2 / 23
2
しおりを挟む
「急にこんなことをして申し訳ない」
揺れる馬車の中で、エルはユナに向かって深く頭を下げた。
「本来なら、もう少ししたら学園への招待状を君に送らせる予定だったんだ。君はそれほど優秀な人材だからね」
「学園……?」
「国が見込んだエリートを育てる機関さ。僕は君を推薦していたんだ」
そんな凄い場所に自分を推薦するなんて。というか、そもそも人一人を買い取るなんて、彼は一体何者なのだろう。ユナは訝しげにエルを見つめた。
「……ああ、挨拶が遅れたね。僕はエルフレード。この国の第二王子だ。といっても、政治には興味がない『スペア』だから、公務は兄上に任せきりだけどね。世間からは放蕩王子なんて呼ばれているけれど、僕はただ旅が好きなんだ。将来は冒険者になりたいと思っている。ユナ、君も僕と一緒に冒険者を目指さないか?」
エルはユナの視線の意図を察して自己紹介をすると、握手を求めるように手を差し出した。
「興味ありません」
素っ気なく、ユナはぷいと顔をそらしてしまう。
ぐいぐいと押し気味のエルに、ユナは気後れしていた。なぜ自分を買ったのか。なぜこれほど熱弁を振るうのか。ユナにはさっぱり分からなかった。「分からないこと」は、ただただ怖い。
「君ならきっと、伝説級の冒険者になれるよ」
「興味ありません」
「そっかぁ……」
見えない壁を築かれたエルは、あからさまに肩を落とした。
自分でも、興奮してアプローチを間違えた自覚はある。ずっと欲しかった彼女がようやく手元に来たのだ。胸の高鳴りが加速し、冷静ではいられなかった。
「でも、学園には通ってくれるよね? 君は探究心が強いタイプだ。学園では、君の知らない世界の真理が学べるはずだよ」
少し声を落ち着かせ、今度は慎重に勧誘を続ける。
「いいえ、別に。興味ありません」
「そんなぁ、もったいないよ」
「……でも、せっかく推薦してくださったのなら、少しだけ通ってみます。ただ、飽きたと思ったらすぐに辞めます」
落ち込んだエルの表情が不憫に思えたのか、彼女は少しだけ譲歩してくれた。
「それでも全然いいよ! 春から一緒に通えるんだね、楽しみだなぁ」
エルは子供のようにユナの手を取り、顔をほころばせた。
「学園が始まるまでは、僕の別邸で過ごすといい。身の回りの世話をする者も用意してある。……あ、そうだ」
エルは何かを思い出したように、座席の脇から小さな革袋を取り出した。
「これ、君の薬草袋だろう? あそこに置いていくのは忍びなくてね」
差し出されたのは、ボロ布を継ぎ合わせた、見覚えのある袋。ユナの愛用品であり、病弱な母が作ってくれた唯一の贈り物だ。
「……ありがとうございます」
ユナはそれを受け取り、膝の上で大切に抱きしめた。
どんなに最低な両親でも、あっさりと売られたことは、ユナにとって小さくないショックだった。
ユナが料理をすれば「お前の料理が一番美味しい」と言ってくれたこともあった。薬を届ければ「楽になった」と喜んでくれた。父だって、酒が入っていないときは穏やかで、優しく頭を撫でてくれることもあったのだ。
どんなに歪んでいても、そこには確かな家族の絆がある――少なくともユナは、そう信じたかった。
溢れ出しそうな涙を、奥歯を噛み締めて堪える。馬車がガタゴトと揺れる中、窓の外を眺めると、見慣れた貧しい村の景色がどんどん遠ざかっていった。
「金貨三十枚」
唐突に、エルが現実的な数字を口にした。
「え……?」
あまりに場違いな言葉に、ユナは拍子抜けした声を上げた。
「君の両親に支払った額だよ」
エルはどこか得意げな表情でユナを見つめた。
「君にもう関わらないという誓約書も書かせた。これで縁は完全に切れたよ。あそこまで強欲な二人だ、これくらいの金額を積まないと君にたかりに来るかもしれない。それじゃあ、君が困るだろう?」
エルは事もなげに言うが、金貨三十枚といえば、一般人が一生遊んで暮らせるほどの大金だ。あの二人は今頃、その金で酒を浴び、豪勢な食事を貪っているのだろう。娘がいなくなったことなど、すぐに忘れるに違いない。
ユナの心に、冷たい風が吹き抜けた。
「……私に、そんな大金を払う価値なんてないのに」
ユナの瞳には卑屈な色が居座っている。
「ははは! 君は本当に自分をわかっていないね。ユナ、僕にとって君はそれ以上の価値がある。金貨百枚出したって惜しくない存在だ」
エルの声は優しかったが、その瞳の奥には、獲物を狙う猛禽類のような鋭さが一瞬だけ過った。
「とりあえず、今日はゆっくり休むといい。別邸に着いたら汚れを落として、美味しいものを食べよう。……君、本当は甘いものが好きだろう?」
「……興味ありません」
図星を突かれ、ユナはぷいと横を向いた。
エルの言う「自由な冒険者」という言葉も、彼が見せる親切も、今のユナにはまだ未知の世界だ。
けれど、あの暗く冷たい家よりは、揺れる馬車の中のほうが、ずっと呼吸がしやすいことだけは確かだった。
揺れる馬車の中で、エルはユナに向かって深く頭を下げた。
「本来なら、もう少ししたら学園への招待状を君に送らせる予定だったんだ。君はそれほど優秀な人材だからね」
「学園……?」
「国が見込んだエリートを育てる機関さ。僕は君を推薦していたんだ」
そんな凄い場所に自分を推薦するなんて。というか、そもそも人一人を買い取るなんて、彼は一体何者なのだろう。ユナは訝しげにエルを見つめた。
「……ああ、挨拶が遅れたね。僕はエルフレード。この国の第二王子だ。といっても、政治には興味がない『スペア』だから、公務は兄上に任せきりだけどね。世間からは放蕩王子なんて呼ばれているけれど、僕はただ旅が好きなんだ。将来は冒険者になりたいと思っている。ユナ、君も僕と一緒に冒険者を目指さないか?」
エルはユナの視線の意図を察して自己紹介をすると、握手を求めるように手を差し出した。
「興味ありません」
素っ気なく、ユナはぷいと顔をそらしてしまう。
ぐいぐいと押し気味のエルに、ユナは気後れしていた。なぜ自分を買ったのか。なぜこれほど熱弁を振るうのか。ユナにはさっぱり分からなかった。「分からないこと」は、ただただ怖い。
「君ならきっと、伝説級の冒険者になれるよ」
「興味ありません」
「そっかぁ……」
見えない壁を築かれたエルは、あからさまに肩を落とした。
自分でも、興奮してアプローチを間違えた自覚はある。ずっと欲しかった彼女がようやく手元に来たのだ。胸の高鳴りが加速し、冷静ではいられなかった。
「でも、学園には通ってくれるよね? 君は探究心が強いタイプだ。学園では、君の知らない世界の真理が学べるはずだよ」
少し声を落ち着かせ、今度は慎重に勧誘を続ける。
「いいえ、別に。興味ありません」
「そんなぁ、もったいないよ」
「……でも、せっかく推薦してくださったのなら、少しだけ通ってみます。ただ、飽きたと思ったらすぐに辞めます」
落ち込んだエルの表情が不憫に思えたのか、彼女は少しだけ譲歩してくれた。
「それでも全然いいよ! 春から一緒に通えるんだね、楽しみだなぁ」
エルは子供のようにユナの手を取り、顔をほころばせた。
「学園が始まるまでは、僕の別邸で過ごすといい。身の回りの世話をする者も用意してある。……あ、そうだ」
エルは何かを思い出したように、座席の脇から小さな革袋を取り出した。
「これ、君の薬草袋だろう? あそこに置いていくのは忍びなくてね」
差し出されたのは、ボロ布を継ぎ合わせた、見覚えのある袋。ユナの愛用品であり、病弱な母が作ってくれた唯一の贈り物だ。
「……ありがとうございます」
ユナはそれを受け取り、膝の上で大切に抱きしめた。
どんなに最低な両親でも、あっさりと売られたことは、ユナにとって小さくないショックだった。
ユナが料理をすれば「お前の料理が一番美味しい」と言ってくれたこともあった。薬を届ければ「楽になった」と喜んでくれた。父だって、酒が入っていないときは穏やかで、優しく頭を撫でてくれることもあったのだ。
どんなに歪んでいても、そこには確かな家族の絆がある――少なくともユナは、そう信じたかった。
溢れ出しそうな涙を、奥歯を噛み締めて堪える。馬車がガタゴトと揺れる中、窓の外を眺めると、見慣れた貧しい村の景色がどんどん遠ざかっていった。
「金貨三十枚」
唐突に、エルが現実的な数字を口にした。
「え……?」
あまりに場違いな言葉に、ユナは拍子抜けした声を上げた。
「君の両親に支払った額だよ」
エルはどこか得意げな表情でユナを見つめた。
「君にもう関わらないという誓約書も書かせた。これで縁は完全に切れたよ。あそこまで強欲な二人だ、これくらいの金額を積まないと君にたかりに来るかもしれない。それじゃあ、君が困るだろう?」
エルは事もなげに言うが、金貨三十枚といえば、一般人が一生遊んで暮らせるほどの大金だ。あの二人は今頃、その金で酒を浴び、豪勢な食事を貪っているのだろう。娘がいなくなったことなど、すぐに忘れるに違いない。
ユナの心に、冷たい風が吹き抜けた。
「……私に、そんな大金を払う価値なんてないのに」
ユナの瞳には卑屈な色が居座っている。
「ははは! 君は本当に自分をわかっていないね。ユナ、僕にとって君はそれ以上の価値がある。金貨百枚出したって惜しくない存在だ」
エルの声は優しかったが、その瞳の奥には、獲物を狙う猛禽類のような鋭さが一瞬だけ過った。
「とりあえず、今日はゆっくり休むといい。別邸に着いたら汚れを落として、美味しいものを食べよう。……君、本当は甘いものが好きだろう?」
「……興味ありません」
図星を突かれ、ユナはぷいと横を向いた。
エルの言う「自由な冒険者」という言葉も、彼が見せる親切も、今のユナにはまだ未知の世界だ。
けれど、あの暗く冷たい家よりは、揺れる馬車の中のほうが、ずっと呼吸がしやすいことだけは確かだった。
11
あなたにおすすめの小説
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~
花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。
だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。
エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。
そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。
「やっと、あなたに復讐できる」
歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。
彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。
過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。
※ムーンライトノベルにも掲載しております。
憐れな妻は龍の夫から逃れられない
向水白音
恋愛
龍の夫ヤトと人間の妻アズサ。夫婦は新年の儀を行うべく、二人きりで山の中の館にいた。新婚夫婦が寝室で二人きり、何も起きないわけなく……。独占欲つよつよヤンデレ気味な夫が妻を愛でる作品です。そこに愛はあります。ムーンライトノベルズにも掲載しています。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。
そんな彼に見事に捕まる主人公。
そんなお話です。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる