幸せのありか

神室さち

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第一章 幸せのありか

4 side哉

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 誰も居ない家に、黙って帰る。


 東京に帰ってきたとき、両親は当然のように哉が自宅に住むものだと思っていたようだが、哉は都内にマンションを購入した。
 会社を追われて家を出た兄の代わりになるつもりなどさらさらなかった。

 帰って寝るだけ。別にどんなところでも眠れたらよかったのに、父親に立場を考えろと言われ、母親にセキュリティだけはしっかりしたところに住んでくれと言われ、気が付いたらとんでもない物件を購入させられていた。立て替えようかと言った両親の申し出は断った。

 確かにこの五年ほどの哉は氷川の平社員だったが、そもそも出発点が他とは違っていた。大学生の頃、しばらくかかわっていたIT関連の株を絶対売れるから、損はさせないからと押しつけられた。途中で増資の関係から一株の価値が四倍になり、その後、東証の一部に上場された時はバブルさながらの高値をつけた。なんの未練もなかった哉は株式が上場されたその日に手持ち全て売り払った。

 その年の確定申告ではばかばかしいほど税金を払わされたが残るものは残った。一人で乗りまわすには、乗り降りが楽な左ハンドルの車がほしくてディーラーに行って、ぱっと見て気に入った車をキャッシュで買った。

 車を買った以外ほとんど手付かずで残っていたそれの一部を支払いに当てた。眉一つ動かさずに銀行の窓口で億の金をぽんと振り込んでみたら、奥から支店長が血相を変えて現れた。
 鼻をくくったような対応で『番号札をお取り下さい』と二十分待たされたのが嘘のようになぜか別室に通されて今後ともお取引をよろしくとかなんとか言われたけれど良く覚えていない。

 スーツを脱ぐと、気温の低さに肌が粟立つ。去年、在学中言葉も交わしたこともなかった同級生の結婚式の引き出物でもらったデジタルカレンダーがもう十一月の半ばを示していて、寒さも感じるはずだと頭を振る。

 後に流していた伸びすぎた前髪が目の前に落ちてきて顔にかかった。邪魔になる髪をかきあげる。東京に帰ってきてから消えない頭痛に顔をしかめて、哉はシャワーを浴びるために風呂場へ向かった。
 シャワーを浴びながら無駄に広くて無駄に華美な浴槽を見る。疲れを取ろうと思えば湯に浸かるのが一番いいと分かっていてもそれさえ煩わしくて、ここのところずっとシャワーで済ませていた。

 さすがにそろそろ髪を切りに行かないと、そう思って直近のスケジュールを思い出し、そんなヒマはなさそうだと歎息しながら風呂から上がる。
 冷蔵庫の中には、ビールが箱ごと突っ込んであるだけだ。昼食はおろか、朝食も夕食も会社で摂っている現状だから、さし当たって不自由はない。

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