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第294話:秘書官の休日、そして二人だけの「共犯」
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王家との会談まで、あと一週間。アキオは、その日、朝一番に凛の執務室を訪れると、山のような羊皮紙と格闘していた彼女に、一つの「命令」を下した。
「凛殿。今日は、仕事を休め」
「…アキオ様? ですが、会談の準備が…」
「いいから。これは、村長としての、絶対命令だ」アキオは、悪戯っぽく笑う。「君の、仕事じゃない、本当の顔が見たい。一日、俺に付き合ってくれ」
その、有無を言わせぬ、しかし、どこまでも優しい響きに、凛は、頬を染めながらも、静かに頷くしかなかった。
アキオは、彼女を連れ出し、久しぶりに、二人きりで町を散策した。彼は、彼女に、何気なく問いかける。
「凛殿は、何か、好きなこととか、やりたいことはないのか?」
「好き、なこと…ですか?」
凛は、困ったように微笑んだ。彼女の人生は、これまで、常に「誰かのために」「務めを果たすために」あった。没落した家を再興するため、アカデミーで誰よりも勉学に励み、アキオの町に来てからは、この聖域の未来のため、その全ての知性を捧げてきた。自らの「好き」という感情を、考えることさえ、してこなかったのだ。
「申し訳ございません、アキオ様。わたくしには、そのようなものは、特に…」
彼女が、そう寂しそうに俯いた、その時だった。
町の広場の一角が、にわかに活気づいている。人だかりの中心では、一人の吟遊詩人が、身振り手振りを交えながら、自作の物語を、町の子供たちに、熱っぽく読み聞かせていた。
「…そして、竜に攫われたお姫様を助けるため、名もなき騎士は、たった一人で、絶望の塔へと向かったのです…!」
凛は、その光景に、ふと、足を止めた。その、いつもは冷静な、理知的な瞳が、今は、子供たちと全く同じ、純粋な好奇心と、そして、どこか羨むような、強い憧れの光を宿して、物語の世界に、完全に引き込まれていた。
アキオは、その横顔を、愛おしく見つめながら、確信した。
(そうか…凛は…「物語」が、好きなのか…)
彼は、彼女の魂の、奥底に隠された、本当の「好き」を、初めて、見つけた気がした。
その夜。アキオは、凛を、自らの書斎へと招き入れた。暖炉の火が、静かに、部屋を暖めている。
「凛。君の、頭の中には、きっと、俺たちが知らない、たくさんの物語が眠っているはずだ。それを、俺にだけ、聞かせてはくれないか」
アキオは、彼女に、一枚の、真っ白な羊皮紙と、上質なインクを差し出した。
「二人だけの、秘密の物語を創ろう」
それは、アキオが、自らの、この世界に来る前の、現代日本の知識——例えば、「シンデレラ」や「かぐや姫」といった、おとぎ話のあらすじ——を語り、凛が、その知識を、この世界の、壮大なファンタジーへと、見事に昇華させていく、という、二人だけの、知的な共同作業だった。
「…つまり、その『かぐや姫』という女性は、月の都の罪人として、この地に送られてきたと? ですが、その罪とは、一体…? そして、彼女を迎えに来る、月の使者とは、帝国軍のような、絶対的な武力を持つ存在なのでしょうか…?」
凛は、生まれて初めて、誰のためでもない、自らの「好き」という感情に、その全ての才能を、注ぎ込んでいた。その瞳は、これまでにないほど、生き生きと輝き、その口からは、次々と、新しい物語の世界が紡ぎ出されていく。
物語を創り上げるという、知的な興奮と、共同作業。それは、二人にとって、どんな甘い言葉よりも、官能的な時間だった。部屋の空気は、熱を帯び、二人の間には、もはや、言葉は必要なかった。
アキオは、彼女の過去のトラウマを思い、決して無理強いはせず、ただ、彼女の意志を待っていた。
「凛…君は、どうしたい?」
その、全てを委ねるような問いに、凛は、顔を真っ赤にしながらも、意を決したように、アキオに、震える声で、自らの、本当の願いを告白した。
「アキオ様…その…わたくしが、昔、アカデミーの図書館で、密かに読んでいた、恋愛小説がございまして…」
彼女が望んだのは、【横暴な魔法使いの主人と、その書斎に仕える、地味で真面目な、女性司書】という、物語のワンシーンを、【再現】することだった。
「どうか、わたくしに…『命令』を…。『あの棚の上にある、禁断の魔導書を取ってこい』と…そして、わたくしがそれを取ろうとした時、背後から、わたくしを、本棚に、追い詰めては、いただけませんか…?」
それは、常に冷静沈着な、あの凛からは、想像もつかない、「え? こんなのが?」とアキオが驚くような、いじらしくも、可愛らしい、少女のような願いだった。
アキオは、彼女のその、あまりにも愛おしい願いを、心の底から理解した。
彼は、悪戯っぽく、そして愛情を込めて、「主人」を演じる。
「凛。何をぐずぐずしている。早く、あの魔導書を、私の元へ」
「は、はい…! ただいま、ご主人様…!」
凛は、言われた通り、高い本棚に手を伸ばす。その背後から、アキオが、彼女を、そっと、壁に追い詰める。
「見つけたか、魔導書は」
「い、いえ…まだ…」
「そうか。…なら、代わりに、君を、もらってもいいかな」
二人の唇が重なる。それは、【共犯者】としての、秘密を共有する、スリリングで、そして、これ以上ないほど、深い、魂の交歓だった。
その夜、二人は、書斎の、柔らかな絨毯の上で、物語の登場人物として、そして、一組の男女として、完全に結ばれた。アキオは、凛の、秘書官ではない、一人の「物語を紡ぐ女性」としての、新しい魅力に、完全に心を奪われた。そして、凛もまた、自らの、これまで知らなかった「本当の自分」を、引き出してくれた、夫への、絶対的な信頼と、愛情を、その身をもって、実感するのだった。
「凛殿。今日は、仕事を休め」
「…アキオ様? ですが、会談の準備が…」
「いいから。これは、村長としての、絶対命令だ」アキオは、悪戯っぽく笑う。「君の、仕事じゃない、本当の顔が見たい。一日、俺に付き合ってくれ」
その、有無を言わせぬ、しかし、どこまでも優しい響きに、凛は、頬を染めながらも、静かに頷くしかなかった。
アキオは、彼女を連れ出し、久しぶりに、二人きりで町を散策した。彼は、彼女に、何気なく問いかける。
「凛殿は、何か、好きなこととか、やりたいことはないのか?」
「好き、なこと…ですか?」
凛は、困ったように微笑んだ。彼女の人生は、これまで、常に「誰かのために」「務めを果たすために」あった。没落した家を再興するため、アカデミーで誰よりも勉学に励み、アキオの町に来てからは、この聖域の未来のため、その全ての知性を捧げてきた。自らの「好き」という感情を、考えることさえ、してこなかったのだ。
「申し訳ございません、アキオ様。わたくしには、そのようなものは、特に…」
彼女が、そう寂しそうに俯いた、その時だった。
町の広場の一角が、にわかに活気づいている。人だかりの中心では、一人の吟遊詩人が、身振り手振りを交えながら、自作の物語を、町の子供たちに、熱っぽく読み聞かせていた。
「…そして、竜に攫われたお姫様を助けるため、名もなき騎士は、たった一人で、絶望の塔へと向かったのです…!」
凛は、その光景に、ふと、足を止めた。その、いつもは冷静な、理知的な瞳が、今は、子供たちと全く同じ、純粋な好奇心と、そして、どこか羨むような、強い憧れの光を宿して、物語の世界に、完全に引き込まれていた。
アキオは、その横顔を、愛おしく見つめながら、確信した。
(そうか…凛は…「物語」が、好きなのか…)
彼は、彼女の魂の、奥底に隠された、本当の「好き」を、初めて、見つけた気がした。
その夜。アキオは、凛を、自らの書斎へと招き入れた。暖炉の火が、静かに、部屋を暖めている。
「凛。君の、頭の中には、きっと、俺たちが知らない、たくさんの物語が眠っているはずだ。それを、俺にだけ、聞かせてはくれないか」
アキオは、彼女に、一枚の、真っ白な羊皮紙と、上質なインクを差し出した。
「二人だけの、秘密の物語を創ろう」
それは、アキオが、自らの、この世界に来る前の、現代日本の知識——例えば、「シンデレラ」や「かぐや姫」といった、おとぎ話のあらすじ——を語り、凛が、その知識を、この世界の、壮大なファンタジーへと、見事に昇華させていく、という、二人だけの、知的な共同作業だった。
「…つまり、その『かぐや姫』という女性は、月の都の罪人として、この地に送られてきたと? ですが、その罪とは、一体…? そして、彼女を迎えに来る、月の使者とは、帝国軍のような、絶対的な武力を持つ存在なのでしょうか…?」
凛は、生まれて初めて、誰のためでもない、自らの「好き」という感情に、その全ての才能を、注ぎ込んでいた。その瞳は、これまでにないほど、生き生きと輝き、その口からは、次々と、新しい物語の世界が紡ぎ出されていく。
物語を創り上げるという、知的な興奮と、共同作業。それは、二人にとって、どんな甘い言葉よりも、官能的な時間だった。部屋の空気は、熱を帯び、二人の間には、もはや、言葉は必要なかった。
アキオは、彼女の過去のトラウマを思い、決して無理強いはせず、ただ、彼女の意志を待っていた。
「凛…君は、どうしたい?」
その、全てを委ねるような問いに、凛は、顔を真っ赤にしながらも、意を決したように、アキオに、震える声で、自らの、本当の願いを告白した。
「アキオ様…その…わたくしが、昔、アカデミーの図書館で、密かに読んでいた、恋愛小説がございまして…」
彼女が望んだのは、【横暴な魔法使いの主人と、その書斎に仕える、地味で真面目な、女性司書】という、物語のワンシーンを、【再現】することだった。
「どうか、わたくしに…『命令』を…。『あの棚の上にある、禁断の魔導書を取ってこい』と…そして、わたくしがそれを取ろうとした時、背後から、わたくしを、本棚に、追い詰めては、いただけませんか…?」
それは、常に冷静沈着な、あの凛からは、想像もつかない、「え? こんなのが?」とアキオが驚くような、いじらしくも、可愛らしい、少女のような願いだった。
アキオは、彼女のその、あまりにも愛おしい願いを、心の底から理解した。
彼は、悪戯っぽく、そして愛情を込めて、「主人」を演じる。
「凛。何をぐずぐずしている。早く、あの魔導書を、私の元へ」
「は、はい…! ただいま、ご主人様…!」
凛は、言われた通り、高い本棚に手を伸ばす。その背後から、アキオが、彼女を、そっと、壁に追い詰める。
「見つけたか、魔導書は」
「い、いえ…まだ…」
「そうか。…なら、代わりに、君を、もらってもいいかな」
二人の唇が重なる。それは、【共犯者】としての、秘密を共有する、スリリングで、そして、これ以上ないほど、深い、魂の交歓だった。
その夜、二人は、書斎の、柔らかな絨毯の上で、物語の登場人物として、そして、一組の男女として、完全に結ばれた。アキオは、凛の、秘書官ではない、一人の「物語を紡ぐ女性」としての、新しい魅力に、完全に心を奪われた。そして、凛もまた、自らの、これまで知らなかった「本当の自分」を、引き出してくれた、夫への、絶対的な信頼と、愛情を、その身をもって、実感するのだった。
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