Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

文字の大きさ
26 / 50
第三章

  魔法の呪文

しおりを挟む

       3


 中学校の裏を流れている川に掛かる橋のたもとから入る裏路地。
「ジン!」
 朔空君の叫び声と走る足音が聴こえる。
 渾身の力で声のする方に向かうけれど、目がぐるぐる回る。幻聴? ではない。本物の朔空君だった。懐中電灯を握りしめた結月さんとお父さんも一緒だ。ぼくは助かった。
 涙を見せない朔空君を二度も泣かせてしまった。
 結月さんは「死んじゃだめ!」と、騒がしいほどに泣きじゃくっていた。
 ぼくの酷い傷を見て、お父さんはすぐに病院に駆け込み、ぼくは三日間入院をした。
 目を瞑ると人間のかたちのけだものが、気持ち悪く近づいてくる夢を見て、猫のくせに暗闇が怖くて暴れてしまうので、ドリトル先生に落ち着く注射を打たれた晩もあった。
 酷い感染症を起こし、しばらく熱が続いたが、ぼくは少しずつ元気を取り戻した。
 ノリもこんなだったのかな、と隣のノリが無事だった事を改めて良かったと思った。
 入院中、朔空君達が顔を見せなかったのは、ドリトル先生から止められていたからだった。
 家族の顔を見ると、帰りたくて興奮したり、置き去りにされるのかと落ち込んだりして、ぼくの精神衛生上好ましくないからだという。見くびってもらったら困る。ドリトル先生、ぼくはもっと冷静です。朔空君のおねえちゃんだから。
 でも、傷の処置をして下さって、命を助けて下さって、ありがとうございます。

 無事に家に帰ってきたぼくは、嫌というほど大事にされ、しばらくは留守番の間は家から出られないように、ぼく用の扉も封印された。
 毎日飲む苦い薬。結月さんはすり潰して食事に混ぜるなどという小細工はしない。面倒くさがり屋の結月さんは、ぼくの口を両手でぱかっと開けて、
「サク、今だ!」と叫ぶ。
 朔空君がかなり大きい錠剤をぼくの喉の奥に、ぽっと入れると同時に、結月さんはぼくの口を閉じさせたまま、喉を素早く摩る。知らぬ間にぼくは投薬を終えているというわけだ。
 ひげと一緒に引きちぎられた皮膚も、徐々に盛り上がってはきたが、トラウマとともに傷は残るだろう。
「美人のジンの顔を傷つけた奴、呪ってやるわ!」
 結月さんが怒りを露わにすると、
「ユウキ、はん人知ってるの?」
 朔空君が首を傾げながら訊く。
「そ、それもそうね。でも、この傷は絶対人間が犯人よ」
 結月さんは、憤りを隠さずに言った。
「それでもジンはもどってきたよ。それと、お父さんがけいさつに通ほうしたよ」
 朔空君のこの感じ、霧人君やお父さんと似ていると思った。ぼくは幸せだった、誰よりも。


 寒い冬も、柊家は家も心もぬくぬくと暖かかった。
 再びベビーバスケットに石鹸くさい毛布を敷き詰めてもらい、そこをベッドにする事にした。霧人君からぼくへ、ぼくから朔空君へ、そして朔空君から再びぼくへ。石鹸の匂いとバスケットが、ぼくが柊家にやって来た頃を思い出させる。
 ぼくは元気になってはいたが、釣竿蝶々を見てもジャンプする意欲がないし、ピアノの音が聴こえても階段を上る気分にならなかった。ふらつくのだ。だから食事は頑張ってもりもり食べているつもりだ。
 冬休み、ひらがなだらけで埋め尽くされた、朔空君のある一日の絵日記の文字を、意味ある言葉に解読しようと、結月さんは頭を捻っていた。くだんの咲月さんの「百日草の奇跡」の歌詞を書いた朔空君の絵日記である。
「本当に咲月が傍で歌ったの?」
「うん、たぶん」
「ふうん、確かに咲月が作りそうな詩だわ、うふふ」
 そこそこ解読は済んでいるようだ。



       4


 ぼくが再びドリトル先生に診てもらったのは、食事をしようとキッチンに向かった時、倒れたからだ。
 酷い貧血を起こしていた。原因はウイルス性白血病。治る可能性はあるが、ぼくは恐怖へのストレスで免疫力が下がっていた。こんなに愛されているのに、ウイルスには勝てないのか。
 それからというもの、朔空君は何をする時も片時も離れず、ぼくの背中を黙って摩り続け、ぼくは朔空君の手のひらから食事を摂り続けた。
 春の百日草の種蒔きは、朔空君に抱かれながら、その作業を静かに眺めていた。代わりにノリが参加した。成長して味のりの黒も濃くなっていた。
「うひゃぁ、ジンの好きな蚯蚓!」
 結月さんがシャベルで引っ掛けてぽいっとすると、すかさずノリが捕まえて蚯蚓をうねうねさせていた。いいぞ、ノリ。
 ふわふわの真っ白な毛が日に日に艶を失っていく。背中を摩る朔空君の手には、ぼくのごつごつした背骨の感触が伝わる。いよいよ腹水の圧迫で呼吸困難に陥った。
 お父さんの月給を、ぼくが独り占めしてしまうほど、毎日病院で腹水の処置をしてもらった。苦しいけれど、ぼくは生きたかった。ばちが当たるほど、こんなに愛されて、幸せで、ずっとここに居たかった。

 
 三年生に進級した朔空君の元へ、新一年生の参考にしたいので絵日記を貸して欲しいと、一、二年時の担任が訪れた。結月さんは、
「必ず返却されるのなら」と、少し不安げに貸し出していた。
「あの絵日記には、家族の愛がみっちり詰まってるの。ジンは主役よ」 
 そう言って、ぼくの頭を優しく撫でた。
 ぼくはすごく眠たかったけれど、結月さんのもふもふぐりぐりをリクエストしたいくらいうれしかったし、もう一度お父さんの温かい大きな手に、ゆったり包まれたいと思った。
 そして誰よりも守りたい朔空君に、ぼくの方が守られ抱かれていた。朔空君は、霧人君と同じくらい石鹸くさかった。ぼくはいい気持ちになって、やがて、眠気の渦に吸い込まれ、白い光に閉じ込められた雲の中にいる夢を見ていた。
「ぼく、ジンの赤い目がすきだ。おなかのジニアもすき。全部すき。化けねこジンでいいから、ずっとそばにいてよ」
 朔空君の声がぼんやり聴こえたけれど、ぼくは夢の奥の深い深い眠りに落ちた。



 どれくらい眠っていたのだろう。
 朔空君の微かな歌声で目が醒めた。
「……めぐるいのちにじゆうごねんのまほう」
 咲き始めた百日草が風に揺れている。
 おまじないのようなその歌は、生命力の強い、愛に溢れ命を繋ぐ花の歌。
 ぼくは、粉雪のような真っ白な美しい姿になって、百日草と同じ土に、丁寧に撒かれた。いや、蒔かれた。
 ぼくはその日から、百日草になった。 
 咲月さんの作った歌によると、約束の時を繋ぎ通せば奇跡が起こるらしい。
 咲月さんの歌声が蘇る。

「命を繋ぐ百日草
 想い変わらぬ愛ならば
 奇跡を起こす百日草
 君は知ってる?
 巡る命に自由、五年の魔法」

 朔空君の願う奇跡、朔空君の祈る自由を信じて、五年の魔法をとはいったい何なのか、いつか知る日が来るのだろう。
 ぼくは変わらず、朔空君をずっとずっと見守り続けるだけだ。

「……めぐるいのちにじゅうごねんのまほう」
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...