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間奏曲
lamentazione(26)
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目の前に開いて置いてあるギターケースに、薄暗い電灯の光を遮った小さな影が出来たのを見て、男は顔を上げた。こんな時間のこんな場所には不相応な子供が1人立っていた。
「おじさん、ずっとここで歌ってる? おじさんの他に歌うアジア系っている?」
男は爪弾くギターの音を止め、歌うのをやめると少女の質問に首を振った。
「じゃあ、やっぱりおじさんのことだ。あたしキャロルって言うの。ときどき、おじさんの歌聞きにくる、ここ、袖のここにラインの入ったジャージ着てる男の人、知らない?名前はグレン」
キャロルはいつも兄が着ているジャージの袖に入ったラインをなぞるように、自分の腕の上を指でなぞった。男は何も言わず、じっとキャロルを見つめたが、キャロルはそのまま話し続けた。
「グレンは……あたしのお兄ちゃんなの」
「……そうか」
男が呟くと、はたはたとキャロルの目から大粒の涙が零れ、コインの代わりにギターケースに落ちた。
「お兄ちゃん、死んじゃうかもしれない」
男は驚いたように目を見張った。
「おどかしてごめん」
キャロルは突然泣き始めた自分に男が驚いたのかもしれないと、小さく震える声で「ごめん」と繰り返しながら涙を両手でぬぐったが、その隙間からとめどなく涙はこぼれていく。止まらない涙とともに、嗚咽と声が大きくなっていく。
「今日、この先の教会で事故があって……教会が崩れたの知ってる? お兄ちゃんその事故に巻き込まれて大怪我しちゃったんだって。だから当分家に帰って来れないって病院の人が……」
「大怪我……」
「なんか、死んじゃうかもしれないから、特別な治療の為に家族のサインが必要ってママのモバイルに連絡があったの。それであたし、病院に行って、さっきサインしてきたんだ」
男の脳裏にあの爆破が蘇る。数日前からあの教会の近辺で感じた違和感。嫌な予感の正体を確かめるため忍び込んだ先で、教会を完全に破壊するためであろう仕掛けられた爆発物をいくつも見つけた。
ターゲットは自分ではないことが確認出来たのでそのまま放置したが、顔なじみの、ときにはなけなしのコインや煙草を投げ入れ、自分の歌が好きだと言ってくれる青年が巻き込まれるのは阻止してやりたいと思った。気付けば「行くな」と声をかけていた。だが相手は自分の忠告を笑って済まそうとし、ならばそれが彼の運命かと、これ以上深入りするまいと納得しかけたが、彼の背中が角を曲がって消える頃にはギターをケースにしまい後を追った。
そして確かに自分はグレンをあの爆破から、衝撃からも火炎からも避けてやった。あの正体不明の獣の群れからも遠ざけた。そのまま教会から運び出してやろうとしたが、草むらに隠れていた黒い集団、特殊部隊のようだったが、警察やSWATといった正規部隊ではない。“特殊”過ぎる連中――爆発を仕掛けたのもやつらだろう。あからさまに教会を爆破するようなことはせず、あくまで事故を演出するよう巧妙に爆発物は仕掛けられていた――そんな得体の知れない連中が侵入してきてしまったために、グレンを教会から離れた安全な場所まで運んでやることができなかった。絶対に自分の存在を悟られるわけにはいかなかった。
だが確認したかぎりグレンの怪我は軽い打撲と擦過傷程度であったし、救急隊に運び出されるまで、誰にも気付かれない位置から遠く見守ったが、救命士がグレンに大丈夫だと告げるほどに、死にはほど遠かったはずだ。
「お兄ちゃんが死んじゃったら、あたし、ひとりになっちゃう」
とうとう膝を抱えてしゃがみ泣きじゃくるキャロルの頭に、男はそっと手を置いた。
「大丈夫だ」
予想だにしなかった男の透き通る声に驚いたキャロルは、しゃくりあげていた体が自然と落ち着くのを感じた。
「ありがと、おじさん……また来るね」
鼻をすすり上げてキャロルはそう言うと立ち上がり、暗い路地に向けて歩き出そうとしたが、男はキャロルの腕を取った。
「送っていく。この辺は物騒だ」
男はキャロルがもう一度小さく「ありがと」と呟くのを聞くと、ギターをケースにしまいキャロルと一緒に歩き出した。
「おじさん、ずっとここで歌ってる? おじさんの他に歌うアジア系っている?」
男は爪弾くギターの音を止め、歌うのをやめると少女の質問に首を振った。
「じゃあ、やっぱりおじさんのことだ。あたしキャロルって言うの。ときどき、おじさんの歌聞きにくる、ここ、袖のここにラインの入ったジャージ着てる男の人、知らない?名前はグレン」
キャロルはいつも兄が着ているジャージの袖に入ったラインをなぞるように、自分の腕の上を指でなぞった。男は何も言わず、じっとキャロルを見つめたが、キャロルはそのまま話し続けた。
「グレンは……あたしのお兄ちゃんなの」
「……そうか」
男が呟くと、はたはたとキャロルの目から大粒の涙が零れ、コインの代わりにギターケースに落ちた。
「お兄ちゃん、死んじゃうかもしれない」
男は驚いたように目を見張った。
「おどかしてごめん」
キャロルは突然泣き始めた自分に男が驚いたのかもしれないと、小さく震える声で「ごめん」と繰り返しながら涙を両手でぬぐったが、その隙間からとめどなく涙はこぼれていく。止まらない涙とともに、嗚咽と声が大きくなっていく。
「今日、この先の教会で事故があって……教会が崩れたの知ってる? お兄ちゃんその事故に巻き込まれて大怪我しちゃったんだって。だから当分家に帰って来れないって病院の人が……」
「大怪我……」
「なんか、死んじゃうかもしれないから、特別な治療の為に家族のサインが必要ってママのモバイルに連絡があったの。それであたし、病院に行って、さっきサインしてきたんだ」
男の脳裏にあの爆破が蘇る。数日前からあの教会の近辺で感じた違和感。嫌な予感の正体を確かめるため忍び込んだ先で、教会を完全に破壊するためであろう仕掛けられた爆発物をいくつも見つけた。
ターゲットは自分ではないことが確認出来たのでそのまま放置したが、顔なじみの、ときにはなけなしのコインや煙草を投げ入れ、自分の歌が好きだと言ってくれる青年が巻き込まれるのは阻止してやりたいと思った。気付けば「行くな」と声をかけていた。だが相手は自分の忠告を笑って済まそうとし、ならばそれが彼の運命かと、これ以上深入りするまいと納得しかけたが、彼の背中が角を曲がって消える頃にはギターをケースにしまい後を追った。
そして確かに自分はグレンをあの爆破から、衝撃からも火炎からも避けてやった。あの正体不明の獣の群れからも遠ざけた。そのまま教会から運び出してやろうとしたが、草むらに隠れていた黒い集団、特殊部隊のようだったが、警察やSWATといった正規部隊ではない。“特殊”過ぎる連中――爆発を仕掛けたのもやつらだろう。あからさまに教会を爆破するようなことはせず、あくまで事故を演出するよう巧妙に爆発物は仕掛けられていた――そんな得体の知れない連中が侵入してきてしまったために、グレンを教会から離れた安全な場所まで運んでやることができなかった。絶対に自分の存在を悟られるわけにはいかなかった。
だが確認したかぎりグレンの怪我は軽い打撲と擦過傷程度であったし、救急隊に運び出されるまで、誰にも気付かれない位置から遠く見守ったが、救命士がグレンに大丈夫だと告げるほどに、死にはほど遠かったはずだ。
「お兄ちゃんが死んじゃったら、あたし、ひとりになっちゃう」
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「大丈夫だ」
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「ありがと、おじさん……また来るね」
鼻をすすり上げてキャロルはそう言うと立ち上がり、暗い路地に向けて歩き出そうとしたが、男はキャロルの腕を取った。
「送っていく。この辺は物騒だ」
男はキャロルがもう一度小さく「ありがと」と呟くのを聞くと、ギターをケースにしまいキャロルと一緒に歩き出した。
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