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家の中はいつも暗かった。酒浸りの父と、病弱で臆病な母。父は酔えば暴力を振るう最低の男だ。母はなぜこんな男と結婚したのか、ユナには到底理解できなかった。
「昔は、それは素敵な人だったのよ」
それが母の口癖だ。父は、魔物に襲われた母を庇って足を失ってから、人が変わってしまったのだという。
家に居場所のないユナは、よく外に出ては薬草を摘んだ。母の薬を作れるし、薬屋に持っていけば多少の小遣い稼ぎになるからだ。
「ちょっと、そこを退いてくれない? 道の真ん中に居座られると邪魔だわ」
村を出ようとした矢先のことだ。大きな鳥の魔物が道の真ん中に陣取っており、人々が立ち往生していた。
近場の草原には強い魔物はめったに出ない。だが、道沿いを進むのが一番安全なのだ。この魔物は少し強そうで、大勢の大人たちが追い払おうと試みていたが、びくともしない。
「ふーん……。孵(かえ)ったばかりの雛を狙われそうで、動けないのね」
「お嬢ちゃん、魔物の言葉がわかるのかい? おらたちはただ通りたいだけで、雛に手を出すつもりなんてねぇんだ!」
ユナは魔物の言葉を解している自覚はなかった。雰囲気で察しただけだ。
困り果てていた大人たちは驚き、一縷の望みをかけるようにユナを見つめる。
「ここは道だから、みんなが通りたがっているの。雛を連れて、少しだけ横に避けてくれる?」
ユナが語りかけると、親鳥はスッと立ち上がった。その下から、五羽ほどの雛が姿を現す。親鳥は少しだけ横にそれて茂みに入り、雛たちもヨチヨチとその後を追っていった。
無事に道が開通した。
「お嬢ちゃん、助かったよ。これは駄賃だ」
人々は喜び、次々と小銭をユナに手渡した。
「ただお願いしただけなのに、大袈裟ね……」
ユナは、自分の言葉を理解してくれた鳥のほうが凄いのではないかと思いながら、その日は薬草を摘まず、手に入ったお金でいつもより質の良い薬と食材を買って帰った。
「ユナ、こんなに良い薬と食材……どこから盗んできたの!? 今すぐ返してきなさい!」
家に戻るなり、母に怒鳴られた。
「この恥知らずめ。やはり俺の子じゃないんだろ! 俺の娘がこんな真似をするわけがない。この売女!」
父は、母を殴り飛ばす。
「あんたの稼ぎが少ないのが悪いのよ! 私が体で稼ぐしかなかったのも、全部あんたのせいじゃない!」
「俺はお前を庇って足を失ったんだぞ!」
結局、いつものように醜い夫婦喧嘩が始まり、二人はユナの言葉を聞こうともしなかった。ユナの視界が涙で滲む。
――コンコン。
扉もなく、布を垂らしただけの出入り口。そこを、誰かが律儀にノックした。
「失礼。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うけれど、あまりに耳に余ったから声をかけさせてもらうよ」
そこに立っていたのは、驚くほど美しい少年だった。物語に登場する王子様のような。
「なんだテメェ!」
父が声を荒らげる。
「僕はエル。お忍びだから、これ以上は名乗れないけれど。……彼女のことはずっと見ていたよ。いつも一生懸命に薬草を集めていたよね。それに、魔物たちが君に薬草を運んでいくところも見た。君が彼らに愛されているのを、微笑ましく思っていたんだ。ずっとボロボロな格好をしているのが気になっていたけれど、僕の権力で強引に連れ去るのは良くないと思って我慢していた。……でも、今のは見過ごせない」
エルは冷ややかな目で両親を射抜いた。
「今日、彼女は皆のために道を切り拓いた。人々が心ばかりのお礼をし、彼女はそのお金を家族のために使った。それなのに、君たちは話を聞こうともせず泥棒扱い。信じられないね。……もう、彼女をこんな場所に置いてはおけない。ユナ、僕と一緒に来てくれるね?」
まくしたてるように言ったエルが、ユナに手を差し出す。
「君を『買う』よ。家族には、それ相応の金を払おう」
「え……」
それでも、自分が居なくなれば両親は困るのではないか。
ユナがおずおずと両親の方を見ると、二人はこれまでにないほど目を輝かせていた。
「やはりお前の子供だな。男を引っかけるのが上手い。よくやった、ユナ!」
「ユナのおかげで貧乏暮らしからおさらばね! ちゃんとした治療を受ければ、私の病気だって治るかもしれないわ」
「俺の足も元通りになるかもな!」
「二人でやり直しましょう」
「ああ、もうお前を他の男になんか渡さないぞ」
二人は抱きしめ合い、熱い口づけを交わした。
「……ユナ。君は本当に、両親のどちらとも血が繋がっていないのではないか?」
死んだような目でその光景を見つめるエルが、ポツリと漏らした。
ユナ自身も、心からそう思いたかった。
この日、ユナは両親に売られた。
「昔は、それは素敵な人だったのよ」
それが母の口癖だ。父は、魔物に襲われた母を庇って足を失ってから、人が変わってしまったのだという。
家に居場所のないユナは、よく外に出ては薬草を摘んだ。母の薬を作れるし、薬屋に持っていけば多少の小遣い稼ぎになるからだ。
「ちょっと、そこを退いてくれない? 道の真ん中に居座られると邪魔だわ」
村を出ようとした矢先のことだ。大きな鳥の魔物が道の真ん中に陣取っており、人々が立ち往生していた。
近場の草原には強い魔物はめったに出ない。だが、道沿いを進むのが一番安全なのだ。この魔物は少し強そうで、大勢の大人たちが追い払おうと試みていたが、びくともしない。
「ふーん……。孵(かえ)ったばかりの雛を狙われそうで、動けないのね」
「お嬢ちゃん、魔物の言葉がわかるのかい? おらたちはただ通りたいだけで、雛に手を出すつもりなんてねぇんだ!」
ユナは魔物の言葉を解している自覚はなかった。雰囲気で察しただけだ。
困り果てていた大人たちは驚き、一縷の望みをかけるようにユナを見つめる。
「ここは道だから、みんなが通りたがっているの。雛を連れて、少しだけ横に避けてくれる?」
ユナが語りかけると、親鳥はスッと立ち上がった。その下から、五羽ほどの雛が姿を現す。親鳥は少しだけ横にそれて茂みに入り、雛たちもヨチヨチとその後を追っていった。
無事に道が開通した。
「お嬢ちゃん、助かったよ。これは駄賃だ」
人々は喜び、次々と小銭をユナに手渡した。
「ただお願いしただけなのに、大袈裟ね……」
ユナは、自分の言葉を理解してくれた鳥のほうが凄いのではないかと思いながら、その日は薬草を摘まず、手に入ったお金でいつもより質の良い薬と食材を買って帰った。
「ユナ、こんなに良い薬と食材……どこから盗んできたの!? 今すぐ返してきなさい!」
家に戻るなり、母に怒鳴られた。
「この恥知らずめ。やはり俺の子じゃないんだろ! 俺の娘がこんな真似をするわけがない。この売女!」
父は、母を殴り飛ばす。
「あんたの稼ぎが少ないのが悪いのよ! 私が体で稼ぐしかなかったのも、全部あんたのせいじゃない!」
「俺はお前を庇って足を失ったんだぞ!」
結局、いつものように醜い夫婦喧嘩が始まり、二人はユナの言葉を聞こうともしなかった。ユナの視界が涙で滲む。
――コンコン。
扉もなく、布を垂らしただけの出入り口。そこを、誰かが律儀にノックした。
「失礼。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うけれど、あまりに耳に余ったから声をかけさせてもらうよ」
そこに立っていたのは、驚くほど美しい少年だった。物語に登場する王子様のような。
「なんだテメェ!」
父が声を荒らげる。
「僕はエル。お忍びだから、これ以上は名乗れないけれど。……彼女のことはずっと見ていたよ。いつも一生懸命に薬草を集めていたよね。それに、魔物たちが君に薬草を運んでいくところも見た。君が彼らに愛されているのを、微笑ましく思っていたんだ。ずっとボロボロな格好をしているのが気になっていたけれど、僕の権力で強引に連れ去るのは良くないと思って我慢していた。……でも、今のは見過ごせない」
エルは冷ややかな目で両親を射抜いた。
「今日、彼女は皆のために道を切り拓いた。人々が心ばかりのお礼をし、彼女はそのお金を家族のために使った。それなのに、君たちは話を聞こうともせず泥棒扱い。信じられないね。……もう、彼女をこんな場所に置いてはおけない。ユナ、僕と一緒に来てくれるね?」
まくしたてるように言ったエルが、ユナに手を差し出す。
「君を『買う』よ。家族には、それ相応の金を払おう」
「え……」
それでも、自分が居なくなれば両親は困るのではないか。
ユナがおずおずと両親の方を見ると、二人はこれまでにないほど目を輝かせていた。
「やはりお前の子供だな。男を引っかけるのが上手い。よくやった、ユナ!」
「ユナのおかげで貧乏暮らしからおさらばね! ちゃんとした治療を受ければ、私の病気だって治るかもしれないわ」
「俺の足も元通りになるかもな!」
「二人でやり直しましょう」
「ああ、もうお前を他の男になんか渡さないぞ」
二人は抱きしめ合い、熱い口づけを交わした。
「……ユナ。君は本当に、両親のどちらとも血が繋がっていないのではないか?」
死んだような目でその光景を見つめるエルが、ポツリと漏らした。
ユナ自身も、心からそう思いたかった。
この日、ユナは両親に売られた。
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