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第2話 ボロ小屋のプリンセス
しおりを挟む――見事なまでに、ボロでしたわ。
ドアは外れ、床には穴、窓はガラスがなく、代わりに蜘蛛の巣がきらめいています。
「まあ……陽の光がよく入りますこと。風通しも、ええ、最高ですわね!」
わたくし――クラリッサ・ヴァレンティーヌ。
かつては王都で“完璧な淑女”と讃えられた身。
けれど今は、家具も食器も召使いもいない、ただの辺境の亡命者。
けれど、わたくしは倒れません。
「貧乏? 結構ですわ。
気品は財産から生まれませんの。心の在り方でしてよ!」
そう言いながら埃まみれのドレスをたくし上げ、
腰にスカーフを巻いて腕をまくります。
――“令嬢、初めての大掃除”の幕開けでした。
ほうき一本で、わたくしは戦場に立ちました。
天井の埃が雪のように舞い、鼻の先に落ちます。
「……くしゅんっ!」
「あら失礼。
くしゃみさえ上品に出すのが淑女の嗜みですわね」
床を磨きながら、わたくしは考えました。
“優雅に生きる”とは、つまりどういうことか。
王都にいた頃は、何もかもが整えられていました。
侍女が用意した紅茶を飲み、靴の汚れすら知らずに過ごしていた。
――けれど、あの生活は本当に“優雅”だったのかしら?
「今は泥と埃と戦っていますけれど……
わたくし、どこか懐かしい気がいたしますの」
外では風が吹き、壁の隙間から草の香りが入り込む。
ひと息つくと、床板の向こうから“ぽとん”と音がしました。
「え?」
床下を覗くと、小さな動く影――ネズミでした。
「まぁ、王都にはいなかったお客様ですわね!
……ふふ、仲良くしましょう? でも寝床は別でお願いしますのよ?」
独り言にしては上出来。
それでも声を出さないと、胸の奥の不安が溢れ出してしまいそうでした。
日が傾き始めたころ。
外から“ギシギシ”と木の軋む音が聞こえました。
「どなたかしら? 野犬……ではなさそうね」
わたくしが慎重に扉を開けると、そこに立っていたのは――
日焼けした頬の少年。
肩に薪を担ぎ、ぼさぼさの髪を掻きながらこちらを見上げていました。
「……あんた、誰?」
「まあ。ご挨拶もなしに“あんた”呼ばわり? この村の礼儀はずいぶん斬新ですわね!」
「え、えっと……すんません。オレ、マリオ。村の薪割りしてる」
「クラリッサ・ヴァレンティーヌですわ」
「……長っ! なんか貴族っぽいな」
「貴族っぽいではなく、貴族そのものですの。いまは“自称・辺境の姫”ですけれど」
マリオは目をぱちくりさせて、室内を覗き込みました。
「これ……住むんすか?」
「ええ。ここがわたくしのお城ですわ」
「穴、空いてますけど」
「換気口ですの」
「屋根も剥がれてますけど」
「自然採光ですわ」
「ネズミ、出てますけど」
「ペットですの!」
少年はしばし沈黙し、それから笑い出しました。
「へんな人だな!」
「失礼な。わたくしは変ではなく、個性的なのですわ」
それが、後に村中で語られる“変な令嬢”伝説の始まりでした。
夕暮れ。
マリオが帰る前に、小さな袋を差し出しました。
「母ちゃんが焼いたパン。腹減ってるだろ?」
「まあ……お気遣い、ありがとうございますわ」
受け取ったパンは、少し焦げていて、香ばしい匂いがしました。
「……村の人たち、優しいのね」
「クラのこと、みんなもう噂してるぞ。“変な令嬢が来た”って」
「ふふ、それは光栄ですわね。
貴族とは目立ってなんぼ、笑われても舞台に立つのが務めですの」
マリオは首をかしげた。
「笑われても平気なの?」
「ええ。笑われるということは、見られているということ。
“興味を持たれている”というのは、生きている証拠ですわ」
少年の目が少し柔らかくなった。
「なんか、よく分かんねぇけど……強いな、あんた」
「ええ、“図太い”とも言われますの」
マリオが帰ったあと、小屋の中に再び静寂が訪れる。
けれど今は、孤独ではありませんでした。
誰かと笑い合った温もりが、胸の奥に残っていたからです。
窓から見える夕陽が、泥まみれの床を黄金色に照らす。
わたくしは扇子を広げて、埃を払いながら呟きました。
「この場所がわたくしの舞台。
泥と埃の中でも、気品を失わぬ女――それが、公爵令嬢クラリッサ・ヴァレンティーヌですの!」
その声が、夕暮れの村に響き渡る。
そして翌日、村人たちの間でこう噂された。
――“昨日、山小屋から芝居みたいな声が聞こえた”
――“変な令嬢、今度は何を始める気だ?”
けれどクラリッサは、その“変”という言葉を微笑みで受け止めた。
それが彼女の誇りの始まりになるとも知らずに――。
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