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第27話 夜風の香り、初恋草
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夜の風がやわらかく吹いていた。
村の広場では小さな焚き火が燃え、炎が赤く揺れている。
子どもたちはすでに寝静まり、残っているのはクラリッサとレオン、そして静かな夜だけだった。
クラリッサは膝の上で扇子を閉じたまま、火の明かりに照らされた草束を見つめていた。
それは、彼女の代名詞となった“初恋草”――
淡いピンク色の花弁が夜風に揺れ、ほのかに甘い香りを放つ。
「……あなた、本当に香りのことに詳しくなってきましたわね」
クラリッサの声に、レオンはわずかに肩をすくめた。
「付き合いが長いと、自然に覚える。
香りの種類も、火の起こし方も、ハーブの乾かし方もな」
「では次は“気分に合わせた香りの調合”ですわ。
わたくしの弟子としては、そこまで習得していただかないと」
「……弟子、ね」
レオンは苦笑し、火の粉を指先で弾く。
「俺が香りの弟子なら、お前は剣の師だな」
「まあ、剣など握ったことありませんのに」
「いや、言葉で人を斬る達人だ」
「まあ! 誉め言葉と受け取っておきますわ」
ふと、クラリッサの笑みがやわらいだ。
焚き火の明かりがその頬を照らし、彼女の瞳の奥に揺れる光が見える。
それは強さでもあり、寂しさでもあった。
「“初恋草”って、どうしてそう呼ぶんだ?」
レオンの問いに、クラリッサは少しだけ遠くを見るようにして答えた。
「――昔、わたくしが王都で育てていた花園に、この花が咲いたのですの」
「王都に?」
「ええ。季節外れの春の日でしたわ。
庭の隅に咲いたたった一輪のこの花を、
ある方が“初恋の香り”と名づけられたのです」
「……“ある方”?」
クラリッサは微笑んだ。
「もう、遠い昔の話ですわ。
幼かったわたくしに、“優しさは誇りよりも強い”と教えてくれた人。
けれど――その人は、もうこの世におりません」
レオンは焚き火を見つめた。
クラリッサの言葉の端々に、静かな痛みが滲んでいる。
彼女が背負ってきた“追放”や“裏切り”の裏に、
まだ語られていない記憶があることを悟った。
「……初恋草、か。
なら、あんたの香りには、誰かの記憶が宿ってるんだな」
「ええ。けれど、それは“恋”というより――“誓い”ですの」
クラリッサは微笑む。
「わたくし、この花を見るたびに思うのです。
誰かを憎むより、誰かを赦すより、
“もう一度、誇りを取り戻すこと”の方が難しいって」
沈黙が落ちる。
風が吹き、焚き火の火が揺れた。
レオンはゆっくりと息を吐き、低く呟く。
「……それでも、お前は立ち続けた」
「ええ。図太く、生きるために」
その言葉に、レオンは小さく笑った。
「図太く、か。
王都の令嬢だったあんたが、畑で泥だらけになって笑ってる姿を見たとき、
本当に強い人間ってのは、たぶんこういう人なんだと思った」
「……あなた、今、少し詩的でしたわ」
「減点されない?」
「八十五点ですの」
「あと十五点は?」
「……“おやすみなさい”の前に優しい言葉を添えたら満点ですわ」
レオンは焚き火越しにクラリッサを見つめ、静かに言った。
「なら――おやすみ、クラリッサ。
明日も、この村が穏やかでありますように」
クラリッサの瞳が、やわらかく細まる。
「……はい。あなたにも、良い夢を」
焚き火の火が静かに小さくなっていく。
夜風に初恋草の香りが流れ、空の星が一つ、また一つ瞬く。
レオンはその香りを胸いっぱいに吸い込み、
どこかで聞いたことのある“約束”の香りだと気づいた。
――それは、ずっと昔、彼が王都で出会ったある少女の香り。
その名を、まだ知らなかった少女の。
村の広場では小さな焚き火が燃え、炎が赤く揺れている。
子どもたちはすでに寝静まり、残っているのはクラリッサとレオン、そして静かな夜だけだった。
クラリッサは膝の上で扇子を閉じたまま、火の明かりに照らされた草束を見つめていた。
それは、彼女の代名詞となった“初恋草”――
淡いピンク色の花弁が夜風に揺れ、ほのかに甘い香りを放つ。
「……あなた、本当に香りのことに詳しくなってきましたわね」
クラリッサの声に、レオンはわずかに肩をすくめた。
「付き合いが長いと、自然に覚える。
香りの種類も、火の起こし方も、ハーブの乾かし方もな」
「では次は“気分に合わせた香りの調合”ですわ。
わたくしの弟子としては、そこまで習得していただかないと」
「……弟子、ね」
レオンは苦笑し、火の粉を指先で弾く。
「俺が香りの弟子なら、お前は剣の師だな」
「まあ、剣など握ったことありませんのに」
「いや、言葉で人を斬る達人だ」
「まあ! 誉め言葉と受け取っておきますわ」
ふと、クラリッサの笑みがやわらいだ。
焚き火の明かりがその頬を照らし、彼女の瞳の奥に揺れる光が見える。
それは強さでもあり、寂しさでもあった。
「“初恋草”って、どうしてそう呼ぶんだ?」
レオンの問いに、クラリッサは少しだけ遠くを見るようにして答えた。
「――昔、わたくしが王都で育てていた花園に、この花が咲いたのですの」
「王都に?」
「ええ。季節外れの春の日でしたわ。
庭の隅に咲いたたった一輪のこの花を、
ある方が“初恋の香り”と名づけられたのです」
「……“ある方”?」
クラリッサは微笑んだ。
「もう、遠い昔の話ですわ。
幼かったわたくしに、“優しさは誇りよりも強い”と教えてくれた人。
けれど――その人は、もうこの世におりません」
レオンは焚き火を見つめた。
クラリッサの言葉の端々に、静かな痛みが滲んでいる。
彼女が背負ってきた“追放”や“裏切り”の裏に、
まだ語られていない記憶があることを悟った。
「……初恋草、か。
なら、あんたの香りには、誰かの記憶が宿ってるんだな」
「ええ。けれど、それは“恋”というより――“誓い”ですの」
クラリッサは微笑む。
「わたくし、この花を見るたびに思うのです。
誰かを憎むより、誰かを赦すより、
“もう一度、誇りを取り戻すこと”の方が難しいって」
沈黙が落ちる。
風が吹き、焚き火の火が揺れた。
レオンはゆっくりと息を吐き、低く呟く。
「……それでも、お前は立ち続けた」
「ええ。図太く、生きるために」
その言葉に、レオンは小さく笑った。
「図太く、か。
王都の令嬢だったあんたが、畑で泥だらけになって笑ってる姿を見たとき、
本当に強い人間ってのは、たぶんこういう人なんだと思った」
「……あなた、今、少し詩的でしたわ」
「減点されない?」
「八十五点ですの」
「あと十五点は?」
「……“おやすみなさい”の前に優しい言葉を添えたら満点ですわ」
レオンは焚き火越しにクラリッサを見つめ、静かに言った。
「なら――おやすみ、クラリッサ。
明日も、この村が穏やかでありますように」
クラリッサの瞳が、やわらかく細まる。
「……はい。あなたにも、良い夢を」
焚き火の火が静かに小さくなっていく。
夜風に初恋草の香りが流れ、空の星が一つ、また一つ瞬く。
レオンはその香りを胸いっぱいに吸い込み、
どこかで聞いたことのある“約束”の香りだと気づいた。
――それは、ずっと昔、彼が王都で出会ったある少女の香り。
その名を、まだ知らなかった少女の。
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