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第一章
それぞれの春
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ぼくが柊家の子になって、半年以上過ぎたと思う。
日増しに大きくなって力もだいぶ強くなり、そして賢くなった。
ある日の晩、咲月さんが躊躇いがちに言った。
「そろそろ、避妊手術した方がいいわよね」
ぼくは暇そうにソファーの背もたれの上で、まるで他人事のように欠伸をしながら、その声を聴いていた。
どうやらその台詞のきっかけになったのは、結月さんが持って来た話からだった。
昨夜遅く、帰宅途中の結月さんは、猫の集会を見かけたそうだ。
「すごいの、猫の集会。みんなてんで好き勝手な事していて会議なんかしてなかったけど、あんなにご近所に猫がいたのかと思うくらい、そこの三角公園に集まっていたわ。見間違いじゃないと思うけど、お隣のキジトラの『コンブ』も参加してたのには笑っちゃったわ。塀の上にいた茶トラは多分ナンバーツーね。何となくそう思うの。で、ボスは意外や、ベンチを占領してのんびりくつろいでる錆猫じゃないかしら。赤い首輪して飼い猫みたいなんだけど、一番偉そうにしてたもの」
結月さんが興奮気味に話していると、
「飼い猫が縄張り利かすボスになれるのかな。なれたら天晴れだけど。きっとボス猫は他にいるよ」
と、霧人君が口を挟んだ。
「そんな事ないわよ。家で猫被って外で威張ってる奴だっているわよ」
「いや、その反対の方が多いと思うね」
結月さんと霧人君の言い合いの間を縫って、咲月さんが重たそうに呟いた。
「縄張りって言えば、キリは小さかったから覚えてないわよね、ママが関わったあの事件」
「何?」
「ああ、あの事件。ママはしばらくショックで食事が喉に通らなかったのよね」
昔、柊家の車庫に、子供を産んだばかりの野良猫が住みついていたそうだ。月乃ママは猫が大好きだったけれど、出産後の母猫は神経質になっているからと、あまり近づかずに毎日そっとご飯だけ置いていた。
ある日、物凄い猫の争う声が聴こえて、ママが飛び出して行った時には、すでに仔猫達の首が噛み切られていたと……
いったい何の話をしているの? ぼくは、言いようのない不安を感じて、ソファーの背もたれに立ち上がって、その恐ろしい話に聴き耳を立てた。
月乃ママは、その悪夢のような状況に、心がどうかなってしまいそうだったが、母猫の子供を探すような「アォーンアォーン」と哀しく激しく繰り返す鳴き声に動揺しながら、けれど一緒に泣きながら、仔猫達を手厚く埋葬したのだという。
ぼくは、つい半年あまり前に自分の身に起きた、あの猛獣のように襲って来た大きな猫の影を思い出して、思わずソファーの下に潜り込んだ。震えが止まらなかった。
「ごめん、ジン。怖い話をして」
結月さんがソファーの下を覗きながら謝っている。
「おれ、それ自体はよく覚えてはないけど、母さんが庭の隅にある紫陽花の下に、いつもミルクを置いてお祈りしてたのは覚えてるよ」
霧人君がぼそぼそ言った。
「そう、ボス猫は縄張り内に自分の子供じゃない仔猫を見つけると、消してしまおうという本能があるらしいの。だから、そんな争いにジンを巻き込みたくないのよ、だから」
咲月さんが眉を寄せながら神妙に続ける。
「だから、万が一の事もあるし、可哀想だけど、ジンに避妊手術受けさせようと思うのだけど、どうかしら」
「あらゆる意味で絶対そうした方がいいわ。スポンサーのお父さんには事後報告でいいわよね」
どうやらぼくが何かされるらしい、という事がわかって、しばらくソファーの下から出るのを拒否していると、
「ジンのためなんだよ。ごめんよ、でもジンの事は一生守るから安心して」
霧人君の柔らかい説得に釣られて、もそもそとソファー下から這い出し、結局霧人君の石鹸くさい腕に、ぼくは収まっていた。
数日後、それでも病院に連れて行かれるギリギリまで、ぼくはすばしっこく逃げ回り、
「全くお転婆なんだから! 少し大人しくしなさい!」
という結月さんの声に驚いて動きが止まった所を、つぃっと咲月さんに掬い上げられ蓋付きバスケットに入れられた。
一泊二日の入院で、ぼくの子宮と卵巣というものは取り除かれてしまったようだ。どうやらぼくは、女の子というものであったらしい。さらば、ぼくの一部。
「お帰り、ジン。がんばったね。無事でよかった」
柊家の家族全員が口々に言ってそっとそっとぼくを抱きしめた。もちろんお父さんも。
術後、丸く剃られたぼくのピンク色のお腹と痛々しい長い一直線の縫い跡を見て、咲月さんが目を赤く潤ませていた。
じっと観察していた結月さんが、
「ねえ見て、ジンのお腹の皮膚に茶色っぽい染みがある。涙みたいな形をしているわ」
ぼくのまる剃りのお腹をじろじろ見て言うものだから、随分と恥ずかしかった。
帰宅してからのぼくは、何だか急にからだが重たくなった気がして、程々に大人しくなったと思う。釣竿蝶々の遊びは相変わらず大好きだったが、普段はもったり動き、欠伸ばかりしていたし、自分から進んで庭に飛び出る事は、以前ほどはなくなっていた。たまに隣から庭に侵入してくるコンブを見かけても、サッシの内側から威嚇するのも少し面倒になった。
でも、ぼくは幸せだった、なぜなら、柊家の家族は、みんなぼくが大好きなんだという事を知っていたから。
ぼくのお腹が、再び真っ白な毛に覆われ出した頃だった。結月さんがぼくを抱き上げて、
「ねえ見て」
と再び言った。
「ジンのお腹に一箇所薄茶の毛が混じってる。ほら、ほんのちょっとだけど、これって、あの皮膚の茶色い部分の毛なんじゃない? 真っ白の中に茶色い雫って感じね」
「あら本当。うふふ、それこそ百日草の種みたいね。ちょうど種を蒔く季節ね」
咲月さんが楽しそうに言った。ぼくも何だかうれしくなって、ニィではなくて、
「ニャァ」と鳴いた。
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