君と暮らす事になる365日

家具付

文字の大きさ
27 / 52

27

しおりを挟む
やっぱり一本後の電車は色々違うなあ、と得した気分になりながら、依里は仕事に向かった。途中の大通りの電子公告に、見慣れた顔を発見しても、一瞬素通りしかけた程度にである。

「……あいついつの間に料理本作ったわけ」

依里は広告の中身が、イケメンシェフの一皮むけた料理! 家庭料理だってここまで変わる! といった感じのタイトルであるため、家庭向けの、それなりに料理をする人向けの、美味しい物を作るための本なのだろう、と判断した。
なんでも、電子書籍では数百万ヒットのセラー本らしい。
あいつに人に説明する能力あったかなあ……だがそう言う時はきっと、仕事仲間たちが助けてくれているのだろう。
通訳が必要な相手に取材など、カメラマンも編集も校正も、さぞかし大変だっただろう……
大匙山盛り、の山盛りの加減が、料理によって微細に違う、と言ったのはたしか、あいつの下の弟である。兄ちゃんの作るラーメンがおいしすぎるから、おれも大学に入って一人暮らししてる時作りたい、って言って、美味しいが極められなかった弟だ。
ちなみにその弟、学園祭の際に、ラーメン店をサークルで行い、結果そのサークルは百万単位の利益をあげたそうだ。
彼の友人たちは、彼がラーメン屋さんを経営すると思っていたそうだが、実際に彼が目指したのは農家である。
実家を継いだ形である。兄ちゃんたちが後を継がないなら、この大きな畑を何に使うんだよ! という立派な心掛けからの行動だとか、ばあちゃんたちの野菜がおいしすぎたから、その味を途絶えさせたくなくてだとか、噂は色々流れたものだ。
そして彼は元気に毎日、野菜をセリにかけているそうだ。
さてそんな弟持ちのあいつは、料理によって大匙山盛りの基準が異なる変人であるため、それを再現するには0.01単位のグラムが計量できる計量器が必要である。
だがそんな物一般家庭にはないから、そのあたりはどうしたんだろう……
本を買わないとは思っている物の、依里はそんな事が少しだけ気になった。
そしてそのまま電車、バス、と乗り継いでいき、会社の入っているビルに入った時だ。

「ちょっと環さん! どういう事よ!!!」

依里はだしぬけに声をかけられて、かなり強引に腕を掴まれた。
腕を掴まれて、反射的に肘鉄を打たなくなったのは、依里が大人になった証拠である。中学時代だったら肘鉄が入り、次に相手の出方次第で、踵落としくらいは決めていた。
面倒だな、誰だよ、なんて思いながら振り返ると、そこにはやつれた顔の井上が立っていた。
もう井上さんと呼びかけるのも嫌になる、仕事押し付けウーマンである。
部署ももう違うし、関わったりしないと思っていたのに。

「……なんです、井上さん」

「何で私じゃなくて、あなたが営業課の補佐に配属されたのよ! あなたみたいに仕事がいつまでたっても終わらない人よりも、定時に仕事を全て終われる優秀なわたしの方がふさわしいでしょ!」

め ん ど く せ え。

そんな事を心底思った。それ以外に何を思えというのだ? あんた私にどれだけ仕事押し付けてきたって思ってんだよ。私の残業はほとんど、他人が定時ぎりぎりに押しつけてきた仕事をさばくためだからな?
色々言いたい事があったわけだが、それをここでぶちまけるのは大人じゃないな、と依里は判断したため、勤めて冷静に言った。何しろここには人目が多い。相手が非常識だと、ここで色々な人に目撃者になってもらおうではないか。

「配属が変わるのは、私の一存で決まる事ではありません。色々な方が見て判断する事ですので、井上さんの仕事ぶりが評価されれば、井上さんもそうなるのでは?」

文句があるなら私じゃなくて上にいえ、と言外に匂わせた依里は、そんな言葉さえ、気に食わないらしい井上が手を振りかぶったため、これは叩かれた方がより一層被害者になれるな、と思った。
そのため受け身をとる準備をして、その拳だか平手打ちだかを受け止めようとした時だ。

「何をしているんだ!」

鋭い声が二人に投げかけられ、依里の前にそこそこいいスーツの背中が割って入った。
残念、と一瞬思ったのだが、その彼……柳川だ……が井上に言う。

「いきなり暴力なんて何を考えているんです!」

「そこの女が生意気な事を言ったのが悪いのよ!」

「あなたの方が失礼な事を言っていた、と守衛から聞いていますよ。環さんが出来が悪い? 仕事が遅い? あなた方が環さんに寄ってたかって仕事を押し付けて帰っていたからでしょう。そう言った事が何も気付かれないで、いつまでもまかり通ると思っていたんですか?」

柳川が冷静に言うからか、井上は赤くなったり青くなったりしながらも

「その……えっと……」

と言っている。イケメンでエリートで力の差がある男だから、色々な手段に出られないのだろう。……腕っぷしだけだったら、自分も井上程度に負ける事はないのだが、そんなの井上は知らないのだろう……知らないって危険だ。
なんて柳川に庇われながら思っていたわけだが、柳川がさらに言う。

「あなた方総務課の社員が行っていた事は、証言証拠がそろい次第、処分に掛けられる事になっています」

「なんでよ! 私たち何も悪い事してないわよ!」

「一人の女性社員に仕事を山のように押しつけて、ゆうゆうと遊び歩く社員など、この会社にはあまりいてほしくありませんからね」

「訴えてやる!」

「どうぞどうぞ、証拠があるのでしたら、ご自由に。証拠をねつ造した場合の処分は、今よりはるかに重くなる事も視野に入れての選択肢でしたら、構いませんよ」

井上はわなわな震えて、足音高く去って行った。
そこで柳川が、依里を見やった。

「大丈夫ですか、まさか昨日の今日でこうなるとは」

「女性の嫉妬はどう動くかわからないものですからね……、それにしてもありがとうございます、あのままだったら暴力を振るわれていました」

「あなたが怪我をしなくてよかったですよ。井上さんは爪も飾っていますから、きっと結構な切り傷になったと思いますし」

ずれた会話だな、と思いながらも、始業時間が近付いている。
依里は頭を下げて、柳川に言った。

「色々ありがとうございます、それでは仕事がありますので」

「そうですね、では、今日はお昼をご一緒しませんか?」

「私今日は、用意があるので……」

「では社食でお会いしましょう、あなたには聞きたい事がいくつかありますので」

柳川はそう言って、さわやかな笑顔を見せて去って行った。
去って行かれてもな……誰かと会社で食べる事滅多にないから、何話せばいいかわからないんだが……と思いつつも、依里も急ぎ足で、営業補佐の仕事場に向った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました

鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。 けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。 そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。 シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。 困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。 夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。 そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。 ※他投稿サイトにも掲載中

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?

とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。 高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。 明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!! そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。 「なぁ、俺と結婚しないか?」 直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。 便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。 利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

処理中です...