Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第三章

  魔法の呪文

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       1


 今日も朔空君はピアノの前に座っている。
 あれからぼくは、あちこちの記憶の扉を開けた結果、咲月さんが作った「百日草の奇跡」の歌を思い出したのだ。
 童謡みたいな懐かしさを感じるメロディーを口遊む咲月さんの姿が目に浮かぶ。朔空君はその歌詞を断片的に、微かに覚えていたのだ。
 ぼくはピアノに飛び乗ってニャアニャア鳴いた。
「ジン、静かにして」
 朔空君が自分の唇に人差し指を当てる。
 ああ、咲月さんの透明な歌声が聴こえる。
 この優しい歌声を聴きながら、幼い朔空君とブールで遊んだり、キッチンのテーブルの下に潜り込んで、ふたりで鬼のいないかくれんぼをしたり、楽しい日々がどんどん蘇る。

「庭を彩る百日草
 ママが植えたの百日草
 命を繋ぐ強い花
 奇跡を起こす愛の花

 百の笑顔が大好きで
 百数えれば泣き止むの
 百の願いは胸の中
 百の祈りを捧げるの

 命を繋ぐ百日草
 想い変わらぬ愛ならば
 奇跡を起こす百日草

 君は知ってる?
 の歌」

 朔空君には聴こえていたのだ。そして、絵日記にその歌詞を書き始めた。
 意味のわからない言葉も、全部聴こえた通りに書いた。
 絵を描くスペースも、全部文字で埋め尽くした。
 きっと、この歌は朔空君によって復活するかもしれない。ぼくは信じた。

 ひらがなだらけで、意味不明そのまま記された絵日記なものだから、先生からのコメントは、
「まほうのじゅ文ですか?」
 とあった。



       2


 まさか、このぼくがこんな事になるとは誰も想像しなかっただろうし、ぼく自身毎日が平和すぎて、まるで予見出来なかった。
 ぼくは、生涯で一番恐ろしいけだものに遭遇した。それは、猟奇的な人間の姿をしていた。

 隣の小さなノリは、よく庭に遊びに来る。
 おばさんに子守を頼まれている以上、ノリの姿を見かけると、ぼくも庭に出て行く。
 一緒に虫を追いかけたり、雀を狙ったり、猫草をはみはみしたり。ノリは自由奔放に庭を動き回ったが、ぼくのうちの庭でおしっこをするのは、是非ともやめてもらいたい。
 それでもノリは可愛くて、ぼくはいつも毛づくろいをしてあげる。痛々しい傷の痕も舐めてあげる。
 そんな時、コンブよりもずっと大きくて敏捷そうな茶トラ猫が庭に入って来た。耳が欠けている。歓迎出来る輩ではなさそうだ。
 ぼくひとりなら、悔しいけれど逃げるが勝ちと、一目散に家の中に飛び込んだかもしれないが、狙いはぼくではなく小さなノリのようだった。
 ぼくは低い唸り声をあげて、ノリの前に立ちはだかった。今日に限ってコンブが近くにいない。
 ぼくは生まれて初めて、真正面から戦いというものを経験した。ノリを守りたい一心で……これが母親の気持ちというものなのだろうか。
 ギャギャギャギャッ
 取っ組みあったのも当然初めてで、喧嘩の仕方などわからないが、身体は勝手に動いた。
 痛い! 痛い! やめて! あっち行けっ!
 その間、ノリは隣の自宅に避難したようだ。もう戦う必要はないと、そう思ったのはぼくの方だけだったようで、茶トラの気は収まらない。ぼくを執拗に追い回し、家の中に入り損ねたぼくはパニックに陥り、どこをどう走ったのかわからないほど、無我夢中で遠くまで逃げて来てしまっていた。
 あの事故の時、確かに一ヶ月半も彷徨った経験はあるけれど、普段はほとんど家の中、散歩も家の界隈という安穏生活のぼくは、実に道に迷った。
 見慣れない景色、夕方の車の往来、知らない匂い。
 まずは安全確保。どこか身を隠して冷静になろう。
 茶トラに引っ掻かれた傷が深くて痛い。辺りは薄暗くなって来て心細い。朔空君や結月さんはとっくに帰宅して、きっとぼくを心配して探しているに違いない。
 そうだ、星を見よう。一番星が見えた。
「ちちちちち」
 その時、舌を鳴らしながらぼくに手を伸ばす、しゃがんだ人影があった。
「どうしたの、迷子かい?」
 その人は優しい声で話しかけてくる。ぼくは少し警戒をしながらも、大きな猫に追いかけられた恐怖で人恋しかった……油断した。
 その人は慣れた手つきでぼくを抱き上げ、
「もう大丈夫だよ」
 と、猫撫で声を出しながら、いきなりぼくの大切なひげをちぎり取ったのだ。
 この世のものとも思えない恐ろしい激痛に、顔が破り取られたのだと思った。
 気が狂いそうな痛みでの中、そいつから逃れて走り出した途端、ブロック塀に激突した。気を失いそうだ。
「君、飼い猫でしょ。野良猫は中々捕まらないんだよ」
 そいつが再び近づいて来る。
「僕の素朴な疑問。猫のセンサーと言われているひげを抜いたら、驚異的な身体能力と感覚を持つ猫はどうなるのか」
 なんだこいつは。怖い、気持ち悪い。ぼくは力を振り絞ってブロック塀の穴から他人の敷地内に潜り込んだ。心臓が狂った半鐘のように打ち続け、恐怖と痛みで身体中が燃えるように熱い。
 怖い、怖い、怖い……助けてキリト

 ージン、ゆっくりだ
 
 霧人君が居る。石鹸の匂いがいつもほど感じられない。声を頼りに立ち上がるが、ぐるぐると平衡感覚がない。まっすぐ歩けないのだ。

 ージン、ゆっくり落ち着いて。ショックでバランスが崩れてるんだ。大丈夫、ゆっくりだ

 ぼくは涙の代わりに歯を食いしばった。朔空君達の所に無事に帰らなければ。

 ージン、大丈夫だ。ゆっくりゆっくり

 ぼくは百日草ジニアのジンだ。強いんだ。
 サクラ、魔法の呪文でぼくの無事を祈っていて。
 
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