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第一章 幸せのありか
60 side哉
しおりを挟むおそらく本当に、目の前の男は、少なからず兄に何かを期待していた。そして、失望していた。勝手に望んで、思い通りにならなかったら勝手に裏切られたと思う。それは相手のことを考えているわけではなく、全て自分の都合だ。
人に命令をすることに慣れた、世界を自分中心に回す人間特有の、傲慢に似た感情。けれど、自分の都合通りに物事が運ぶことのほうが世の中、稀(まれ)なのだ。裏切られつづけたという思いから、自分を守るためには、無関心になることが一番手っ取り早い。
心を動かさなければ、傷つけられることはない。
全てを望むからこそ、すべてに無関心でいなくてはならない。
今までずっと、その背中を追ってきたことに、哉は初めて気付いた。
その背中を追っているうちは、追い越せないことも。
「構いませんよ。少し前から家に帰そうと思っていたんです。ちょうど良かったくらいだ」
それは本心だ。
あのことがあってからずっと、樹理を家に帰さなくてはと思っていた。
けれど一度手に入れた居心地のいい場所を手放すことが出来なかった。
「俺も、あなたに望むものはなにもない。だけど一つだけ」
息を吸う。
意識して呼吸しないと、体内の酸素がとても不足しているような、そんな気がして。
「彼女の父親の会社はすでに軌道に乗り出しています。手出しをしたら、俺は全力であなたに刃向かう」
これは、宣戦布告だ。
先に手を出したのは父親だ。ならば、応戦の用意があることだけは明確に伝えておかなくてはならない。
それだけ言うと哉は踵(きびす)を返した。
篠田の開けた戸を当たり前のように出ていこうとした哉に越が声をかけた。
「どうして私がこの件に気付いたのか、聞かないのか?」
哉が足を止めて、振りかえる。
「少なくとも俺は、自分の部下を信用していますよ」
密告者は自分の足元にいるかもしれないといわれても哉は全く動じなかった。
それが篠田ならば、もっと早くに知られていたはずだ。
原因はおそらく、会社にかかってきた速人の電話だろう。写真はあの時以後のものばかりだった。
哉にかかる電話全てを記録するのは無理だが、私用のものだけチェックすればいい。その後時々自宅にいる樹理に会社から電話を掛けていた。その事実だけで充分だっただろう。
そして篠田が一度だけ越に礼をして、哉に続いて出ていった。それは、篠田が哉に付いたことを意味している。
充分に間を置いて、誰もいなくなった和室に低い笑い声が響く。
笑いながら越が、目の前に置かれたままの紙切れをすぐ横の炉にくべた。
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