覇王に執着される傾国の男装騎士〜忘却の接吻を、愛しき宿敵へ〜

甘塩ます☆

文字の大きさ
15 / 23

15

しおりを挟む
(何なのだ、この胸の高鳴りは)

 片腕に息子を抱き、もう片方の腕で洗濯籠を担ぎながら、アリスは後ろをついてくる男の存在にひどく緊張していた。
 朝霧の中から突然現れた彼は、まるで太陽神アポロンのようだった。周囲の温度を急上昇させるような、灼熱の熱量を感じる。

 なんて綺麗な男だろうか。

 意志の強そうな瞳も、不敵な目つきも、光り輝くプラチナブロンドの髪も、まるで精巧な芸術品のようだ。
 騎士のように逞しい体格。あの強靭な腕で、あの厚い胸板に抱きしめられたなら、私は……。

 不意に浮かんだ不埒な妄想に、アリスは狼狽え、激しく胸を震わせた。

(私はどうしてしまったというの? 初対面の旅人に……)

 感じたことのない情動に、彼女は必死で顔を伏せた。


 カイルは無口な男だった。
 村に入るまでの間、彼は一言も発さなかった。だが、その背中に突き刺さるような熱い視線が気になって、アリスは生きた心地がしなかった。


「えっと、村長さんの家はこちらです。ちょうど朝の乾布摩擦をしておられますね。村長さーん!」

「おや、アリスか。今日も朝が早いな。……そちらの方は?」

「旅の方みたいです。湖で見かけて、ご案内しました!」

 アリスが明るく声をかけると、村長は門を開けてカイルを招き入れてくれた。

「私はそこのパン屋で働いています。何か困ったことがあったら、気軽に声をかけてくださいね」

 アリスは丁寧にカイルへ一礼すると、足早にパン屋へと戻っていった。表の物干し台で、先ほど洗ったばかりの洗濯物を干し始める彼女の後ろ姿を、カイルはじっと見送っていた。


「旅の方、どうぞこちらへ」

 名残惜しげにアリスを追っていたカイルだが、村長に促され、その質素な家へと足を踏み入れた。

「この村は港からも王都からも離れており、学のない者も多い。身を隠すにはうってつけの場所です。……事情は聞きませぬ。ここでは貴方は、ただの平民として扱います。よろしいですかな?」

 村長の静かな眼差しに、カイルは直感した。この老人は、自分の正体に薄々感づいているのだと。

「ああ、助かる」

「偽名を使われますか?」

「……カイ、と呼んでくれ」

「承知いたしました、カイ殿。では、ワシの家の離れをお使いなされ」

 親切な申し出に、カイルは深々と頭を下げた。
 城での豪華な寝室よりも、この小さな離れの方が、ずっと心が安らぐような気がしていた。窓から顔を出せば、通りを挟んだ向かい側にアリスの働くパン屋が見える。
 カイルは懐から、あのボロボロの鹿革の布を取り出した。
 アリスという女。アーサーという名の子供。
 失われた記憶の断片が、この村に、彼女の側に、確かに転がっている。そんな気がした。



 その日の夕方、カイルはパンを買いにアリスの店を訪れた。

「いらっしゃいませ。あら、カイル様」

「……すまん、俺のことは『カイ』と呼んでくれ」

 彼女に対して何の警戒心も抱かず、平然と本名を告げてしまったことに気づき、カイルは内心で驚愕した。自分らしくない失態だ。王としての、あるいは逃亡者としての本能が、彼女の前では完全に牙を抜かれている。

「はい、カイ様」

 アリスは不審に思う様子もなく、穏やかな笑顔で言い直してくれた。
 やはり、聡い女性なのだろう。
 カイルは胸の奥が温かくなるのを感じた。どういうわけか、彼女の傍はひどく安らぐ。

 エプロン姿のアリスは、ちょうど焼きたてのパンを棚に並べているところだった。

「ちょうど新しいパンが焼きあがったところです。うちで一番人気の胡桃パンですよ」

 香ばしいパンの香りに包まれて微笑むアリス。その柔らかい表情に、カイルは吸い寄せられるように答えた。

「……では、それを頂こうか」

「ありがとうございます」

 カイルは思わず胡桃パンを購入していた。彼女がパンを包む手際の良い動き。その指先の無駄のなさに、カイルはふと、鋭い剣を振るう時の洗練された所作を幻視した。

「……お前、昔どこかで剣を習っていなかったか?」

 その問いに、アリスの手がぴたりと止まる。

「まさか。私はただのパン屋の娘ですよ」

 笑って誤魔化す彼女だったが、その瞳には一瞬だけ、深い哀しみが宿った気がした。

 一方、息子のアーサーは、カイルの腰に隠された短剣に興味津々だった。

「ねぇねぇ、おじちゃん! これ見せて!」

 それは、カイルがかつて「誰か」のために買い求めた、実用性の乏しい宝石付きの短剣だった。実際には魔力増幅の機能があるのだが、並の魔力では宝の持ち腐れとなる、贅を尽くした逸品だ。だが、強大な魔力を持つカイルにとっては、いざという時に頼れる武器でもある。

「こら、アーサー! その方は『おじちゃん』と呼ぶには若すぎるでしょう。お客様と呼びなさい。それに、それはカイ様の大事な物なのだから、勝手に触っては駄目よ」

 アリスは慌てて息子を叱り、カイルに深々と頭を下げる。

「構わん。だが、重いぞ。子供のお前には持てない、見るだけだ」

 カイルは膝をつき、目線を合わせてアーサーに短剣を見せてやった。

「すごーい! キラキラしてる、綺麗だね!」

 散りばめられた宝石に、幼いアーサーは目を輝かせる。

「本当ね……」

 アリスも横から覗き込み、にこにこと微笑んだ。だが、その胸の奥で小さなざわめきが起きていた。

(……どこかで、見たことがあるような気がする)

 しかし、こんな高級な品を、名もなき自分が知るわけがない。

 カイルは子供の頭をそっと撫でながら、ふと息を呑んだ。
 至近距離で見る、幼い少年の顔。

(この子の瞳の形……。鏡で見る俺の目に、あまりにも似すぎていないか?)

 俺は彼女に一目惚れして、あらぬ妄想を繰り広げているのかもしれない。
 カイルは期待と、不安に胸を震わせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

【完結】男装令嬢、深い事情により夜だけ王弟殿下の恋人を演じさせられる

千堂みくま
恋愛
ある事情のため男として生きる伯爵令嬢ルルシェ。彼女の望みはただ一つ、父親の跡を継いで領主となること――だが何故か王弟であるイグニス王子に気に入られ、彼の側近として長いあいだ仕えてきた。 女嫌いの王子はなかなか結婚してくれず、彼の結婚を機に領地へ帰りたいルルシェはやきもきしている。しかし、ある日とうとう些細なことが切っ掛けとなり、イグニスに女だとバレてしまった。 王子は性別の秘密を守る代わりに「俺の女嫌いが治るように協力しろ」と持ちかけてきて、夜だけ彼の恋人を演じる事になったのだが……。 ○ニブい男装令嬢と不器用な王子が恋をする物語。○Rシーンには※印あり。 [男装令嬢は伯爵家を継ぎたい!]の改稿版です。 ムーンライトでも公開中。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

兄みたいな騎士団長の愛が実は重すぎでした

鳥花風星
恋愛
代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、 幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。 アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。 すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。 ☆他投稿サイトにも掲載しています。 ☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。

男として王宮に仕えていた私、正体がバレた瞬間、冷酷宰相が豹変して溺愛してきました

春夜夢
恋愛
貧乏伯爵家の令嬢である私は、家を救うために男装して王宮に潜り込んだ。 名を「レオン」と偽り、文官見習いとして働く毎日。 誰よりも厳しく私を鍛えたのは、氷の宰相と呼ばれる男――ジークフリード。 ある日、ひょんなことから女であることがバレてしまった瞬間、 あの冷酷な宰相が……私を押し倒して言った。 「ずっと我慢していた。君が女じゃないと、自分に言い聞かせてきた」 「……もう限界だ」 私は知らなかった。 宰相は、私の正体を“最初から”見抜いていて―― ずっと、ずっと、私を手に入れる機会を待っていたことを。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

歳の差を気にして去ろうとした私は夫の本気を思い知らされる

紬あおい
恋愛
政略結婚の私達は、白い結婚から離縁に至ると思っていた。 しかし、そんな私にお怒りモードの歳下の夫は、本気で私を籠絡する。

処理中です...