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第4章 紀行記怪談『東尋坊』
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「ここの道の駅でやっているイベントを、見に行きたいんだ」
長男が珍しく、そう言ってくる。それは学校も夏休み中の、ある朝の食卓だった。
指し示されたパンフレットを見ると、その道の駅で彼が今夢中になっているアニメキャラクターの特設コーナーが設けられ、イベントが開催されている事を告げていた。
「福井かぁー…」
私はチラシを見ながら少し首を傾げる。” ちょっと遠いな? ” と。
「北陸の方は、食べ物も美味しいみたいよ」向かいの席で、妻が言う。
既に話はできているみたいだった。
「じゃぁ、今年の夏休みの家族旅行は北陸にするかな」
私は新聞に目を落とした。
眩い海からの日射しの照り返しを受け、私達の乗る車は砂浜を駆ける。
その頃乗っていた車体重量のあるハイ◯ックス◯ーフは、波打ち際の柔らかい砂浜も物ともせずに、四輪で砂をしっかり噛みしめ走って行く。
私達は石川の羽咋にある、千里浜なぎさドライブウエイを訪れていた。
自然とスピードが上がる。全開の窓からの潮風が顔に爽快だった。
子供達も、後部ウインドウを下げた貨物室で風を受け、はしゃいでいる。
「 気持ちが良いね」助手席の妻と頷き合う。
最近見たニュースでは、この千里浜なぎさドライブウェイも、潮の流れが変わり海岸への砂の堆積が減ったことで浸食され、砂浜が急速に陸側に後退して走れない期間も多くなっているとの事だった。浸食防止の対策が公に取られているとも。
でも私が行ったこの当時は、砂浜の幅もとても広く、渚をドライブする沢山の車で賑わっていた。そして浜沿いには、多くの茶店が賑やかに立ち並んでいたことを覚えている。
永平寺は、妻の実家の宗派である曹洞宗の大本山だった。車を停めた駐車場から歩く参道脇には、落ち着いた雰囲気の鄙びた土産物屋が立ち並んでいた。
「立派なお堂ね」
見上げる妻が、そう感嘆の声を上げる。
大本山の各御堂を繋ぐ廊下と階段は、長く、そして敷地の山の斜面に沿ってくねくねと曲がり、時に急な勾配をみせていた。
私達家族は、しっとりと静かな空気に満たされた本堂の畳の上に腰を下ろすと一礼し、手を合わせた。
駐車場に車を停め、東尋坊に向かう道を歩く。
東尋坊に向かって伸びる真直ぐな道の両脇には、沢山の土産物屋や食堂が立ち並び、夏真っ盛りの夏休み中ともあって、道路は大勢の観光客達で溢れんばかりの賑わいを見せていた。
もう昼近くだったから、私達は大きなカニの看板に釣られて飲食店に入る。
「越前と言ったら、やっぱカニだよな」
私はそう言いながら、メニューをめくる。
「…、高っ。……」私は呟く。
向かいの席でも、妻が渋い顔でメニューを見ている。
「カニ、食べたいんでしょ? いいわよ」それでも一応、そうは言ってくれる。
「うーん…」
結局私達は、カニの味噌汁が付いた普通の刺身定食を頼んだ。
東尋坊を訪れたのは、空も快晴に晴れ渡った夏の日の事だった。強く照りつける日射しにも関わらず、海風に蒸し暑さも凪ぎ、真夏としては珍しく爽やかな午後だったのを覚えている。
あっけらかんとした夏の眩い日射しの中で、それこそ大勢の観光客達が、目の前に広がるごつごつとした岩場の上を平気な顔で、まるで散歩をするかの様に歩き回っている。しかも中には、岩場を徘徊するにはとても相応しくない履き物を、足にしている女性達も見受けられる。
そうして、子供や若い男女だけでなく、おじさんやおばさん、そして年配の方々まで数多の数の観光客が、岩場の断崖の上に手を突きながら崖の突端まで行って断崖の下を覗き込んでいる。
崖の周囲には、観光客達のそれらの行為を止める立ち入り禁止の柵や防護壁など何も無かったから、みんな、それこそ自由勝手に岩場を歩き回っていた。
私も足元を確かめながら、時に岩場に手を突きながら慎重に断崖の縁まで近寄ると、そこから見える断崖絶壁の下を見下ろした。
眼下に、白波が絶壁に砕け散る様を見せる、高く切り立って聳え立つ断崖の岩場に深く入り込んでいる入江が小さく見えた。
「こっから下まで、一体どれくらいあるんだ?」
「もし、落ちたら…」
断崖は海面まで25mを超える高さだとの事だが、その場所は、とても平常心を保ったまま立っていられる様な場所ではなかった。身を少し岩場から乗り出して下の入江を覗き見るだけで、股間を、気色の悪い文字通り縮み上がる様な悪寒がぞわぞわと、撫ぜ付けながら吹き抜けていった。
それは本当に、その時横にいた運動神経の無い妻が間違って崖下に落ちてしまうのではないかと、真剣に心配してしまうほどの危うさだった。そして、それは決してスリルなどという感覚とは全く違う、恐ろしいほどに嫌らしい嫌悪感を纏った、どす黒い恐怖の塊みたいな感覚だった。
「よく、誰も転落事故を起こさないものだな…」
正直、それがその時の、私の素直な実感だったのだが。
観光客の身の安全よりも、観光のための景観を優先している様にも見受けられ、それにある意味ゾッとさせられた覚えがある。
崖の上には、草むした中に小道の遊歩道があって、そこからの日本海の海の眺めは最高だった。
そして公衆電話のボックスも。それは後から知った事だったのだが、それは『救いの電話』と言われる公衆電話ボックスだった。
自殺の名所と言われる東尋坊だからこそ、その役割りは、やはり名前の通りの様だったのだが。
私はここ東尋坊が、自殺の名所としても名高いことは当然知っていたから。そして確かに、その真偽は定かではないのだが、ネットの情報ではこれまでに600名を超える人達が、ここから身を投げ亡くなっているとも記載されている。
いつか、テレビでの心霊系の番組だっただろうか。真夜中の東尋坊の様子を紹介していた。当然、心霊スポットとしての扱いだったのだが。
東尋坊へ向かう駐車場から、真っ直ぐに伸びる土産物屋が並ぶあの商店街の道。カメラがその真っ暗な道路を写し取っていく。
誰も居ない、暗く静まった道路が真っ直ぐに、東尋坊の断崖絶壁に向けて続いている。その道の先は、濃い夜闇に包まれ見えない。あの昼間の人の波の喧騒とは乖離してしまった、 シーン と静まり返る通りのシャッター街は、冷たく人の心を拒絶するかの佇まいを見せている。
真夜中に、この先のあの断崖絶壁を訪れようとする者達も、当然この暗い一本道を歩いて行くのだろうか。
(了)
長男が珍しく、そう言ってくる。それは学校も夏休み中の、ある朝の食卓だった。
指し示されたパンフレットを見ると、その道の駅で彼が今夢中になっているアニメキャラクターの特設コーナーが設けられ、イベントが開催されている事を告げていた。
「福井かぁー…」
私はチラシを見ながら少し首を傾げる。” ちょっと遠いな? ” と。
「北陸の方は、食べ物も美味しいみたいよ」向かいの席で、妻が言う。
既に話はできているみたいだった。
「じゃぁ、今年の夏休みの家族旅行は北陸にするかな」
私は新聞に目を落とした。
眩い海からの日射しの照り返しを受け、私達の乗る車は砂浜を駆ける。
その頃乗っていた車体重量のあるハイ◯ックス◯ーフは、波打ち際の柔らかい砂浜も物ともせずに、四輪で砂をしっかり噛みしめ走って行く。
私達は石川の羽咋にある、千里浜なぎさドライブウエイを訪れていた。
自然とスピードが上がる。全開の窓からの潮風が顔に爽快だった。
子供達も、後部ウインドウを下げた貨物室で風を受け、はしゃいでいる。
「 気持ちが良いね」助手席の妻と頷き合う。
最近見たニュースでは、この千里浜なぎさドライブウェイも、潮の流れが変わり海岸への砂の堆積が減ったことで浸食され、砂浜が急速に陸側に後退して走れない期間も多くなっているとの事だった。浸食防止の対策が公に取られているとも。
でも私が行ったこの当時は、砂浜の幅もとても広く、渚をドライブする沢山の車で賑わっていた。そして浜沿いには、多くの茶店が賑やかに立ち並んでいたことを覚えている。
永平寺は、妻の実家の宗派である曹洞宗の大本山だった。車を停めた駐車場から歩く参道脇には、落ち着いた雰囲気の鄙びた土産物屋が立ち並んでいた。
「立派なお堂ね」
見上げる妻が、そう感嘆の声を上げる。
大本山の各御堂を繋ぐ廊下と階段は、長く、そして敷地の山の斜面に沿ってくねくねと曲がり、時に急な勾配をみせていた。
私達家族は、しっとりと静かな空気に満たされた本堂の畳の上に腰を下ろすと一礼し、手を合わせた。
駐車場に車を停め、東尋坊に向かう道を歩く。
東尋坊に向かって伸びる真直ぐな道の両脇には、沢山の土産物屋や食堂が立ち並び、夏真っ盛りの夏休み中ともあって、道路は大勢の観光客達で溢れんばかりの賑わいを見せていた。
もう昼近くだったから、私達は大きなカニの看板に釣られて飲食店に入る。
「越前と言ったら、やっぱカニだよな」
私はそう言いながら、メニューをめくる。
「…、高っ。……」私は呟く。
向かいの席でも、妻が渋い顔でメニューを見ている。
「カニ、食べたいんでしょ? いいわよ」それでも一応、そうは言ってくれる。
「うーん…」
結局私達は、カニの味噌汁が付いた普通の刺身定食を頼んだ。
東尋坊を訪れたのは、空も快晴に晴れ渡った夏の日の事だった。強く照りつける日射しにも関わらず、海風に蒸し暑さも凪ぎ、真夏としては珍しく爽やかな午後だったのを覚えている。
あっけらかんとした夏の眩い日射しの中で、それこそ大勢の観光客達が、目の前に広がるごつごつとした岩場の上を平気な顔で、まるで散歩をするかの様に歩き回っている。しかも中には、岩場を徘徊するにはとても相応しくない履き物を、足にしている女性達も見受けられる。
そうして、子供や若い男女だけでなく、おじさんやおばさん、そして年配の方々まで数多の数の観光客が、岩場の断崖の上に手を突きながら崖の突端まで行って断崖の下を覗き込んでいる。
崖の周囲には、観光客達のそれらの行為を止める立ち入り禁止の柵や防護壁など何も無かったから、みんな、それこそ自由勝手に岩場を歩き回っていた。
私も足元を確かめながら、時に岩場に手を突きながら慎重に断崖の縁まで近寄ると、そこから見える断崖絶壁の下を見下ろした。
眼下に、白波が絶壁に砕け散る様を見せる、高く切り立って聳え立つ断崖の岩場に深く入り込んでいる入江が小さく見えた。
「こっから下まで、一体どれくらいあるんだ?」
「もし、落ちたら…」
断崖は海面まで25mを超える高さだとの事だが、その場所は、とても平常心を保ったまま立っていられる様な場所ではなかった。身を少し岩場から乗り出して下の入江を覗き見るだけで、股間を、気色の悪い文字通り縮み上がる様な悪寒がぞわぞわと、撫ぜ付けながら吹き抜けていった。
それは本当に、その時横にいた運動神経の無い妻が間違って崖下に落ちてしまうのではないかと、真剣に心配してしまうほどの危うさだった。そして、それは決してスリルなどという感覚とは全く違う、恐ろしいほどに嫌らしい嫌悪感を纏った、どす黒い恐怖の塊みたいな感覚だった。
「よく、誰も転落事故を起こさないものだな…」
正直、それがその時の、私の素直な実感だったのだが。
観光客の身の安全よりも、観光のための景観を優先している様にも見受けられ、それにある意味ゾッとさせられた覚えがある。
崖の上には、草むした中に小道の遊歩道があって、そこからの日本海の海の眺めは最高だった。
そして公衆電話のボックスも。それは後から知った事だったのだが、それは『救いの電話』と言われる公衆電話ボックスだった。
自殺の名所と言われる東尋坊だからこそ、その役割りは、やはり名前の通りの様だったのだが。
私はここ東尋坊が、自殺の名所としても名高いことは当然知っていたから。そして確かに、その真偽は定かではないのだが、ネットの情報ではこれまでに600名を超える人達が、ここから身を投げ亡くなっているとも記載されている。
いつか、テレビでの心霊系の番組だっただろうか。真夜中の東尋坊の様子を紹介していた。当然、心霊スポットとしての扱いだったのだが。
東尋坊へ向かう駐車場から、真っ直ぐに伸びる土産物屋が並ぶあの商店街の道。カメラがその真っ暗な道路を写し取っていく。
誰も居ない、暗く静まった道路が真っ直ぐに、東尋坊の断崖絶壁に向けて続いている。その道の先は、濃い夜闇に包まれ見えない。あの昼間の人の波の喧騒とは乖離してしまった、 シーン と静まり返る通りのシャッター街は、冷たく人の心を拒絶するかの佇まいを見せている。
真夜中に、この先のあの断崖絶壁を訪れようとする者達も、当然この暗い一本道を歩いて行くのだろうか。
(了)
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