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第26話 辺境の約束
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朝の霧が晴れ、村の上空に淡い陽が射した。
夜のうちに降った雨で畑の土は湿り、香草の葉は瑞々しい光を放っている。
クラリッサは袖をまくり、泥の中で根を確認しながら呟いた。
「嵐も敵も、みんな通り過ぎたあとがいちばん忙しいんですのね」
背後で、金属の音が響いた。
振り返ると、レオンが鍛冶場の横で剣の手入れをしていた。
刃を布で拭う姿は、静かで、まるで祈りのようだった。
「あなたの剣、もう血の匂いがしませんわね」
クラリッサの言葉に、レオンがわずかに微笑む。
「代わりに、初恋草の香りがついてる。あの煙のせいだ」
「まあ、香りのついた騎士。なかなか新しい流派ですの」
「香りで敵を倒せるなら、もう剣はいらない」
「倒すのではなく、惹きつけるのですわ。香りの流派は、戦わずして勝つもの」
クラリッサは立ち上がり、扇子を開いて風を送る。
彼女の言葉に、レオンが少しだけ息を漏らして笑った。
その笑いに、ほんの一瞬だけ“騎士ではなく男”の柔らかさがのぞく。
「……なにがおかしいんですの?」
「いや、貴族らしい教えだと思ってな」
「元・貴族、ですのよ」
二人の笑い声が小屋に響く。
しかし、その穏やかな時間は長く続かなかった。
アデラおばあちゃんが息を切らして駆け込んできた。
「クラリッサ! 森の外れに、王都の旗を持った連中が!」
「……もう来ましたのね」
クラリッサの表情が一瞬で引き締まる。
レオンは剣を握り直し、声を低くした。
「特務隊だ。ヴァルドの連中。早いな……」
「どうします?」
「戦わない。村を巻き込むわけにはいかない」
クラリッサは扇子を閉じ、考える。
“香りで封じる”――それが、彼女にできる唯一の戦い方。
「村の入口に、乾いたハーブを敷き詰めましょう。
燃やせば煙が風を作りますわ。彼らが方向を見失うように」
「……陽動か」
「わたくしの得意分野ですの」
レオンが頷く。
「俺は反対側から出て迎撃する。万一侵入されたら、時間を稼げ」
「危険ですわ」
「お前を守るためにここにいる。約束しただろう」
クラリッサは息を呑む。
昨日まで“利用する”と言い切った相手の、その言葉に胸が熱くなる。
「……そうでしたわね。では、指揮官殿。作戦開始ですわ」
彼女は村人たちに指示を出し、子どもたちを安全な小屋へ誘導する。
アデラおばあちゃんは火の管理を引き受け、マリオたちは香草を運んだ。
そしてクラリッサは、自分の扇子を開いた。
「風よ、わたくしの香りを運びなさい。
――誰も、この村を穢させませんわ」
扇子の先端に火をともす。
燃え上がったハーブの煙が空へ昇り、甘く、それでいて鋭い香りが森を満たした。
敵の姿が見えない。
煙が霧と混じり、王都の紋章を掲げた隊が足を止める。
「おかしい……視界が……」
「香りで惑わしている、退け!」
レオンはその隙に森の影を抜け、敵の背を取った。
彼の剣が音もなく動く。
しかし、クラリッサが望んだとおり、血は流れない。
彼は刃の峰で叩き、武装を外し、敵を気絶させる。
戦いは静かに、しかし確実に終わった。
風が止み、煙が晴れる。
レオンが戻ってくると、クラリッサは待っていた。
「お帰りなさいませ、香りの騎士殿」
「……大げさな称号だな」
「功績には勲章を。ですが、わたくしの勲章は香りですわ」
クラリッサはハーブの束を差し出した。
「これは“約束”の香り。
次に戦うときは、剣と香り、二つで守りますの」
レオンはそれを受け取り、短く頷いた。
「約束しよう」
そのとき、遠くの丘で狼煙が上がった。
王都の特務隊は撤退していない。
ヴァルド本人が、まだこの辺境に向かっている。
クラリッサは小さく息を吐いた。
「やはり、静かには終わりませんのね」
「嵐の前の静けさだ」
ふと、レオンが笑う。
「でも……お前となら、どんな嵐でも耐えられそうだ」
クラリッサはわずかに頬を赤らめ、扇子で顔を隠した。
「そのような言葉、十点減点ですわ。
――貴族を口説くには、もう少し詩的にどうぞ」
「詩は苦手だ。戦場じゃ剣しか使わなかった」
「なら、これから練習なさって」
二人の笑い声が、燃え残りの香草の間を抜けて風に溶ける。
そして、その香りが静かに広がっていく――
それは、守るための香り。
新しい秩序の始まりを告げる“辺境の風”の香りだった。
夜のうちに降った雨で畑の土は湿り、香草の葉は瑞々しい光を放っている。
クラリッサは袖をまくり、泥の中で根を確認しながら呟いた。
「嵐も敵も、みんな通り過ぎたあとがいちばん忙しいんですのね」
背後で、金属の音が響いた。
振り返ると、レオンが鍛冶場の横で剣の手入れをしていた。
刃を布で拭う姿は、静かで、まるで祈りのようだった。
「あなたの剣、もう血の匂いがしませんわね」
クラリッサの言葉に、レオンがわずかに微笑む。
「代わりに、初恋草の香りがついてる。あの煙のせいだ」
「まあ、香りのついた騎士。なかなか新しい流派ですの」
「香りで敵を倒せるなら、もう剣はいらない」
「倒すのではなく、惹きつけるのですわ。香りの流派は、戦わずして勝つもの」
クラリッサは立ち上がり、扇子を開いて風を送る。
彼女の言葉に、レオンが少しだけ息を漏らして笑った。
その笑いに、ほんの一瞬だけ“騎士ではなく男”の柔らかさがのぞく。
「……なにがおかしいんですの?」
「いや、貴族らしい教えだと思ってな」
「元・貴族、ですのよ」
二人の笑い声が小屋に響く。
しかし、その穏やかな時間は長く続かなかった。
アデラおばあちゃんが息を切らして駆け込んできた。
「クラリッサ! 森の外れに、王都の旗を持った連中が!」
「……もう来ましたのね」
クラリッサの表情が一瞬で引き締まる。
レオンは剣を握り直し、声を低くした。
「特務隊だ。ヴァルドの連中。早いな……」
「どうします?」
「戦わない。村を巻き込むわけにはいかない」
クラリッサは扇子を閉じ、考える。
“香りで封じる”――それが、彼女にできる唯一の戦い方。
「村の入口に、乾いたハーブを敷き詰めましょう。
燃やせば煙が風を作りますわ。彼らが方向を見失うように」
「……陽動か」
「わたくしの得意分野ですの」
レオンが頷く。
「俺は反対側から出て迎撃する。万一侵入されたら、時間を稼げ」
「危険ですわ」
「お前を守るためにここにいる。約束しただろう」
クラリッサは息を呑む。
昨日まで“利用する”と言い切った相手の、その言葉に胸が熱くなる。
「……そうでしたわね。では、指揮官殿。作戦開始ですわ」
彼女は村人たちに指示を出し、子どもたちを安全な小屋へ誘導する。
アデラおばあちゃんは火の管理を引き受け、マリオたちは香草を運んだ。
そしてクラリッサは、自分の扇子を開いた。
「風よ、わたくしの香りを運びなさい。
――誰も、この村を穢させませんわ」
扇子の先端に火をともす。
燃え上がったハーブの煙が空へ昇り、甘く、それでいて鋭い香りが森を満たした。
敵の姿が見えない。
煙が霧と混じり、王都の紋章を掲げた隊が足を止める。
「おかしい……視界が……」
「香りで惑わしている、退け!」
レオンはその隙に森の影を抜け、敵の背を取った。
彼の剣が音もなく動く。
しかし、クラリッサが望んだとおり、血は流れない。
彼は刃の峰で叩き、武装を外し、敵を気絶させる。
戦いは静かに、しかし確実に終わった。
風が止み、煙が晴れる。
レオンが戻ってくると、クラリッサは待っていた。
「お帰りなさいませ、香りの騎士殿」
「……大げさな称号だな」
「功績には勲章を。ですが、わたくしの勲章は香りですわ」
クラリッサはハーブの束を差し出した。
「これは“約束”の香り。
次に戦うときは、剣と香り、二つで守りますの」
レオンはそれを受け取り、短く頷いた。
「約束しよう」
そのとき、遠くの丘で狼煙が上がった。
王都の特務隊は撤退していない。
ヴァルド本人が、まだこの辺境に向かっている。
クラリッサは小さく息を吐いた。
「やはり、静かには終わりませんのね」
「嵐の前の静けさだ」
ふと、レオンが笑う。
「でも……お前となら、どんな嵐でも耐えられそうだ」
クラリッサはわずかに頬を赤らめ、扇子で顔を隠した。
「そのような言葉、十点減点ですわ。
――貴族を口説くには、もう少し詩的にどうぞ」
「詩は苦手だ。戦場じゃ剣しか使わなかった」
「なら、これから練習なさって」
二人の笑い声が、燃え残りの香草の間を抜けて風に溶ける。
そして、その香りが静かに広がっていく――
それは、守るための香り。
新しい秩序の始まりを告げる“辺境の風”の香りだった。
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