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第1話 追放の朝
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「クラリッサ・ヴァレンティーヌ、君は王都を去りたまえ」
夜会の音楽が一拍、遅れましたの。――誰もが曲の続きより、わたくしの表情の続きに興味を持ったからでしょうね。
高天井のシャンデリアが、硝子に閉じ込めた星みたいに瞬いております。ユージン様は完璧な笑みを崩さず、わたくしの前に“慈悲”と刻印した処分書を差し出しました。
「陰謀の嫌疑だ。証拠は十分に――」
「十分“におう”だけでして?」
「……君は、最後まで口が減らないね」
減りませんわ。気品は脂肪ですの。いざという時の燃料になりますもの。
そして、彼の隣に立つのがユージン様の新しい婚約者、セシリア・バートラム。
夜会の華。指先まで完璧に計算された所作、慈愛の仮面、非の打ちどころのない笑顔。
彼女は扇子をひとつ打って、穏やかに言いました。
「クラリッサ様。王都の空気は貴女には強すぎましたのかもしれませんわ。山の空気で静養を」
「まあ、素敵。わたくしの追放を“保養”と呼べるなんて、語彙まで完璧ですのね」
周囲がくすくすと笑い、誰かが「あれが悪役令嬢よ」と囁きました。
――いいえ。“悪役”の椅子は、座った者からではなく、座らせたい者から順番に埋まるのですわ。
わたくしは一礼し、裾をさばきました。
「承知いたしましたわ。王都の皆さま。わたくし、図太く生きて戻ってまいりますの。ごきげんよう」
「戻る気なのかい?」ユージン様の笑みが一瞬だけ固まりました。
「ええ、紅茶の補充が必要ですもの」
その瞬間、セシリアの扇子が音もなく閉じられたのを、わたくしは見逃しませんでした。
完璧な女は、音で感情が漏れることを嫌いますのね。可愛らしい。
◇
追放の朝。
王都の門は、冷たい石の無表情でわたくしを送り出しました。
持ち物は衣装箱ひとつと、粗末な旅装、そして気高さ。――最後のは軽いようで重いのですのよ。背筋で運ぶ荷物ですから。
御者が振り返り、申し訳なさそうに帽子を揺らします。
「嬢ちゃん、辺境の――ええと、グレイム村で合ってらぁ。畑とボロ小屋がひとつ、って聞いとるが……」
「素晴らしい! リフォームしがいがありますわ」
「りふぉーむ?」
「そう、貧乏を“味”に変える魔法の呪文ですの」
馬車ががたごと揺れるたび、王都の記憶が遠のきました。
ユージン様の白い手。セシリアの完璧な笑み。
――ふふ。完璧というのは、欠け目がわかりやすいのですわ。光が強いほど、影もくっきりいたしますもの。
森を抜け、丘を越え、道が石から泥に変わる頃、わたくしは腹を決めました。
紅茶がなくても、優雅は淹れられます。
王都がなくても、貴族は続けられます。
気高さとは、場所ではなく姿勢――わたくしの母が口紅のように毎朝ひく言葉。
◇
昼過ぎ、馬車はきしみながら止まりました。
「着いたぜ、グレイム村。お、おう……」
おう、とはなんですの。……おう、でしたわ。
目の前の“お屋敷”は、屋根が半分空へ旅立ち、壁は絵画の遠景のようにかすれ、扉は――風と対話して勝手に開閉する最新式。
庭? ございますとも。雑草という名の熱帯庭園が、腰まで伸びて生い茂っております。
わたくしは一歩、草むらに踏み入れ――ずぶっ。
長靴の中で小川が目覚めました。
「まあ。天然の足浴ですわ」
その時、畑から鍬を担いだ青年がこちらを見て、口を開けたまま固まりました。
「……なんだ、その恰好」
「貧乏の最先端、湿地色コレクションでしてよ」
「いや、普通に泥に落ちた貴族だろ……」
彼は日焼けした額をかき、呆れたように笑いました。
「俺はマリオ。村のなんでも屋。あんたが新しい……その、居候?」
「いいえ。再起動した令嬢ですわ」
「わからんけど、やべぇ匂いしかしないな……」
そこへ、杖をついたおばあさまが現れました。
「お嬢ちゃん、名は」
「クラリッサ・ヴァレンティーヌでしてよ」
「長い。クラ。――よし、クラでええ。ここで生きるなら、土に挨拶せい」
「土に?」
「土は嘘を嫌う。手を汚す者にだけ、芽を見せるんじゃ」
……わたくし、扇子を閉じ、手袋を外しました。
指先が震える? いいえ。気高く震えますの。
膝をつき、泥の匂いを吸い込み、土に触れる。
冷たくて、やわらかくて、王都の絨毯よりもずっと正直。
「はじめまして。――生かして差し上げますわ」
「土をか? 豪気な嬢ちゃんじゃ」
おばあさま(後でアデラ様と名乗られました)は、にやりと笑って背を向けました。
その視線の端に、畑の縁に立つ黒髪の青年が見えた気がいたしましたが――彼はすぐに目を逸らし、風のほうへ消えました。
(のちに、彼が辺境に潜んでいた元騎士だと知るのは、もう少し先のお話)
◇
家の中は、期待通り。
床は軋み、壁は風通しが良すぎ、棚は空気と仲良し。
わたくしは袖をたくし上げ、深呼吸をして宣言いたしました。
「結構ですわ! 紅茶がなければハーブティーを淹れればいいじゃありませんの!」
「ハーブなんて、ここらじゃ雑草だぞ」マリオが笑います。
「雑草? 名を与えれば特産になりますの」
「名を?」
「たとえば――《図太き乙女の朝露》(ブレイブ・レディズ・ドロップ)。貧血にも恋にも効きますわ」
「効かねぇだろ」
「効かせますの。売り方という薬で」
わたくしは壊れかけのテーブルに布をかけ、割れたカップを磨き、窓辺に野の葉を束ねて吊るしました。
風がふわりと通り抜け、部屋の匂いが“ただの湿気”から“始まりの匂い”に変わる。
小屋の外では、アデラ様の声。
「マリオ、井戸水を持ってけ。客が飲める水にせんか」
「へいへい」
コトリ、とカップを置き、わたくしは鏡に向かって微笑みました。
鏡は、王都のそれより曇っております。けれど――よろしい。曇りは、光を柔らかくいたしますから。
追放の朝は、再生の朝。
わたくしは泥の上で、背筋を伸ばし、宣言いたしました。
「見ていてくださいませ、王都。
わたくし、貧乏になっても図太く、優雅に下剋上してみせますの!」
扉の隙間から、誰かの視線が小さく揺れました。
完璧な笑顔の女――セシリア・バートラムの影が、遠い都の空に重なって見えた気がいたします。
完璧は、欠けるためにある。
わたくしは欠けたところに、花を植える女ですのよ。
湯が湧き、初めての“辺境の香り”が部屋を満たしました。
紅茶ではありません。けれど、とても良い香り。
――貧乏でも、優雅は淹れられますわ。
夜会の音楽が一拍、遅れましたの。――誰もが曲の続きより、わたくしの表情の続きに興味を持ったからでしょうね。
高天井のシャンデリアが、硝子に閉じ込めた星みたいに瞬いております。ユージン様は完璧な笑みを崩さず、わたくしの前に“慈悲”と刻印した処分書を差し出しました。
「陰謀の嫌疑だ。証拠は十分に――」
「十分“におう”だけでして?」
「……君は、最後まで口が減らないね」
減りませんわ。気品は脂肪ですの。いざという時の燃料になりますもの。
そして、彼の隣に立つのがユージン様の新しい婚約者、セシリア・バートラム。
夜会の華。指先まで完璧に計算された所作、慈愛の仮面、非の打ちどころのない笑顔。
彼女は扇子をひとつ打って、穏やかに言いました。
「クラリッサ様。王都の空気は貴女には強すぎましたのかもしれませんわ。山の空気で静養を」
「まあ、素敵。わたくしの追放を“保養”と呼べるなんて、語彙まで完璧ですのね」
周囲がくすくすと笑い、誰かが「あれが悪役令嬢よ」と囁きました。
――いいえ。“悪役”の椅子は、座った者からではなく、座らせたい者から順番に埋まるのですわ。
わたくしは一礼し、裾をさばきました。
「承知いたしましたわ。王都の皆さま。わたくし、図太く生きて戻ってまいりますの。ごきげんよう」
「戻る気なのかい?」ユージン様の笑みが一瞬だけ固まりました。
「ええ、紅茶の補充が必要ですもの」
その瞬間、セシリアの扇子が音もなく閉じられたのを、わたくしは見逃しませんでした。
完璧な女は、音で感情が漏れることを嫌いますのね。可愛らしい。
◇
追放の朝。
王都の門は、冷たい石の無表情でわたくしを送り出しました。
持ち物は衣装箱ひとつと、粗末な旅装、そして気高さ。――最後のは軽いようで重いのですのよ。背筋で運ぶ荷物ですから。
御者が振り返り、申し訳なさそうに帽子を揺らします。
「嬢ちゃん、辺境の――ええと、グレイム村で合ってらぁ。畑とボロ小屋がひとつ、って聞いとるが……」
「素晴らしい! リフォームしがいがありますわ」
「りふぉーむ?」
「そう、貧乏を“味”に変える魔法の呪文ですの」
馬車ががたごと揺れるたび、王都の記憶が遠のきました。
ユージン様の白い手。セシリアの完璧な笑み。
――ふふ。完璧というのは、欠け目がわかりやすいのですわ。光が強いほど、影もくっきりいたしますもの。
森を抜け、丘を越え、道が石から泥に変わる頃、わたくしは腹を決めました。
紅茶がなくても、優雅は淹れられます。
王都がなくても、貴族は続けられます。
気高さとは、場所ではなく姿勢――わたくしの母が口紅のように毎朝ひく言葉。
◇
昼過ぎ、馬車はきしみながら止まりました。
「着いたぜ、グレイム村。お、おう……」
おう、とはなんですの。……おう、でしたわ。
目の前の“お屋敷”は、屋根が半分空へ旅立ち、壁は絵画の遠景のようにかすれ、扉は――風と対話して勝手に開閉する最新式。
庭? ございますとも。雑草という名の熱帯庭園が、腰まで伸びて生い茂っております。
わたくしは一歩、草むらに踏み入れ――ずぶっ。
長靴の中で小川が目覚めました。
「まあ。天然の足浴ですわ」
その時、畑から鍬を担いだ青年がこちらを見て、口を開けたまま固まりました。
「……なんだ、その恰好」
「貧乏の最先端、湿地色コレクションでしてよ」
「いや、普通に泥に落ちた貴族だろ……」
彼は日焼けした額をかき、呆れたように笑いました。
「俺はマリオ。村のなんでも屋。あんたが新しい……その、居候?」
「いいえ。再起動した令嬢ですわ」
「わからんけど、やべぇ匂いしかしないな……」
そこへ、杖をついたおばあさまが現れました。
「お嬢ちゃん、名は」
「クラリッサ・ヴァレンティーヌでしてよ」
「長い。クラ。――よし、クラでええ。ここで生きるなら、土に挨拶せい」
「土に?」
「土は嘘を嫌う。手を汚す者にだけ、芽を見せるんじゃ」
……わたくし、扇子を閉じ、手袋を外しました。
指先が震える? いいえ。気高く震えますの。
膝をつき、泥の匂いを吸い込み、土に触れる。
冷たくて、やわらかくて、王都の絨毯よりもずっと正直。
「はじめまして。――生かして差し上げますわ」
「土をか? 豪気な嬢ちゃんじゃ」
おばあさま(後でアデラ様と名乗られました)は、にやりと笑って背を向けました。
その視線の端に、畑の縁に立つ黒髪の青年が見えた気がいたしましたが――彼はすぐに目を逸らし、風のほうへ消えました。
(のちに、彼が辺境に潜んでいた元騎士だと知るのは、もう少し先のお話)
◇
家の中は、期待通り。
床は軋み、壁は風通しが良すぎ、棚は空気と仲良し。
わたくしは袖をたくし上げ、深呼吸をして宣言いたしました。
「結構ですわ! 紅茶がなければハーブティーを淹れればいいじゃありませんの!」
「ハーブなんて、ここらじゃ雑草だぞ」マリオが笑います。
「雑草? 名を与えれば特産になりますの」
「名を?」
「たとえば――《図太き乙女の朝露》(ブレイブ・レディズ・ドロップ)。貧血にも恋にも効きますわ」
「効かねぇだろ」
「効かせますの。売り方という薬で」
わたくしは壊れかけのテーブルに布をかけ、割れたカップを磨き、窓辺に野の葉を束ねて吊るしました。
風がふわりと通り抜け、部屋の匂いが“ただの湿気”から“始まりの匂い”に変わる。
小屋の外では、アデラ様の声。
「マリオ、井戸水を持ってけ。客が飲める水にせんか」
「へいへい」
コトリ、とカップを置き、わたくしは鏡に向かって微笑みました。
鏡は、王都のそれより曇っております。けれど――よろしい。曇りは、光を柔らかくいたしますから。
追放の朝は、再生の朝。
わたくしは泥の上で、背筋を伸ばし、宣言いたしました。
「見ていてくださいませ、王都。
わたくし、貧乏になっても図太く、優雅に下剋上してみせますの!」
扉の隙間から、誰かの視線が小さく揺れました。
完璧な笑顔の女――セシリア・バートラムの影が、遠い都の空に重なって見えた気がいたします。
完璧は、欠けるためにある。
わたくしは欠けたところに、花を植える女ですのよ。
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