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第5章 紀行記怪談『中尊寺金色堂・毛越寺・達谷窟毘沙門堂』
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これは、岩手県の中尊寺金色堂を訪れた時のお話です。
先に、毛越寺、達谷窟毘沙門堂を訪れた話を書いてあります。
やはり、数年前のお盆の時期のことでした。
( 一応、ホラーのつもりではありますが…)
『 毛越寺 』
奥州藤原氏二代 基衡、三代 秀衡によって造営された。伽藍の規模は、中尊寺を凌ぐ規模だったという。
当時の建物は全て焼失し失われているが、庭園等の遺跡が良好な状態で残され、復元整備された「大泉が池」は、平安時代の浄土庭園の素晴らしさを今に伝える。
大泉が池は、庭園の中心を占める大きな池。
池は海を表現しているといい、汀には洲浜、荒磯、築山などの海浜の景趣が配される。
出島と池中立石の景観が、大泉が池の中に絶妙なバランスで、軽快なリズムを奏でている。
大震災の折りには、立石が大きく傾いたとも。
凛とした庭園の、見事に手入れされた和やかな池の佇まいは、かつてこの地に栄えた雅な " 都 "の面影を感じさせてくれた。
( 荒磯の、出島と池中立石 )
◇◆◇◆◇…
『 達谷窟毘沙門堂 』を訪れる。
最強のお札を頂くために。
入り口の寺務所の受付に御朱印帳を預け、境内へ。
今から約1200年前、「達谷窟」に砦を築き、ここを拠点にこの地を荒し回り、人々を苦しめていた「悪路王」などの蝦夷の首領たち。
時の帝「桓武天皇」は、「坂上田村麻呂」を征夷大将軍に任命し、延暦20年、田村麻呂率いる軍勢は激しい戦いの末に蝦夷を打ち破り、首領たちを討伐した。
田村麻呂は、この勝利を仏教の守護神である毘沙門天のおかげだと感じ、感謝の気持ちを込め、京都の清水寺をイメージしたお堂をこの地に建てた。これが『毘沙門堂』とされる。
岩屋の窪みに収まるように建てられた、毘沙門堂本堂へと階段を上り、お参りする。
本堂の拝殿前に置かれたお札を頂き、賽銭箱に千円お納めする。
このお札『牛王寶印』は、元日から8日間行われる「修正会」の祈りを経て作られる特別なお札。
「悪鬼を払い福を招く」最強のお札と呼ばれている。
毘沙門堂を降り、奥に向かう。
そこには、岩壁に刻まれた『岩面大仏』があった。
この大仏は、高さ16.5m、顔の長さは約3.6m、肩幅は約9.9mと、日本でも有数の規模を誇り、『北限の磨崖仏』と呼ばれている。
明治29年に、胸から下が地震で崩落し、顔だけの状態になったという。
私の前を、黒髪の若い女性が づっと 歩いていた。毘沙門堂を出てから、づっと。
敷地内にある『蝦蟇ヶ池辯天堂』をお参りする。
弁天様は、「嫉妬深い天女」。
仲良しのアベックは、一緒に参拝しない方が良いというジンクスがあるとか。
確かに、お堂の手前には、
『告 仲良き男女は 別々に御参り下さい』の看板が。
×が、一つ付いた私には、全く関係の無い伝承ではあったのだが …
池沿いの、小さな弁天様のお堂に手を合わせ、祈る。
「うん? …」
顔を上げた時、若い女性は、もう、どこにも見えなかった。
( 毘沙門堂 )
( 磨崖仏(岩面大仏)・胸から下部は、地震で崩落してしまっている )
◇◆◇◆◇…
『 中尊寺金色堂 』
眩いばかりの、鈍く黄金色に輝く金色堂が、硝子張りの新覆堂の中で静かに佇んでいた。
それはまるで、深呼吸をするかのように。
参拝の通路の前で、大勢の観光客たちがガラスに顔を寄せ、金色の輝きに魅入る。
目の前の須弥壇の中に、過去の栄華を生きた奥州藤原氏四代の遺体が安置され、静かに眠っていた。
金色堂を見学してから、讃衡蔵(寺宝展示施設)に入る。
ここは、中尊寺が所蔵する、寺宝である国宝や重要文化財をはじめとした、多数の仏教美術工芸品を展示している。そして、金色堂の須弥壇に眠る、藤原氏四代のご遺体の詳しい学術調査の内容をも目にすることができた。
金色堂を出てすぐの、芭蕉の像が佇む"奥の細道"脇に、役目を終えた初代の金色堂の覆堂が移築され、ひっそりと佇んでいた。
旧覆堂は、室町時代中期以降のものとされる木造建築物で、重要文化財に指定されている。
500年以上、金色堂を風雨から守り続けてきたが、昭和の改修に伴い、1963年、現在の新覆堂に役目を譲り、ここに移築された。
金色堂には、その建立から50年ほどで、風雨から建屋を守るために簡素な屋根がかけられ、その後、その建屋の増改築が重ねられてきたという。
建屋の中は、外の、晩夏の照りつける日差しの暑さも遮って、しっとりとした涼しさに満たされていた。まるで、そこに見知らぬ怪異でも潜んでいるかのように。
建屋の中の中心には、天井までの四角い卒塔婆のような柱が無言で佇み立っている。そこに棲む得体の知れない ” 何か ”を、鎮めようとするためかのように。
そのがらんとした建屋の中には、モニターが置かれ、昭和の金色堂の改修工事の様子が流されていた。私も、誰も座っていない、モニターの前に一台だけ置かれている木製のベンチに座り込み、その映像にしばらく見入ってしまったけど。
… ◆ … ◇ …
藤原清衡・基衡・秀衡の三代に亘って、約100年間、ここ東北の地、平泉で栄華を極めた奥州藤原氏の滅亡から500年。
元禄2年の江戸時代、この地を俳人・松尾芭蕉が訪れる。かの有名な、奥の細道である。
高館の、源義経の居館のあった高館 義経堂で、芭蕉が500年前の奥州藤原氏の都であった平泉に思いを馳せて詠んだ句の、句碑がある。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
… ◆ … ◇ …
芭蕉が、中尊寺の金色堂を見て詠んだ句。
『五月雨の 降残してや 光堂』
高館を訪れた芭蕉は、伝え聞いていた ” 光り輝く金色堂 ” を見ようと中尊寺へ参詣に訪れる。
芭蕉が平泉を訪れた時期は5月13日と考えられていて、丁度、五月雨の 時期だったよう。
芭蕉が参詣した時の金色堂は、現在の金色堂とは少し様子が違うとのこと。
現在見ることのできる、新覆堂の中に納まる金色堂は、昭和の大修理によって創建当時の姿に蘇った、見事で煌びやかな姿。
芭蕉が訪れた元禄2年は、藤原氏が滅びてから、既に500年。
金色堂も、建立間もないころから簡易な覆い屋が建てられ守られていたようではある。 …が、東北の厳しい風雪の中に晒され立ち続け、約400年。室町の中期、旧覆堂の中に囲われ、保護されてからも約100年以上が経っていた。
建築物を文化財として保護しようという意識も無かった当時、芭蕉が目にした金色堂が今よりも、 … いや、比較にならないほど、朽ち果てた姿であったことは、想像に難くはないだろうか。
奥の細道の旅に出る前に、芭蕉が伝え聞いていた ” 光り輝く金色堂 ” の姿。
その芭蕉の心の中の想いに重なる、目の前の " 今 "の金色堂の姿。
そして、『兵どもが …』の句。遥か昔に思いを馳せる、哀愁。
そんな金色堂を見て、芭蕉が詠んだ句が、
『五月雨の 降残してや 光堂』の一句。
果たして、その時の芭蕉の胸中は、どうだったのだろうか …。
芭蕉の像も、その詠んだ句が刻まれた句碑もまた、ただ黙って静かに、そこに立ち佇んでいるだけだった。
… ◆ … ◇ …
あの壇ノ浦の戦いから 840年。
源頼朝に、源義経。時代を創り、駆け抜けていった武士。
かつて、訪ねた愛媛県のしまなみ海道、大三島の大山祇神社で見た、頼朝・義経の奉納した大鎧。
甲冑類が展示される部屋の中で、ガラスケースに入った二つの大鎧は、互いに黙って向かい合い、ただ静かに佇んでいた。
国宝 『紫綾威鎧 』 大袖付 源氏の棟梁 源頼朝 奉納
国宝 『 赤糸威鎧 』 大袖付 源義経 所用の鎧 別名「八艘飛びの鎧」
八百有余年の年月を重ね、くすんだ茶色に変色し、今は落ち着いた色合いとなっているものの、かつては、往時の武士の美意識を纏う晴れやかな紫や朱の色彩に彩られ、鮮やかな色彩に満ちていたのだろう大鎧。
武士の、常に己の死を意識した潔さ。その美意識を体現する、死に装束としての大鎧が醸しだす危うい美しさ。
『紫綾威鎧』と、『赤糸威鎧』。
それぞれの鎧がガラスケースに入れられ、宝物館の展示室の中で相応の距離を置いて向かい合い、恰も互いが対峙するかのように展示されていた二つの大鎧。
両者の鎧が夜中に動き出し、展示されている太刀を手に、毎夜、互いに打ち合っていたかもしれない大鎧。
二人が駆け抜け、創った時代に決着を着けた、ここ平泉の地。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
芭蕉の眼には、果たしてどんな景色が映っていたのだろうか。
来る時は、流れる汗を拭きふき上った、金色堂へと続く月見坂。
月見坂を下る長い坂道を、前を歩くお尻の大きな若い娘さんの後ろ姿をずっと見ながら、坂を下った。
( 金色堂を覆う新覆屋・金色堂はこの建屋の中に )
(了)
お読み頂き、ありがとうございました。
これは、車での一人旅で、『中尊寺金色堂』、『毛越寺』を訪れた時の話です。一応、怪談? です。
さすがは、世界遺産! 立派なお社に、庭園跡の数々。
『金色堂』 見事としか、言いようもありません。
『達谷窟毘沙門堂』 不思議な雰囲気を纏ったお社でした。最強のお札と噂される「牛王寶印」を入手でき、大満足です。
かつて、愛媛県大三島 大山祇神社で目にした、源頼朝・義経が奉納した大鎧。
そして、義経終焉の地、平泉。
旅を終えた時、
全てが、芭蕉が詠んだ、
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
この心持ちでした。
またいつか、再びこの地を訪れたいと思っています。
先に、毛越寺、達谷窟毘沙門堂を訪れた話を書いてあります。
やはり、数年前のお盆の時期のことでした。
( 一応、ホラーのつもりではありますが…)
『 毛越寺 』
奥州藤原氏二代 基衡、三代 秀衡によって造営された。伽藍の規模は、中尊寺を凌ぐ規模だったという。
当時の建物は全て焼失し失われているが、庭園等の遺跡が良好な状態で残され、復元整備された「大泉が池」は、平安時代の浄土庭園の素晴らしさを今に伝える。
大泉が池は、庭園の中心を占める大きな池。
池は海を表現しているといい、汀には洲浜、荒磯、築山などの海浜の景趣が配される。
出島と池中立石の景観が、大泉が池の中に絶妙なバランスで、軽快なリズムを奏でている。
大震災の折りには、立石が大きく傾いたとも。
凛とした庭園の、見事に手入れされた和やかな池の佇まいは、かつてこの地に栄えた雅な " 都 "の面影を感じさせてくれた。
( 荒磯の、出島と池中立石 )
◇◆◇◆◇…
『 達谷窟毘沙門堂 』を訪れる。
最強のお札を頂くために。
入り口の寺務所の受付に御朱印帳を預け、境内へ。
今から約1200年前、「達谷窟」に砦を築き、ここを拠点にこの地を荒し回り、人々を苦しめていた「悪路王」などの蝦夷の首領たち。
時の帝「桓武天皇」は、「坂上田村麻呂」を征夷大将軍に任命し、延暦20年、田村麻呂率いる軍勢は激しい戦いの末に蝦夷を打ち破り、首領たちを討伐した。
田村麻呂は、この勝利を仏教の守護神である毘沙門天のおかげだと感じ、感謝の気持ちを込め、京都の清水寺をイメージしたお堂をこの地に建てた。これが『毘沙門堂』とされる。
岩屋の窪みに収まるように建てられた、毘沙門堂本堂へと階段を上り、お参りする。
本堂の拝殿前に置かれたお札を頂き、賽銭箱に千円お納めする。
このお札『牛王寶印』は、元日から8日間行われる「修正会」の祈りを経て作られる特別なお札。
「悪鬼を払い福を招く」最強のお札と呼ばれている。
毘沙門堂を降り、奥に向かう。
そこには、岩壁に刻まれた『岩面大仏』があった。
この大仏は、高さ16.5m、顔の長さは約3.6m、肩幅は約9.9mと、日本でも有数の規模を誇り、『北限の磨崖仏』と呼ばれている。
明治29年に、胸から下が地震で崩落し、顔だけの状態になったという。
私の前を、黒髪の若い女性が づっと 歩いていた。毘沙門堂を出てから、づっと。
敷地内にある『蝦蟇ヶ池辯天堂』をお参りする。
弁天様は、「嫉妬深い天女」。
仲良しのアベックは、一緒に参拝しない方が良いというジンクスがあるとか。
確かに、お堂の手前には、
『告 仲良き男女は 別々に御参り下さい』の看板が。
×が、一つ付いた私には、全く関係の無い伝承ではあったのだが …
池沿いの、小さな弁天様のお堂に手を合わせ、祈る。
「うん? …」
顔を上げた時、若い女性は、もう、どこにも見えなかった。
( 毘沙門堂 )
( 磨崖仏(岩面大仏)・胸から下部は、地震で崩落してしまっている )
◇◆◇◆◇…
『 中尊寺金色堂 』
眩いばかりの、鈍く黄金色に輝く金色堂が、硝子張りの新覆堂の中で静かに佇んでいた。
それはまるで、深呼吸をするかのように。
参拝の通路の前で、大勢の観光客たちがガラスに顔を寄せ、金色の輝きに魅入る。
目の前の須弥壇の中に、過去の栄華を生きた奥州藤原氏四代の遺体が安置され、静かに眠っていた。
金色堂を見学してから、讃衡蔵(寺宝展示施設)に入る。
ここは、中尊寺が所蔵する、寺宝である国宝や重要文化財をはじめとした、多数の仏教美術工芸品を展示している。そして、金色堂の須弥壇に眠る、藤原氏四代のご遺体の詳しい学術調査の内容をも目にすることができた。
金色堂を出てすぐの、芭蕉の像が佇む"奥の細道"脇に、役目を終えた初代の金色堂の覆堂が移築され、ひっそりと佇んでいた。
旧覆堂は、室町時代中期以降のものとされる木造建築物で、重要文化財に指定されている。
500年以上、金色堂を風雨から守り続けてきたが、昭和の改修に伴い、1963年、現在の新覆堂に役目を譲り、ここに移築された。
金色堂には、その建立から50年ほどで、風雨から建屋を守るために簡素な屋根がかけられ、その後、その建屋の増改築が重ねられてきたという。
建屋の中は、外の、晩夏の照りつける日差しの暑さも遮って、しっとりとした涼しさに満たされていた。まるで、そこに見知らぬ怪異でも潜んでいるかのように。
建屋の中の中心には、天井までの四角い卒塔婆のような柱が無言で佇み立っている。そこに棲む得体の知れない ” 何か ”を、鎮めようとするためかのように。
そのがらんとした建屋の中には、モニターが置かれ、昭和の金色堂の改修工事の様子が流されていた。私も、誰も座っていない、モニターの前に一台だけ置かれている木製のベンチに座り込み、その映像にしばらく見入ってしまったけど。
… ◆ … ◇ …
藤原清衡・基衡・秀衡の三代に亘って、約100年間、ここ東北の地、平泉で栄華を極めた奥州藤原氏の滅亡から500年。
元禄2年の江戸時代、この地を俳人・松尾芭蕉が訪れる。かの有名な、奥の細道である。
高館の、源義経の居館のあった高館 義経堂で、芭蕉が500年前の奥州藤原氏の都であった平泉に思いを馳せて詠んだ句の、句碑がある。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
… ◆ … ◇ …
芭蕉が、中尊寺の金色堂を見て詠んだ句。
『五月雨の 降残してや 光堂』
高館を訪れた芭蕉は、伝え聞いていた ” 光り輝く金色堂 ” を見ようと中尊寺へ参詣に訪れる。
芭蕉が平泉を訪れた時期は5月13日と考えられていて、丁度、五月雨の 時期だったよう。
芭蕉が参詣した時の金色堂は、現在の金色堂とは少し様子が違うとのこと。
現在見ることのできる、新覆堂の中に納まる金色堂は、昭和の大修理によって創建当時の姿に蘇った、見事で煌びやかな姿。
芭蕉が訪れた元禄2年は、藤原氏が滅びてから、既に500年。
金色堂も、建立間もないころから簡易な覆い屋が建てられ守られていたようではある。 …が、東北の厳しい風雪の中に晒され立ち続け、約400年。室町の中期、旧覆堂の中に囲われ、保護されてからも約100年以上が経っていた。
建築物を文化財として保護しようという意識も無かった当時、芭蕉が目にした金色堂が今よりも、 … いや、比較にならないほど、朽ち果てた姿であったことは、想像に難くはないだろうか。
奥の細道の旅に出る前に、芭蕉が伝え聞いていた ” 光り輝く金色堂 ” の姿。
その芭蕉の心の中の想いに重なる、目の前の " 今 "の金色堂の姿。
そして、『兵どもが …』の句。遥か昔に思いを馳せる、哀愁。
そんな金色堂を見て、芭蕉が詠んだ句が、
『五月雨の 降残してや 光堂』の一句。
果たして、その時の芭蕉の胸中は、どうだったのだろうか …。
芭蕉の像も、その詠んだ句が刻まれた句碑もまた、ただ黙って静かに、そこに立ち佇んでいるだけだった。
… ◆ … ◇ …
あの壇ノ浦の戦いから 840年。
源頼朝に、源義経。時代を創り、駆け抜けていった武士。
かつて、訪ねた愛媛県のしまなみ海道、大三島の大山祇神社で見た、頼朝・義経の奉納した大鎧。
甲冑類が展示される部屋の中で、ガラスケースに入った二つの大鎧は、互いに黙って向かい合い、ただ静かに佇んでいた。
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八百有余年の年月を重ね、くすんだ茶色に変色し、今は落ち着いた色合いとなっているものの、かつては、往時の武士の美意識を纏う晴れやかな紫や朱の色彩に彩られ、鮮やかな色彩に満ちていたのだろう大鎧。
武士の、常に己の死を意識した潔さ。その美意識を体現する、死に装束としての大鎧が醸しだす危うい美しさ。
『紫綾威鎧』と、『赤糸威鎧』。
それぞれの鎧がガラスケースに入れられ、宝物館の展示室の中で相応の距離を置いて向かい合い、恰も互いが対峙するかのように展示されていた二つの大鎧。
両者の鎧が夜中に動き出し、展示されている太刀を手に、毎夜、互いに打ち合っていたかもしれない大鎧。
二人が駆け抜け、創った時代に決着を着けた、ここ平泉の地。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
芭蕉の眼には、果たしてどんな景色が映っていたのだろうか。
来る時は、流れる汗を拭きふき上った、金色堂へと続く月見坂。
月見坂を下る長い坂道を、前を歩くお尻の大きな若い娘さんの後ろ姿をずっと見ながら、坂を下った。
( 金色堂を覆う新覆屋・金色堂はこの建屋の中に )
(了)
お読み頂き、ありがとうございました。
これは、車での一人旅で、『中尊寺金色堂』、『毛越寺』を訪れた時の話です。一応、怪談? です。
さすがは、世界遺産! 立派なお社に、庭園跡の数々。
『金色堂』 見事としか、言いようもありません。
『達谷窟毘沙門堂』 不思議な雰囲気を纏ったお社でした。最強のお札と噂される「牛王寶印」を入手でき、大満足です。
かつて、愛媛県大三島 大山祇神社で目にした、源頼朝・義経が奉納した大鎧。
そして、義経終焉の地、平泉。
旅を終えた時、
全てが、芭蕉が詠んだ、
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
この心持ちでした。
またいつか、再びこの地を訪れたいと思っています。
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