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「急にこんなことをして申し訳ない」
揺れる馬車の中で、エルはユナに向かって深く頭を下げた。
「本来なら、もう少ししたら学園への招待状を君に送らせる予定だったんだ。君はそれほど優秀な人材だからね」
「学園……?」
「国が見込んだエリートを育てる機関さ。僕は君を推薦していたんだ」
そんな凄い場所に自分を推薦するなんて。というか、そもそも人一人を買い取るなんて、彼は一体何者なのだろう。ユナは訝しげにエルを見つめた。
「……ああ、挨拶が遅れたね。僕はエルフレード。この国の第二王子だ。といっても、政治には興味がない『スペア』だから、公務は兄上に任せきりだけどね。世間からは放蕩王子なんて呼ばれているけれど、僕はただ旅が好きなんだ。将来は冒険者になりたいと思っている。ユナ、君も僕と一緒に冒険者を目指さないか?」
エルはユナの視線の意図を察して自己紹介をすると、握手を求めるように手を差し出した。
「興味ありません」
素っ気なく、ユナはぷいと顔をそらしてしまう。
ぐいぐいと押し気味のエルに、ユナは気後れしていた。なぜ自分を買ったのか。なぜこれほど熱弁を振るうのか。ユナにはさっぱり分からなかった。「分からないこと」は、ただただ怖い。
「君ならきっと、伝説級の冒険者になれるよ」
「興味ありません」
「そっかぁ……」
見えない壁を築かれたエルは、あからさまに肩を落とした。
自分でも、興奮してアプローチを間違えた自覚はある。ずっと欲しかった彼女がようやく手元に来たのだ。胸の高鳴りが加速し、冷静ではいられなかった。
「でも、学園には通ってくれるよね? 君は探究心が強いタイプだ。学園では、君の知らない世界の真理が学べるはずだよ」
少し声を落ち着かせ、今度は慎重に勧誘を続ける。
「いいえ、別に。興味ありません」
「そんなぁ、もったいないよ」
「……でも、せっかく推薦してくださったのなら、少しだけ通ってみます。ただ、飽きたと思ったらすぐに辞めます」
落ち込んだエルの表情が不憫に思えたのか、彼女は少しだけ譲歩してくれた。
「それでも全然いいよ! 春から一緒に通えるんだね、楽しみだなぁ」
エルは子供のようにユナの手を取り、顔をほころばせた。
「学園が始まるまでは、僕の別邸で過ごすといい。身の回りの世話をする者も用意してある。……あ、そうだ」
エルは何かを思い出したように、座席の脇から小さな革袋を取り出した。
「これ、君の薬草袋だろう? あそこに置いていくのは忍びなくてね」
差し出されたのは、ボロ布を継ぎ合わせた、見覚えのある袋。ユナの愛用品であり、病弱な母が作ってくれた唯一の贈り物だ。
「……ありがとうございます」
ユナはそれを受け取り、膝の上で大切に抱きしめた。
どんなに最低な両親でも、あっさりと売られたことは、ユナにとって小さくないショックだった。
ユナが料理をすれば「お前の料理が一番美味しい」と言ってくれたこともあった。薬を届ければ「楽になった」と喜んでくれた。父だって、酒が入っていないときは穏やかで、優しく頭を撫でてくれることもあったのだ。
どんなに歪んでいても、そこには確かな家族の絆がある――少なくともユナは、そう信じたかった。
溢れ出しそうな涙を、奥歯を噛み締めて堪える。馬車がガタゴトと揺れる中、窓の外を眺めると、見慣れた貧しい村の景色がどんどん遠ざかっていった。
「金貨三十枚」
唐突に、エルが現実的な数字を口にした。
「え……?」
あまりに場違いな言葉に、ユナは拍子抜けした声を上げた。
「君の両親に支払った額だよ」
エルはどこか得意げな表情でユナを見つめた。
「君にもう関わらないという誓約書も書かせた。これで縁は完全に切れたよ。あそこまで強欲な二人だ、これくらいの金額を積まないと君にたかりに来るかもしれない。それじゃあ、君が困るだろう?」
エルは事もなげに言うが、金貨三十枚といえば、一般人が一生遊んで暮らせるほどの大金だ。あの二人は今頃、その金で酒を浴び、豪勢な食事を貪っているのだろう。娘がいなくなったことなど、すぐに忘れるに違いない。
ユナの心に、冷たい風が吹き抜けた。
「……私に、そんな大金を払う価値なんてないのに」
ユナの瞳には卑屈な色が居座っている。
「ははは! 君は本当に自分をわかっていないね。ユナ、僕にとって君はそれ以上の価値がある。金貨百枚出したって惜しくない存在だ」
エルの声は優しかったが、その瞳の奥には、獲物を狙う猛禽類のような鋭さが一瞬だけ過った。
「とりあえず、今日はゆっくり休むといい。別邸に着いたら汚れを落として、美味しいものを食べよう。……君、本当は甘いものが好きだろう?」
「……興味ありません」
図星を突かれ、ユナはぷいと横を向いた。
エルの言う「自由な冒険者」という言葉も、彼が見せる親切も、今のユナにはまだ未知の世界だ。
けれど、あの暗く冷たい家よりは、揺れる馬車の中のほうが、ずっと呼吸がしやすいことだけは確かだった。
揺れる馬車の中で、エルはユナに向かって深く頭を下げた。
「本来なら、もう少ししたら学園への招待状を君に送らせる予定だったんだ。君はそれほど優秀な人材だからね」
「学園……?」
「国が見込んだエリートを育てる機関さ。僕は君を推薦していたんだ」
そんな凄い場所に自分を推薦するなんて。というか、そもそも人一人を買い取るなんて、彼は一体何者なのだろう。ユナは訝しげにエルを見つめた。
「……ああ、挨拶が遅れたね。僕はエルフレード。この国の第二王子だ。といっても、政治には興味がない『スペア』だから、公務は兄上に任せきりだけどね。世間からは放蕩王子なんて呼ばれているけれど、僕はただ旅が好きなんだ。将来は冒険者になりたいと思っている。ユナ、君も僕と一緒に冒険者を目指さないか?」
エルはユナの視線の意図を察して自己紹介をすると、握手を求めるように手を差し出した。
「興味ありません」
素っ気なく、ユナはぷいと顔をそらしてしまう。
ぐいぐいと押し気味のエルに、ユナは気後れしていた。なぜ自分を買ったのか。なぜこれほど熱弁を振るうのか。ユナにはさっぱり分からなかった。「分からないこと」は、ただただ怖い。
「君ならきっと、伝説級の冒険者になれるよ」
「興味ありません」
「そっかぁ……」
見えない壁を築かれたエルは、あからさまに肩を落とした。
自分でも、興奮してアプローチを間違えた自覚はある。ずっと欲しかった彼女がようやく手元に来たのだ。胸の高鳴りが加速し、冷静ではいられなかった。
「でも、学園には通ってくれるよね? 君は探究心が強いタイプだ。学園では、君の知らない世界の真理が学べるはずだよ」
少し声を落ち着かせ、今度は慎重に勧誘を続ける。
「いいえ、別に。興味ありません」
「そんなぁ、もったいないよ」
「……でも、せっかく推薦してくださったのなら、少しだけ通ってみます。ただ、飽きたと思ったらすぐに辞めます」
落ち込んだエルの表情が不憫に思えたのか、彼女は少しだけ譲歩してくれた。
「それでも全然いいよ! 春から一緒に通えるんだね、楽しみだなぁ」
エルは子供のようにユナの手を取り、顔をほころばせた。
「学園が始まるまでは、僕の別邸で過ごすといい。身の回りの世話をする者も用意してある。……あ、そうだ」
エルは何かを思い出したように、座席の脇から小さな革袋を取り出した。
「これ、君の薬草袋だろう? あそこに置いていくのは忍びなくてね」
差し出されたのは、ボロ布を継ぎ合わせた、見覚えのある袋。ユナの愛用品であり、病弱な母が作ってくれた唯一の贈り物だ。
「……ありがとうございます」
ユナはそれを受け取り、膝の上で大切に抱きしめた。
どんなに最低な両親でも、あっさりと売られたことは、ユナにとって小さくないショックだった。
ユナが料理をすれば「お前の料理が一番美味しい」と言ってくれたこともあった。薬を届ければ「楽になった」と喜んでくれた。父だって、酒が入っていないときは穏やかで、優しく頭を撫でてくれることもあったのだ。
どんなに歪んでいても、そこには確かな家族の絆がある――少なくともユナは、そう信じたかった。
溢れ出しそうな涙を、奥歯を噛み締めて堪える。馬車がガタゴトと揺れる中、窓の外を眺めると、見慣れた貧しい村の景色がどんどん遠ざかっていった。
「金貨三十枚」
唐突に、エルが現実的な数字を口にした。
「え……?」
あまりに場違いな言葉に、ユナは拍子抜けした声を上げた。
「君の両親に支払った額だよ」
エルはどこか得意げな表情でユナを見つめた。
「君にもう関わらないという誓約書も書かせた。これで縁は完全に切れたよ。あそこまで強欲な二人だ、これくらいの金額を積まないと君にたかりに来るかもしれない。それじゃあ、君が困るだろう?」
エルは事もなげに言うが、金貨三十枚といえば、一般人が一生遊んで暮らせるほどの大金だ。あの二人は今頃、その金で酒を浴び、豪勢な食事を貪っているのだろう。娘がいなくなったことなど、すぐに忘れるに違いない。
ユナの心に、冷たい風が吹き抜けた。
「……私に、そんな大金を払う価値なんてないのに」
ユナの瞳には卑屈な色が居座っている。
「ははは! 君は本当に自分をわかっていないね。ユナ、僕にとって君はそれ以上の価値がある。金貨百枚出したって惜しくない存在だ」
エルの声は優しかったが、その瞳の奥には、獲物を狙う猛禽類のような鋭さが一瞬だけ過った。
「とりあえず、今日はゆっくり休むといい。別邸に着いたら汚れを落として、美味しいものを食べよう。……君、本当は甘いものが好きだろう?」
「……興味ありません」
図星を突かれ、ユナはぷいと横を向いた。
エルの言う「自由な冒険者」という言葉も、彼が見せる親切も、今のユナにはまだ未知の世界だ。
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