5 / 326
第一章 幸せのありか
5 side哉
しおりを挟むここのところ毎日、疲れを感じていても眠れない日が続いている。アルコールは好きなほうではないし、飲めるほうではないことも自覚している。現に、350mlの缶ビールで事足りているのだから。引越しをしてきたときに各方面からよく分からない高そうな酒をもらったが、リビングのローボードの中の飾りくらいにしか機能していない。高々缶ビール一本、たったそれだけのアルコールに頼らないと朝まで夢を見ずに眠ることが困難で、途中で目がさめてしまえばこれからやらなくてはならないことを考えてしまって眠ることが出来なくなる。
使わない電化製品も無駄に多い。母親が新製品が出るたびに勝手に業者を寄越して今までのものと交換して行くのだ。構う相手がいなくなったことで、その対象が哉に移った。今までほとんど哉のことなど気にも留めていなかった彼女は、その分も取り戻すのだと言わんばかりにべたべたと距離を縮めようとしてきて鬱陶しくて堪らない。
数少ない『使われている』電化製品であるテレビをつけてCSのニュースチャンネルを選ぶ。垂れ流される情報を聞きながら、哉はプルタブを開けてビールをあおった。
苦い液体を少しずつ摂取していると、不意に、エントランスからの来客を告げるインターフォンが響く。
壁にかかった時計は、すでに十一時を指そうとしている。
「誰だ? こんな時間に…」
疲れが溜まっていたからか、まだ半分ほども飲んでいないのに、立ち上がるのに少し時間がかかった。
リビングの壁に取り付けられたドアフォンを取るとモニタにエントランスの様子が映し出される。
そこには、モスグリーンの制服らしい上下を着た、どこかで見たことがあるような、そんな気がする少女が立っていた。
「誰だ?」
エントランスに届いた声に、少女がきょろきょろと顔を動かして、自分の真上にカメラを見つけて、見つめながら答えた。
『氷川副社長…ですか? 私、行野樹理(ゆきのじゅり)と言います』
その名前に、しばらく考える。モニタに映る少女は、どう見ても中学生か高校生だ。このひと月、いろいろな人間と会っていたが、さすがにこの人種はなかったはずだ。どこかで逢ったかも知れないという認識は、間違っている。
どうして認識を間違えたのか考えていた哉に、カメラに、少女が必死なまなざしを向けて言う。ふわふわとした長い髪が顔を上げなおしたことで柔らかに動く。
『…あなたが、今日取引中止の通達をした、会社の娘です。夜遅くに来たことは申し訳ないと思っています。お話があります。少し、お時間をいただけませんか?』
モニタの向こうの少女の顔には、全く見覚えがなかった。逢った事もないのだから。アルコールの成分で分類が曖昧になった記憶の引出しをひっくり返して、思い出す。行野プラスティック。現在哉が任されている氷川の工業部門の協力工場だ。高い人件費と不良品率、生産コストは最悪だった。ワースト五に入るであろう先である。提出された再生計画も到底納得できる内容ではなかった。問答無用の切捨て先だ。
そのまま通話を切ってやろうかとも思ったが、今回の哉の決定に一番初めに反応してきたのだからと、了解の代わりにエントランスの鍵を解除した。
「あがって来い」
0
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる