五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第117話:子爵の土下座、涙の感謝と帝国の影

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 アキオの町が冬の陽光に包まれるある日、森の小道の先から、これまで見慣れぬ一団が姿を現した。先頭には馬に跨った壮年の男性がおり、その後ろには数台の荷馬車と、武装した護衛らしき者たちが続く。彼らは疲労の色も見せず、整然とした様子で町の入り口へと近づいてきた。
 町の警備にあたっていたレオノーラとアルトが緊張した面持ちで対応しようとした時、アキオが中央館から姿を見せた。先日、鳥の知らせで予告のあった、近隣領地の貴族の来訪である。

 アキオが穏やかな表情で一行を迎えると、馬から降りた壮年の男性――年の頃はアキオと同じくらいか、少し下に見えるが、その顔には深い苦悩と、そして隠しきれない気品が漂っていた――は、アキオの姿を認めるなり、ためらうことなくその場に両膝をつき、そして深々と頭を下げた。土下座である。
「なっ…!?」
 アキオも、レオノーラたちも、その予期せぬ行動に息をのんだ。一国の貴族が、このような辺境の地の長に対して行うには、あまりにも異例のことであった。
「おぉ、アキオ殿…! この度は、この愚かな私めに、謝罪と…そして、心からの感謝を申し上げる機会を賜りたく、罷り越しました! 何もできなかったこの身が、今、こうして貴殿の御前にいることすら、おこがましい限りでございますが…!」
 その声は、深い自責の念と、そして抑えきれない感謝の念で震えていた。

 アキオは、慌てて彼に駆け寄り、その肩に手を置いた。
「どうか、お顔をお上げください。私はアキオと申します。この町の長をしております。貴方様は…?」
 男性は、涙で潤んだ瞳を上げ、改めてアキオを見つめた。
「私は、この近隣一帯を治めております、子爵アレクサンダー・フォン・ヴァルトと申します。アキオ殿、まずは…我が盟友であり、弟同然であった故バルツァー男爵、そしてその領民たちをお救いくださったこと、言葉では言い尽くせぬ感謝を…!」
 アレクサンダー子爵は、そう言うと再び頭を下げようとしたが、アキオはそれを優しく制した。
「ヴァルト子爵、まずは中へお入りください。詳しいお話は、温かいものでも飲みながら伺いましょう」

 中央館の客間に通されたアレクサンダー子爵は、シルヴィアが淹れた薬草茶で喉を潤すと、重い口を開いた。
 彼の子爵領もまた、先の森の主の暴走によって少なからぬ被害を被っていたこと。そして、彼の庇護下にあり、森の主の進路上にあったバルツァー男爵領は、その猛威によって壊滅的な打撃を受けたこと。バルツァー男爵は、領民を一人でも多く逃がすために最後まで戦い、壮絶な犠牲を遂げたこと。男爵の幼い息子が、父の最後の命令で命からがら子爵の元へ逃れ、その惨状を伝えてきたこと…。
「私は…私は、バルツァーを見殺しにしたも同然です。森の主の力は、我々の手に負えるものではなかった…。だが、貴殿が、その脅威を鎮め、そしてバルツァーが命をかけて守った領民たちを救い、こうして温かい住処と食を与えてくださっていると聞き…私は、居ても立ってもいられなかったのです。周囲の者たちは、危険だと反対もしましたが、この感謝と謝罪の気持ちだけは、直接お伝えせねばと…!」
 子爵の目からは、再び涙が溢れ出ていた。アキオは、彼の言葉に静かに耳を傾け、その深い悲しみと誠実さを受け止めた。

「子爵閣下、バルツァー男爵のご心痛、お察しいたします。我々も、森の主とは対峙しましたが、あれは確かに尋常な力ではなかった。今は、こうして和解し、森の恵みを分かち合っておりますが…」
 アキオは、森の主との顛末を簡潔に語った。子爵は、その信じられないような話に、ただただ驚嘆の表情を浮かべるばかりだった。

 その後、アレクサンダー子爵は、アキオの町への感謝の印として、彼が持参した多くの物資を披露した。それは、この内陸の町では手に入りにくい塩や、上質な布地、様々な種類の穀物の種子、そして優れた鉄製の道具類など、まさにアキオたちが「不足していた」と感じていたものばかりだった。
「これは、ほんの気持ちばかりです。そして、実は…この町へ来る道中、森の主が荒らした森を、私の部下たちが可能な限り整備し、荷馬車が通れるようにいたしました。周辺の危険な獣も、多少は駆逐できたかと…」
 その言葉に、アキオは改めて子爵の行動力と誠意に感銘を受けた。これだけの物資を運び、道まで整備するとは、並大抵の覚悟ではない。
 子爵は、アキオの町に一週間ほど滞在することを申し出、アキオも快くそれを受け入れた。

 その滞在中、アレクサンダー子爵はアキオに、外部の様々な情報を教えてくれた。
「ガルニア帝国の動きですが、現在は主に西方へとその侵攻の矛先を向けているようです。この東方の森は、その地理的な隔絶と、そして…おそらくは森の主のような強大な存在がいたこともあり、帝国も本格的な侵攻をためらっていたのでしょう。バルツァー男爵領の悲劇も、帝国の仕業ではないと確信しております」
 その情報に、アキオは少しだけ安堵の息をついた。
 そして、ある日のこと。セレスティーナとレオノーラが同席している場で、子爵は思いがけない情報を口にした。
「ところで、セレスティーナ様、レオノーラ様…お二人がエルドリア王国のご出身と伺いましたが…実は、エルドリアに関する情報が、僅かながら入ってきております」
 その言葉に、セレスティーナとレオノーラは息をのんだ。故郷を失って以来、その消息はほとんど途絶えていたのだ。
「エルドリアは…確かに帝国によって滅ぼされました。王都は陥落し、王族の多くは…残念ながら…。しかし、一部の貴族や騎士たちが、民を率いて険しい山岳地帯へと逃れ、今も抵抗を続けているという噂が…そして、ごく最近、エルドリアの正当な王位継承者であるとされる、幼い王子が、その抵抗勢力によって密かに保護されているという、真偽不明の情報も…」
 セレスティーナは、その言葉を聞き、両手で口を押さえた。瞳からは、大粒の涙が溢れ出す。それは、絶望の中にかすかに灯った、小さな小さな希望の光に対する涙だった。レオノーラもまた、固く拳を握りしめ、唇を噛み締めていた。
 アキオは、セレスティーナの肩をそっと抱き寄せ、子爵に深く頭を下げた。
「子爵閣下…貴重な情報を、本当にありがとうございます」

 アレクサンダー子爵の来訪は、アキオの町に多くの物資と情報、そして何よりも外部世界との確かな繋がりをもたらした。彼の誠実な人柄と、アキオの町の温かさは、固い友好の絆を結び始めていた。
 帝国の影、そしてセレスティーナの故郷の僅かな希望。アキオの町は、この子爵との出会いを機に、否応なく、より大きな世界のうねりへと関わっていくことになるのかもしれない。
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