そのため、依里には一口交換習慣、という物があったわけだ。
しかし他人が見たら、何流れるように渡してんだ、と思う作業である。
他人の弁当だし、気持ち悪いかもな、と依里が皿を引っ込めようとした時、柳川が微笑んだ。
嬉しそうな顔だった。

「ありがとうございます」

「食べるんですか?」

「そのおいしそうなものを分けていただけるんですから。……かつ丼なんて学生の頃ぶりですね」

そう言いながら、彼は取り皿を依里の手から奪い取り、箸をつけた。
そして目を見開いた。

「おいしい……! こんなにおいしい、ふわふわの卵と出汁の味と程よい柔らかさに味のあるとんかつなんて、はじめてですよ! それがご飯にしみ込んでものすごくおいしい……!!」

依里はお茶を飲みながら、確かに滅茶苦茶においしいだろうし、これ以上のものを食べられる可能性は低いかつ丼だけど……出来立てが食いたい、と思っていたのに、柳川は一口だけで、目がこぼれ落ちそうなほど感動している。

「環さんが作ったものではないんですね?」

「料理がド級にうまい同居人の準備運動だそうです」

「じゅ、準備運動!? これが!?」

依里が事実を言うと、彼はかなり響く大声を上げた。それに自分で気が付き、慌てて頭を下げる。

「すみません……未知との遭遇ですね、それは……」

「初めて食べる人はだいたいそう言います。学生時代は弁当の交換大会が行われかけて、闇ルートで手に入れようとする男子学生がいたくらい」

「それが納得できてしまう出来ですよ……」

一口だけなのがもったいない、と言わんばかりの態度である。よし。依里はある事を決めて、自分が口をつけていない弁当を、全部彼に差し出した。

「どうぞ」

「え?」

「もっと食べたいって顔に書いてありますよ」

「それは……お恥ずかしい」

「ですから交換しましょう、そのランチとかつ丼」

「いいんですか……?」

「ええ。そんなに喜んでもらえれば、同居人だってうれしいでしょうし」

「……申し訳ありませんが、ありがたく」

その勢いで、依里はかつ丼とワンプレートランチを交換した。後ろめたい気持ちはかけらもない。
依里はランチをぱくぱくと勢いよく、しかし見苦しくなく胃の中に収めて行く。男性向けの量のランチだが、依里はためらいなく胃の中に入れて行く。
普通、気になる男性の前であれば、大食いなんて披露しないだろう。そんな事を考えていそうな女性社員の視線を、依里は感じた気がした。

「総務課の仕事は慣れましたか?」

食べながら、依里はあたりさわりのない事を聞き、柳川から状況を聞きだした。
どうやら、依里に仕事を押し付けいた井上一同は、自分の分の仕事がさばききれず、残業になり、きいきいとヒステリーを起こしているらしい。
私は優秀なのよ! と自信たっぷりだった井上は、依里がいなくなった途端に仕事を滞らせたため、皆からひそひそ疑われているそうだ。
課長も色々なものの板挟みで大変、身の細る思いであるようだ。自業自得である。
そんな話題、依里が仕事に慣れたかの会話、の後だ。
柳川が、思い出したように言った。

「私には、頭の上がらない祖母がいるのですが……」

「そうなんですか」

「その祖母が、数日前に、非常にある女性に助けられたのだ、と言っておりまして」

「お人よしがいたものですね」

「そう思いますよ。見知らない訳ありの老婆に声をかけられて、一緒に孫娘を助けてほしいと頼み込まれて、孫娘……私の妹なのですが、妹を助けに祖母と高層マンションに乗り込むような大胆な人でして」

この話はどこに流れて着地するのか。自分と同じ事をする人が、世の中にはそれなりにいるらしい。
そんな思いを抱いた時である。

「ひどい目に遭ったショックで考えがまとまらない妹と、孫への仕打ちで頭に血が上った状態の祖母に、反撃のための手順を教えてくれた人だそうで。妹を救出したその足で医者に行かせて、暴力の結果受けた怪我の診断書や、証言をとるように指示を出した女性のおかげで、妹は円滑に、最低の婚約者から逃げ出せる事になりました」

「それはいい話ですね」

依里は二杯目のお茶を飲みながら、相槌を打った。
そんな彼女を見て、柳川が言う。

「祖母がその女性に何としてもお礼がしたい、と言っておりまして、その女性が」

「はあ」

「環依里、という二十代前半の、すらっとした短い髪の毛の女性だと言ったんですよ。環依里さん、あなたはこの事に関して何か、ご存知では?」

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