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4話
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軽い体力測定のような実技演習が終わり、中庭の端に集められた数人の生徒たちは、それぞれ水を飲んだり、風に当たったりして身体を休めていた。
文哉は、少し離れた木陰のベンチに座り込んで、静かに息を整えていた。
「……はぁ、やっぱまだ体力ないな、俺」
額からこめかみへ、汗が伝う。
文哉は制服の上着を脱ぎ、シャツの裾を軽くつまんで、胸元をめくる。
内側のタンクトップ越しに浮かぶ腹筋と、汗に滲む肌の質感。
めくったシャツの隙間から、体温のこもった蒸気がふわっと広がる。
──その一部始終を、偶然見てしまったふたりの少女がいた。
「……ッ」
「えっ、わっ……!」
しずくと真帆、ふたり同時に息を飲む。
しずくは、目を見開いたまま固まっていた。
(うそっ……やば……やばくない!? 今の……)
文哉の肌に光が差し込んで、汗がきらりと弾ける。
その瞬間の絵面のインパクトに、頭が真っ白になりかけた。
(腹筋、あるんだ……。や、でも、それより……)
口元が乾く。さっきまで護衛モードだった自分の意識が、ガラガラと崩れていく。
「……っ、あたし、なに見てんの!?」
ひとりツッコミのように小声で叫ぶが、心臓の鼓動は止まってくれなかった。
一方、真帆もまた、別の形で固まっていた。
(……み、見ちゃった……)
唇を指先で押さえるようにして、うつむく。
制服のシャツの隙間から見えた、汗ばんだ肌。
頬が熱い。視界がにじむ。
(……あれ、文哉くん、絶対……自覚ない、よね……)
そう思いながらも、さっき見た“彼だけの光景”が、何度も脳裏をよぎってしまう。
(絵にしたい……けど……そんなの、私、ヘンだよ……)
手の中のスケッチブックがほんのり湿っていたのは、汗か、それとも緊張か。
ふと、文哉がこちらに気づいて顔を上げる。
「……あれ、ふたりともどうかした?」
「な、なんでもないっ! 見てない見てない見てないっ!」
しずくが慌てて叫ぶ。顔が赤い。
「わ、私も……! あの、そ、その……だ、大丈夫っ」
真帆は早口で言いながら、カーディガンの袖で自分の顔を隠すようにした。
ふたりの様子に、文哉はきょとんとして首を傾げる。
「???」
春の風が吹き抜け、どこかくすぐったい空気だけが、その場に残った。
放課後、教室には夕焼けが差し込んでいた。
ほとんどの生徒は帰り支度を済ませ、教室内には文哉と桜葉 梨羽だけが残っていた。
「……ねぇ、文哉くん。今日の演習のあとさ……シャツめくって汗拭いてたでしょ?」
唐突に切り出された言葉に、文哉は「え?」と首を傾げた。
「……うん? 暑かったから、普通に……」
「それだよっ!」
梨羽がズイッと机越しに詰め寄る。ポニーテールがふわりと跳ねた。
「そーいうの! 男子としてちょっと無防備すぎっ! 見てるこっちがドキドキするじゃん……!」
「え、そんなに?」
「そーなの! この学園じゃ、男子の肌露出って、もう……! 重大案件なんだから!」
梨羽は顔を赤くしながら、勢いよくまくし立てる。
けれど、目はどこか泳いでいて、頬もほんのり染まっていた。
(あれ……なんか、今日の梨羽、やけに反応が……)
文哉は少しだけ意地悪な気持ちで、さらりと聞いてみた。
「……じゃあ、梨羽も……ドキドキした?」
「えっ……」
その瞬間、梨羽の動きが止まる。
勢いで前のめりになっていた体が、ぴたりと固まる。
まるで再起動が必要になったAIみたいに、数秒間のフリーズ。
「え、ち、ちがっ……ちがうっていうか、その……」
声が裏返る。視線が右往左往する。
そして、顔全体が、熟した桃のように真っ赤になっていく。
「……い、今のナシ! ナシっ! そういうのずるいっ!」
文哉に向けて、ぺしぺしと軽く肩を叩く。
「ずるいのはそっちじゃない? 注意する割に、めっちゃ動揺してるし」
「うぅぅ……そ、それは……予想外だったっていうか……!」
もともとグイグイ行ける梨羽だからこそ、“いじられる側”に回ると急に防御力が低くなる。
文哉は、そんな梨羽の反応を眺めながら、くすりと笑った。
「……そっか。ドキドキしてくれるの、ちょっと嬉しいかも」
「なっ……ちょ、やっぱずるいっ!」
机に顔を伏せる梨羽の背中を、夕日がやわらかく照らしていた。
机に突っ伏したまま、梨羽は顔を覆っていた。
「も~……なんでそんなこと聞くのさ……。ドキドキしたに決まってるじゃん……」
小さくこぼれた声は、本人も気づかぬうちに本音に近かった。
そのときだった。
「……文哉くん。あの……忘れ物、取りに来たの」
教室のドアが、カタンと開いた。
静かな足音とともに、柊 真帆が入ってくる。
彼女はスケッチブックを胸に抱え、文哉に近づいてきた。
「え……あ、真帆?」
「うん。……それで、その……文哉くん、さっきの……」
小さな声に、梨羽がぴくりと顔を上げた。
伏せたままの頬は赤く、だが視線は鋭く、真帆をとらえる。
(また、来た……!)
さらに、数秒遅れて、今度は元気な声が背後から響いた。
「おーい! 文哉くん~! まだいたんだ!」
ドアが再び開き、スポーティな足取りで現れたのは海里 しずく。
肩にバッグをかけ、ジャケットを脱いだままの姿で、教室の中央へと駆け寄ってくる。
「も~、今日の演習のとき、文哉くんめっちゃ頑張ってたじゃん? だから、声かけようと思って!」
「えっと……ありがと?」
文哉が曖昧に笑う傍らで、真帆と梨羽、しずくの三人の視線が――ばちり、と交錯した。
一瞬、教室内の空気がピンと張りつめる。
真帆は、小さく息を飲んだように視線を落とし、スケッチブックを抱きしめるように強く握る。
「……さっき、文哉くんと……何か、話してた?」
いつもより少しだけ強い声音。
それに梨羽が、思わず言い返す。
「べ、別に、普通の会話だけど? ちょっと注意しただけだし!」
「えっ? なになに? 注意って……文哉くん、なんかしたの?」
しずくが無邪気に問いかける。だが、そこにも少し探るような色が混ざっていた。
(……うわっ、これ完全に修羅場じゃん!?)
文哉は内心で絶望する。
明るく無邪気なしずく。
物静かで観察力に鋭い真帆。
そして、勢いと感情で動く梨羽。
三人の視線が、自分ひとりに集中している。しかも、それぞれの感情の色を乗せて。
「えっと……その、ちょっと汗を拭こうと思って、シャツめくっただけで……」
「あー、それかっ!」
しずくが手を打つ。
「確かに、それはドキッとするかもね~。私も昼のとき、うっかり目が泳いじゃったし」
「し、しずくっ……それ言う!? 今言う!?」
梨羽が顔を真っ赤にしながら机をバンと叩く。
一方、真帆は少し口を開いて、けれどすぐに閉じた。
うつむいたその目元は、ほんのわずかに揺れている。
「……でも、それくらい……文哉くん、かっこよかったから」
「ま、真帆っ……!?」
「な、なんか……みんなして言いたい放題だな……!」
文哉が顔を手で覆いながら呻くと、しずくがくすくす笑う。
「ねえ、文哉くん。もしこれが、演習じゃなくて“恋のトレーニング”だったら――誰を選ぶ?」
「なっ……ちょ、何言ってるの、しずくっ!」
「し、質問がずるいっ……!」
真帆と梨羽が同時に抗議の声を上げる。
そしてその間に立つ文哉は、ゆっくりと天井を仰いだ。
(……神様、転生って……こういう地獄のことだった?)
けれど――内心のどこかで、確かに感じていた。
誰かに守られるだけの存在ではなく、“彼女たちと向き合うこと”が、
今の自分にとって、何よりも「生きてる」実感なのだと。
✿✿✿✿
「じゃあ、今日はこのへんで解散~って感じ?」
教室の空気が一段落しかけたその時、ふいに口を開いたのは海里 しずくだった。
「……ねえ、文哉くん。一緒に帰らない?」
「……え?」
しずくは屈託のない笑顔を浮かべながら、文哉の手提げカバンをひょいと指で持ち上げる。
「せっかくだしさ、今日の演習の感想とか話したいなーって思って!」
「ちょ、ずるっ! 先に言ったもん勝ちみたいなやつじゃん!」
すかさず、梨羽が身を乗り出して抗議する。
「私だって文哉くんと話したいこと、いっぱいあるし! 今日のアレとかコレとか……!」
顔がまだほんのり赤いまま、でも負けじと張り合う。
「ま、待って……それなら……」
真帆が、小さな声で手を挙げる。
「……あの、今日……近道の小道に、夕焼けがきれいに見える場所があって……そこ、通って帰れたら……な、なんでもない……」
言葉の途中でしぼんでいく声。
けれど、その顔にはほんのりと、決意に似た火が灯っていた。
「っ……真帆ちゃん、意外とやるじゃん……!」
しずくが目を細めて笑うが、そこに微妙な緊張が混じっている。
文哉は完全にフリーズしていた。
(えっ、これって……俺が選ぶ流れ?)
机を挟んで向かい合う三人。
明るく押してくるしずく。
拗ねたように主張する梨羽。
そっと差し出された小さな勇気を見せる真帆。
それぞれの“らしさ”が、交差して、重なって、そして静かにぶつかっていた。
「な、なんか、俺が選ぶのも申し訳ないというか……」
「じゃあじゃあ、じゃんけんで決めよっか!」
しずくが元気よく手を挙げる。
「ええぇっ!? 男子と一緒に帰るの、じゃんけんで決めるの!?」
「じゃあ他にいい案ある? このままだと文哉くんが困るし!」
梨羽はぐぬぬと唸り、真帆は困ったように視線を泳がせる。
文哉はため息をついた。
「……じゃあ、今日は三人で一緒に帰ればいいんじゃない?」
その提案に、三人の反応は――
「……えっ」
「えっ」
「えっ!?」
ぴたりと声が揃った。
「ほら、学園の周りって広いし、寄り道ルートなら時間もかかるし……それなら一緒にのんびり歩いた方が、いいかなって」
「……文哉くん、それって……ずるい」
真帆がぽつりと呟き、顔をそっと伏せる。
「んも~……でも、そういうとこ、嫌いじゃないんだよねっ!」
しずくは苦笑しながら、文哉の肩を軽く叩いた。
梨羽は腕を組みながら、ぷいっとそっぽを向く。
「もう……今回は特別ってことで、許してあげるんだから」
(この世界で……俺、たぶん本当にモテてる)
夕焼けの差し込む教室で、文哉は心のどこかでそう実感していた。
そして、その“特別な日常”が、どれだけ大切なものかを――。
文哉は、少し離れた木陰のベンチに座り込んで、静かに息を整えていた。
「……はぁ、やっぱまだ体力ないな、俺」
額からこめかみへ、汗が伝う。
文哉は制服の上着を脱ぎ、シャツの裾を軽くつまんで、胸元をめくる。
内側のタンクトップ越しに浮かぶ腹筋と、汗に滲む肌の質感。
めくったシャツの隙間から、体温のこもった蒸気がふわっと広がる。
──その一部始終を、偶然見てしまったふたりの少女がいた。
「……ッ」
「えっ、わっ……!」
しずくと真帆、ふたり同時に息を飲む。
しずくは、目を見開いたまま固まっていた。
(うそっ……やば……やばくない!? 今の……)
文哉の肌に光が差し込んで、汗がきらりと弾ける。
その瞬間の絵面のインパクトに、頭が真っ白になりかけた。
(腹筋、あるんだ……。や、でも、それより……)
口元が乾く。さっきまで護衛モードだった自分の意識が、ガラガラと崩れていく。
「……っ、あたし、なに見てんの!?」
ひとりツッコミのように小声で叫ぶが、心臓の鼓動は止まってくれなかった。
一方、真帆もまた、別の形で固まっていた。
(……み、見ちゃった……)
唇を指先で押さえるようにして、うつむく。
制服のシャツの隙間から見えた、汗ばんだ肌。
頬が熱い。視界がにじむ。
(……あれ、文哉くん、絶対……自覚ない、よね……)
そう思いながらも、さっき見た“彼だけの光景”が、何度も脳裏をよぎってしまう。
(絵にしたい……けど……そんなの、私、ヘンだよ……)
手の中のスケッチブックがほんのり湿っていたのは、汗か、それとも緊張か。
ふと、文哉がこちらに気づいて顔を上げる。
「……あれ、ふたりともどうかした?」
「な、なんでもないっ! 見てない見てない見てないっ!」
しずくが慌てて叫ぶ。顔が赤い。
「わ、私も……! あの、そ、その……だ、大丈夫っ」
真帆は早口で言いながら、カーディガンの袖で自分の顔を隠すようにした。
ふたりの様子に、文哉はきょとんとして首を傾げる。
「???」
春の風が吹き抜け、どこかくすぐったい空気だけが、その場に残った。
放課後、教室には夕焼けが差し込んでいた。
ほとんどの生徒は帰り支度を済ませ、教室内には文哉と桜葉 梨羽だけが残っていた。
「……ねぇ、文哉くん。今日の演習のあとさ……シャツめくって汗拭いてたでしょ?」
唐突に切り出された言葉に、文哉は「え?」と首を傾げた。
「……うん? 暑かったから、普通に……」
「それだよっ!」
梨羽がズイッと机越しに詰め寄る。ポニーテールがふわりと跳ねた。
「そーいうの! 男子としてちょっと無防備すぎっ! 見てるこっちがドキドキするじゃん……!」
「え、そんなに?」
「そーなの! この学園じゃ、男子の肌露出って、もう……! 重大案件なんだから!」
梨羽は顔を赤くしながら、勢いよくまくし立てる。
けれど、目はどこか泳いでいて、頬もほんのり染まっていた。
(あれ……なんか、今日の梨羽、やけに反応が……)
文哉は少しだけ意地悪な気持ちで、さらりと聞いてみた。
「……じゃあ、梨羽も……ドキドキした?」
「えっ……」
その瞬間、梨羽の動きが止まる。
勢いで前のめりになっていた体が、ぴたりと固まる。
まるで再起動が必要になったAIみたいに、数秒間のフリーズ。
「え、ち、ちがっ……ちがうっていうか、その……」
声が裏返る。視線が右往左往する。
そして、顔全体が、熟した桃のように真っ赤になっていく。
「……い、今のナシ! ナシっ! そういうのずるいっ!」
文哉に向けて、ぺしぺしと軽く肩を叩く。
「ずるいのはそっちじゃない? 注意する割に、めっちゃ動揺してるし」
「うぅぅ……そ、それは……予想外だったっていうか……!」
もともとグイグイ行ける梨羽だからこそ、“いじられる側”に回ると急に防御力が低くなる。
文哉は、そんな梨羽の反応を眺めながら、くすりと笑った。
「……そっか。ドキドキしてくれるの、ちょっと嬉しいかも」
「なっ……ちょ、やっぱずるいっ!」
机に顔を伏せる梨羽の背中を、夕日がやわらかく照らしていた。
机に突っ伏したまま、梨羽は顔を覆っていた。
「も~……なんでそんなこと聞くのさ……。ドキドキしたに決まってるじゃん……」
小さくこぼれた声は、本人も気づかぬうちに本音に近かった。
そのときだった。
「……文哉くん。あの……忘れ物、取りに来たの」
教室のドアが、カタンと開いた。
静かな足音とともに、柊 真帆が入ってくる。
彼女はスケッチブックを胸に抱え、文哉に近づいてきた。
「え……あ、真帆?」
「うん。……それで、その……文哉くん、さっきの……」
小さな声に、梨羽がぴくりと顔を上げた。
伏せたままの頬は赤く、だが視線は鋭く、真帆をとらえる。
(また、来た……!)
さらに、数秒遅れて、今度は元気な声が背後から響いた。
「おーい! 文哉くん~! まだいたんだ!」
ドアが再び開き、スポーティな足取りで現れたのは海里 しずく。
肩にバッグをかけ、ジャケットを脱いだままの姿で、教室の中央へと駆け寄ってくる。
「も~、今日の演習のとき、文哉くんめっちゃ頑張ってたじゃん? だから、声かけようと思って!」
「えっと……ありがと?」
文哉が曖昧に笑う傍らで、真帆と梨羽、しずくの三人の視線が――ばちり、と交錯した。
一瞬、教室内の空気がピンと張りつめる。
真帆は、小さく息を飲んだように視線を落とし、スケッチブックを抱きしめるように強く握る。
「……さっき、文哉くんと……何か、話してた?」
いつもより少しだけ強い声音。
それに梨羽が、思わず言い返す。
「べ、別に、普通の会話だけど? ちょっと注意しただけだし!」
「えっ? なになに? 注意って……文哉くん、なんかしたの?」
しずくが無邪気に問いかける。だが、そこにも少し探るような色が混ざっていた。
(……うわっ、これ完全に修羅場じゃん!?)
文哉は内心で絶望する。
明るく無邪気なしずく。
物静かで観察力に鋭い真帆。
そして、勢いと感情で動く梨羽。
三人の視線が、自分ひとりに集中している。しかも、それぞれの感情の色を乗せて。
「えっと……その、ちょっと汗を拭こうと思って、シャツめくっただけで……」
「あー、それかっ!」
しずくが手を打つ。
「確かに、それはドキッとするかもね~。私も昼のとき、うっかり目が泳いじゃったし」
「し、しずくっ……それ言う!? 今言う!?」
梨羽が顔を真っ赤にしながら机をバンと叩く。
一方、真帆は少し口を開いて、けれどすぐに閉じた。
うつむいたその目元は、ほんのわずかに揺れている。
「……でも、それくらい……文哉くん、かっこよかったから」
「ま、真帆っ……!?」
「な、なんか……みんなして言いたい放題だな……!」
文哉が顔を手で覆いながら呻くと、しずくがくすくす笑う。
「ねえ、文哉くん。もしこれが、演習じゃなくて“恋のトレーニング”だったら――誰を選ぶ?」
「なっ……ちょ、何言ってるの、しずくっ!」
「し、質問がずるいっ……!」
真帆と梨羽が同時に抗議の声を上げる。
そしてその間に立つ文哉は、ゆっくりと天井を仰いだ。
(……神様、転生って……こういう地獄のことだった?)
けれど――内心のどこかで、確かに感じていた。
誰かに守られるだけの存在ではなく、“彼女たちと向き合うこと”が、
今の自分にとって、何よりも「生きてる」実感なのだと。
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「じゃあ、今日はこのへんで解散~って感じ?」
教室の空気が一段落しかけたその時、ふいに口を開いたのは海里 しずくだった。
「……ねえ、文哉くん。一緒に帰らない?」
「……え?」
しずくは屈託のない笑顔を浮かべながら、文哉の手提げカバンをひょいと指で持ち上げる。
「せっかくだしさ、今日の演習の感想とか話したいなーって思って!」
「ちょ、ずるっ! 先に言ったもん勝ちみたいなやつじゃん!」
すかさず、梨羽が身を乗り出して抗議する。
「私だって文哉くんと話したいこと、いっぱいあるし! 今日のアレとかコレとか……!」
顔がまだほんのり赤いまま、でも負けじと張り合う。
「ま、待って……それなら……」
真帆が、小さな声で手を挙げる。
「……あの、今日……近道の小道に、夕焼けがきれいに見える場所があって……そこ、通って帰れたら……な、なんでもない……」
言葉の途中でしぼんでいく声。
けれど、その顔にはほんのりと、決意に似た火が灯っていた。
「っ……真帆ちゃん、意外とやるじゃん……!」
しずくが目を細めて笑うが、そこに微妙な緊張が混じっている。
文哉は完全にフリーズしていた。
(えっ、これって……俺が選ぶ流れ?)
机を挟んで向かい合う三人。
明るく押してくるしずく。
拗ねたように主張する梨羽。
そっと差し出された小さな勇気を見せる真帆。
それぞれの“らしさ”が、交差して、重なって、そして静かにぶつかっていた。
「な、なんか、俺が選ぶのも申し訳ないというか……」
「じゃあじゃあ、じゃんけんで決めよっか!」
しずくが元気よく手を挙げる。
「ええぇっ!? 男子と一緒に帰るの、じゃんけんで決めるの!?」
「じゃあ他にいい案ある? このままだと文哉くんが困るし!」
梨羽はぐぬぬと唸り、真帆は困ったように視線を泳がせる。
文哉はため息をついた。
「……じゃあ、今日は三人で一緒に帰ればいいんじゃない?」
その提案に、三人の反応は――
「……えっ」
「えっ」
「えっ!?」
ぴたりと声が揃った。
「ほら、学園の周りって広いし、寄り道ルートなら時間もかかるし……それなら一緒にのんびり歩いた方が、いいかなって」
「……文哉くん、それって……ずるい」
真帆がぽつりと呟き、顔をそっと伏せる。
「んも~……でも、そういうとこ、嫌いじゃないんだよねっ!」
しずくは苦笑しながら、文哉の肩を軽く叩いた。
梨羽は腕を組みながら、ぷいっとそっぽを向く。
「もう……今回は特別ってことで、許してあげるんだから」
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