幸せのありか

神室さち

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第一章 幸せのありか

59 side哉

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 哉が自宅に来たことを聞いた母親が真っ先に出てきた。そのすぐあとに珍しいものでも見に来たという風で妹の琉伊(るい)が出てきたが、何も言わずに顔だけ見てどこかに行ってしまった。

 言いたいことをきちんとまとめてから言葉にしないで、思いついたことを喋りつづけるため同じことを何度も繰り返す母親から父親の居場所を聞き出す。


 濡れ縁で続いた離れの和室へ、足音も消さずに、むしろその音で気付けと言わんばかりにしながら哉が向かう。立ったまま、声も掛けずにすぱんという小気味いい音を立たせて障子戸をすべらせ、中に入る。それを閉めるのは、当然ついてきている篠田の仕事だ。脇に手あぶりを置いて、床の間の前に座り文机でなにかの礼状を書いていたらしい父親の、氷川越の手元にぞんざいに折りたたんだ紙を投げる。

 それに視線を走らせてから、顔を上げた父親に、哉が口を開いた。

「ドイツ語のスペルが間違ってますよ。そんな名前の銀行は、ない」

 再び紙を見た父親が口の端を上げた。確かに、間違っていた。社外の敵を匂わせるつもりだったのだろうが、ことを急いだ父親側の焦りが見える。


「あの娘はなんだ? お前は女子高校生を囲っていたのか?」

 話題をそらされたことは分かっていた。

「それがあの会社を残した理由か?」

「そうだとしたら?」

 さらに問い重ねられ、逆に聞き返す。


「分かっているだろう」



 しばらくの無言。


 冷たい沈黙。性質の悪いにらみ合い。


「お前も公(こう)のように私を失望させるのか?」

 それを破ったのは父親だった。そのセリフを哉が鼻で笑う。

「…何も望んでなどいないでしょう?」


 実家の玄関をくぐったのは、十五年ぶりだった。中学は通えたにもかかわらず哉は寮に入ることを望み、休みは一度も家に帰らなかった。六年間自宅に帰らなかったのは自分くらいだっただろう。



 大学生になり、一人暮しを始めた。


 社会人になり、彼は神戸で暮らしていた。


 十五年、ほとんど顔も合わせなかったのに、この時初めてやはり親子なのかもしれないと感じた。


 望まなければ、失うことはない。


 無関心であれば、心を痛めることはない。


 そうやって最初から、失うときの痛みを和らげないと生きていけないところは、そっくりだった。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

難しいことは18年たってもよくわからないので、ふんわりふんいきでよんでください。


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