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最終章 異世界のメイドさんを救うのは
第五十八話 対ミラナード戦
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小柄な黒い影が目の前で構えた。
ディークの側近――ミラナード。ワンピースにも見える黒服は襟元から入った風がすぼまった袖口で行き場を無くし、手足の先を膨らませている。一見戦闘の邪魔になりそうに見えるが、むしろこの服が機動力を助けているような気配がある。
手首と足首に纏わる風船のようなフォルムの黒布が、風を受け流すように波打った。
「葉風鳥太、我が主もお前があの女と手を組んでくるとは予想してなかった。あの令嬢がわざわざ戦いの場に現れるとはな。けど、お前達が主にたどり着くことはない。私がここで全員倒す」
「そうかよ」
長話をするつもりはない。
俺の意識は眼前の少女を通り越し、その先のディークへ向けられている。
それを悟ったのか、少女は顔に怒りを滲ませた。
「――クッ」
口を歪め、その隙間からきつく噛みしめた歯を見せる。
そして音もなく動いた。
体重をどこかに置き忘れたかのように、ユラリと揺れながら移動してくる。
風を受け流す黒服はクラゲを連想させた。
手足に合計四つの黒い膨らみ。そのうちの一つが肥大化し、破裂したかのように収縮。その勢いで拳が撃ち出された。
レモンの酸味と血肉の野性味を合わせたような香りが弾ける。香辛(ジンカ)で嗅ぎ取ったその戦闘力は、戦場に紛れることなく、圧倒的な存在感を放っている。けど、
身を捻りながらその拳を振り払い、構え直す。
俺が加速(シスト)を使っているときの六割くらいの速度だ。
速いが、反応できないほどじゃない。
例えるなら人間は時速百キロで走ることはできなくても、時速百キロのボールを避けることはできる。ようは眼球で動作を追える限り、反応出来る。
しかし…………
「――――ッ」
先ほどとは逆方向に放たれた蹴りを腕で防ぐ。重たい衝撃。
この攻撃をいなし続けるのは難しい。
速度で劣っている以上、こちらは最小限の動きで対応しなければならない。
けれど、一つわかったことがある。
ミラナードの得意パターンは“カウンター”だ。
相手が動き出した瞬間、その素早い動きで不可避の打撃を放つ。相手の戦闘力が高ければ高いほどその攻撃間隔は狭まり、バテラロのような相手なら一瞬で五~六回の攻撃が成立する。
先ほどの戦闘は、動体視力の低い者が見れば、ミラナードが一方的にバテラロを嬲ったようにしか見えなかっただろう。けれど二人は駆け引きをしていた。そして、その全てにミラナードが勝った。
バテラロは完敗したが、あの戦闘は無駄ではなかった。そこから得た情報を元に、俺は今ミラナードと互角に渡り合っている。
戦術は――――『後の先』
相手が先に動き出すのを待ち、その攻撃に対する次の手を放つ。
ミラナードがどれほど速くても、万全な状態で構えていれば一発目の攻撃を防ぐことはできる。そこから攻めに転じる為、小さな駆け引きを繰り返す。
ミラナードは拳を握ったまま、視線を俺の首元に定めている。
重心はやや後ろ寄り。けれど服の中に閉じ込めた空気を利用し、瞬間的に動き出すことができる。
この場合、俺が見るべきは彼女の視線でも体勢でもなく、服の“揺れ”だ。
ミラナードの動きと連動している揺れは、おそらくスキルによるものだろう。
それを見極め、こちらのスキルを当てる。
ミラナードは再び動き出した。
軌道の掴みにくい揺れるような体捌き、鋭い拳、寸分の隙にねじ込んでくるような足技。
俺はそれらすべてを間一髪で防ぎ、カウンターのチャンスを窺う。
ミラナードは虎視眈々とこちらの集中力が切れるのを待っているようだ。攻めあぐねているわけではない。
一定のリズムで攻撃していると見せかけ、時々意表を突く技を放ってくる。
ここまで約五十秒間、一度たりとも同じパターンは繰り返されていない。先ほどまであった“狙い”のようなものが、互いの共通認識となった瞬間に捨てられ、戦いは次のステージへと進む。戦闘力が拮抗している証拠だ。
しかしおそらく、ミラナードも本当の狙いはまだ見せていない。
瞳に宿る感情の揺らぎと、繰り広げられている戦闘に、微かなギャップがあることが感じ取れる。
俺にはリリアから付与されたスキルがあるけれど、ミラナードもそれに近い火力のスキルを隠している可能性が高い。
ミラナードの首元に視線を集中。狙いを読み取られないように、周辺視野で彼女の服の収縮と運動の法則をインプットしていく。
そして、そのストックがようやく満ち足りた。
ミラナードの左右の足に纏うクラゲがやや膨らみ、左右から風を受けたように靡いた。
これまでのパターンから察するに、先に揺らぎが止まった方向へ動く合図だ。
右が止まれば右前方へ、左が止まれば左前方へ。その動きは風に乗るかのように曲線的な軌道を描くが、最短距離を捨てるわけではない。
相手を翻弄するフェイント程度の横移動を見せながらも、確実に攻撃を放てる位置へ動く。
夜風が頬を撫でた瞬間、風とは逆方向の黒い膨らみ――――左のクラゲが動きを止めた。
「――――ッ!」
ミラナードの動きを追うことを止め、左方向へ体を反転させる。
同時に息を吸い込んだ。
今から使うスキルはリリアに付与されたもので、使うのは初めてだ。
声を振動に変えるスキル――――鳴撃(キャズ)
威力は声量に比例し、衝撃の鋭さは声の高低に依存し、攻撃範囲は周波数の波によって変化する。という知識は俺も持っている。
しかし、初見で衝撃の種類までコントロールするのは難しい。現状は不確定要素の多い範囲スキルとして使用することになる。
なぜトマトがこのスキルを俺のために選んだかと言えば、リリアの執事ですら使いこなせない“余りもの”だからに他ならない。
その理由も使用段階になって実感した。
“当てづらい”
この一言に尽きる。
範囲スキルといえど、まず広範囲に放つには技術が必要となる。さらに、出せる衝撃の種類は声質によって得手不得手がある。ひょっとしたら俺の声で狙いの衝撃が出せない可能性もある。
そして何より、戦闘中に“声で攻撃する”というのが想像以上に難しい。
呼吸は戦闘における重要なファクターの一つだ。
心理状態、戦況、体調、気候、様々な要因によって変化する呼吸を一定のリズムに保つことで、俺達は本来の戦闘力を発揮することができる。
“声を出す”という行為は、その呼吸のリズムを乱すことに繋がる。
これが、攻撃と発声が一体となっている剣道や柔道であれば、スムーズに行えるかもしれない。けれど、鳴撃(キャズ)は声そのものが攻撃であり、武道における“気合い”とは違う。
鳴撃(キャズ)を高威力で放つためには、絶叫あるいはそれに近い声量が必要だ。
戦闘中に絶叫することは、並の攻撃を当てることよりも難しい。
この世界の戦闘は、地球の戦闘がスローモーションに思えるほど速く、一呼吸の間に三発~五発の攻撃をやり取りする。
つまり、鳴撃(キャズ)を放つためには、三~五手先を読み、手足による攻撃を捨て、一撃に賭けなければならない。
俺は今、ミラナードの動きの法則を把握することで、三手先の未来を予測した。
右足を軸に反転した体を、左足で支え、大きく吸い込んだ空気を肺に留める。
攻撃の射程範囲から両手を引く。
移動してくる黒い影。
――――読み切った。
そう確信した瞬間、黒い影は目の前で急加速し、通り過ぎた。
「――――――――――――――――――――――――ッ!」
攻撃のキャンセルは間に合わず、衝撃へと変わった声は、ミラナードが通過した軌道上に放たれ、庭の土に地割れのようなヒビを入れた。
慌てて方向転換する。
しかし、既に『先の後』を取られていた。
ミラナードがいない。背後に揺れる気配。鋭い香りが鼻孔を突き抜ける。
自らの判断ミスに気付いた瞬間、背中に強烈な衝撃が走った。
「がはっっっっ!」
背骨が軋む。
おそらくミラナードの切り札の攻撃スキルだ。充分な殺傷力がある。けれど、その衝撃は俺の打突(ガルダ)ほどではない。
あえて脱力し、ミラナードの拳に身を委ねた。
仰け反った体がエネルギーを全身に分散させ、浮き上がる。
風が頬を叩き、視界は一気に空へ近づいた。
呼吸が苦しい。背筋に痺れを感じる。皮膚が焼けるように熱い。けれど、衝撃は体を弾き飛ばす力へと変換され、身体への直接的なダメージは致命傷の一歩手前まで緩和された。
まだ、戦える。
通常ならミラナードの追撃に備える場面だが、思考はまったく別のベクトルを向いた。
追い詰められた状況だからこそ、通常では起こり得ないことが起こりうる。不確定要素が充満している“ピンチ”という状況は、戦況をひっくり返すターニングポイントになることを、幾度となく実感して来た。
目を閉じ、持続時間残りわずかとなった香辛(ジンカ)に感覚を集中させる。
地を縫うようにこちらへ向かってくる仄かな香り。それは動物の本能を刺激する肉の力強さと、それを従属させるレモンの酸味を合わせた、紛れもなくあの少女にしか出すことのできない戦闘力の象徴だ。
完璧に殺気を殺せるミラナードが、圧倒的な優位にたったが故に、微かな綻びを見せている。その位置は数センチの誤差もなく嗅覚が脳に伝えている。
戦場の火花をもろともせず、最短距離でこちらへ向かってくる。
距離は十メートル。二秒後にはここへ到達する。
タイミングを逃せば負ける。先を読まれていても負ける。
けれど、俺には助けるべきメイド達がいる。
こんなところで従者相手に手古摺っているわけにはいかない。
俺は今から世界一強い男を倒すんだから。
弓なりになった体の動きに呼吸を合わせ、悟られないよう肺に息を送り込む。
自然と遅くなっていく心拍と、嗅覚で捉え続けている香りだけが、意識の中心にくっきりと浮かび上がる。
三…………二………………
「---------------ッ!」
上空に向かって声にならない声を張り上げた。
それは衝撃へと変換され、宙に浮いた俺の体を反転させる。
眼前に拳。その奥に、驚愕を浮かべたミラナード。
ほぼ無意識の内に、飛んできた拳を右手で逸らした。
行き場を失った細い腕を掴む。
握りしめたその腕を基点とし、逃げ場のないゼロ距離の戦闘を開始――。
自由になったミラナードの手足が振り回される。頬を掠め、腹部を弾き、脇を蹴ってくる。
一撃一撃が重い。けど、耐えられる。
黒服に閉じ込められた気泡を蹴りつけ、少女の機動力を奪った。
急速に落下していく。
少女は目を見開き、悔し気に歯を食いしばった。
ここまでくれば単純な筋力差の勝負となる。
握りしめた右腕を、肩口から地面に振り抜く。
「だああああああああああああああああああああっ!」
「がはぁっっっっ!」
地面に叩きつけられたミラナードは苦悶の表情を浮かべた。
ほぼ同時に、捨て身の攻撃を放った俺の体も地面に叩きつけられ、首筋から背中に電流が走る。が、ギリギリで着地は成功した。
起き上がり、たった今倒した小柄な従者を見下ろす。
小さな口で荒い呼吸を繰り返している。一時的に肺の空気を持っていかれただけだろう。体の強い格闘家ならいずれ復活する。
見開かれた目は何か言いたげに俺を見つめた。
構わず反転し、屋敷へつま先を向ける。すると、
「…………お前は、なんで…………メイドを……守る…………」
ミラナードから息絶え絶えの声が発せられた。
足を止め、振り返る。
「お前こそ、なんでディークなんかの味方をしてるんだ。あいつはメイド達の尊厳を奪おうとしてる。彼女達には彼女達の生き方があるんだ。それを否定するなら、俺は全力で止める」
「誰かに守ってもらわなければ生きられない人間に、生きる価値なんてあるのかっ……」
消え入りそうな呟き。
それはメイドに対してではなく、彼女自身に向けられているようにも聞こえた。
「俺は彼女達を、命を賭けても守るよ。守られることは悪いことじゃない」
「だから、私を……このまま放置していくのか?」
「ああ、トドメは刺さない」
「私は、お前に守られたとは思わない。後で復活したらリリアを倒して、残りの執事達も片付ける」
「その前にこの戦いを終わらせるさ」
ミラナードのスキルはもう切れている。動けるようにはなっても、さっきまでのようには暴れられないだろう。
どちらにしても俺は敵を殺すつもりはない。それがたとえディークであってもだ。
俺はただ、メイドを助けたい。
「鳥太様っ! 大丈夫ですかっ!」
駆け寄って来たトマトが心配そうに俺の背中を撫でた。
「大丈夫だよ。それより、みんなの場所はわかるか?」
「はいっ。地図は暗記しています。こちらへ」
先導するトマトについて歩き出した。
後ろで泣き叫ぶミラナードの声が聞こえた。
彼女の心の真ん中にあったものが何なのかはわからない。けれど、戦う人間はそれぞれ譲れないものを抱えている。
あと一歩。全てを終わらせる。
俺は今晩、世界中のメイド達を救ってみせる。
ディークの側近――ミラナード。ワンピースにも見える黒服は襟元から入った風がすぼまった袖口で行き場を無くし、手足の先を膨らませている。一見戦闘の邪魔になりそうに見えるが、むしろこの服が機動力を助けているような気配がある。
手首と足首に纏わる風船のようなフォルムの黒布が、風を受け流すように波打った。
「葉風鳥太、我が主もお前があの女と手を組んでくるとは予想してなかった。あの令嬢がわざわざ戦いの場に現れるとはな。けど、お前達が主にたどり着くことはない。私がここで全員倒す」
「そうかよ」
長話をするつもりはない。
俺の意識は眼前の少女を通り越し、その先のディークへ向けられている。
それを悟ったのか、少女は顔に怒りを滲ませた。
「――クッ」
口を歪め、その隙間からきつく噛みしめた歯を見せる。
そして音もなく動いた。
体重をどこかに置き忘れたかのように、ユラリと揺れながら移動してくる。
風を受け流す黒服はクラゲを連想させた。
手足に合計四つの黒い膨らみ。そのうちの一つが肥大化し、破裂したかのように収縮。その勢いで拳が撃ち出された。
レモンの酸味と血肉の野性味を合わせたような香りが弾ける。香辛(ジンカ)で嗅ぎ取ったその戦闘力は、戦場に紛れることなく、圧倒的な存在感を放っている。けど、
身を捻りながらその拳を振り払い、構え直す。
俺が加速(シスト)を使っているときの六割くらいの速度だ。
速いが、反応できないほどじゃない。
例えるなら人間は時速百キロで走ることはできなくても、時速百キロのボールを避けることはできる。ようは眼球で動作を追える限り、反応出来る。
しかし…………
「――――ッ」
先ほどとは逆方向に放たれた蹴りを腕で防ぐ。重たい衝撃。
この攻撃をいなし続けるのは難しい。
速度で劣っている以上、こちらは最小限の動きで対応しなければならない。
けれど、一つわかったことがある。
ミラナードの得意パターンは“カウンター”だ。
相手が動き出した瞬間、その素早い動きで不可避の打撃を放つ。相手の戦闘力が高ければ高いほどその攻撃間隔は狭まり、バテラロのような相手なら一瞬で五~六回の攻撃が成立する。
先ほどの戦闘は、動体視力の低い者が見れば、ミラナードが一方的にバテラロを嬲ったようにしか見えなかっただろう。けれど二人は駆け引きをしていた。そして、その全てにミラナードが勝った。
バテラロは完敗したが、あの戦闘は無駄ではなかった。そこから得た情報を元に、俺は今ミラナードと互角に渡り合っている。
戦術は――――『後の先』
相手が先に動き出すのを待ち、その攻撃に対する次の手を放つ。
ミラナードがどれほど速くても、万全な状態で構えていれば一発目の攻撃を防ぐことはできる。そこから攻めに転じる為、小さな駆け引きを繰り返す。
ミラナードは拳を握ったまま、視線を俺の首元に定めている。
重心はやや後ろ寄り。けれど服の中に閉じ込めた空気を利用し、瞬間的に動き出すことができる。
この場合、俺が見るべきは彼女の視線でも体勢でもなく、服の“揺れ”だ。
ミラナードの動きと連動している揺れは、おそらくスキルによるものだろう。
それを見極め、こちらのスキルを当てる。
ミラナードは再び動き出した。
軌道の掴みにくい揺れるような体捌き、鋭い拳、寸分の隙にねじ込んでくるような足技。
俺はそれらすべてを間一髪で防ぎ、カウンターのチャンスを窺う。
ミラナードは虎視眈々とこちらの集中力が切れるのを待っているようだ。攻めあぐねているわけではない。
一定のリズムで攻撃していると見せかけ、時々意表を突く技を放ってくる。
ここまで約五十秒間、一度たりとも同じパターンは繰り返されていない。先ほどまであった“狙い”のようなものが、互いの共通認識となった瞬間に捨てられ、戦いは次のステージへと進む。戦闘力が拮抗している証拠だ。
しかしおそらく、ミラナードも本当の狙いはまだ見せていない。
瞳に宿る感情の揺らぎと、繰り広げられている戦闘に、微かなギャップがあることが感じ取れる。
俺にはリリアから付与されたスキルがあるけれど、ミラナードもそれに近い火力のスキルを隠している可能性が高い。
ミラナードの首元に視線を集中。狙いを読み取られないように、周辺視野で彼女の服の収縮と運動の法則をインプットしていく。
そして、そのストックがようやく満ち足りた。
ミラナードの左右の足に纏うクラゲがやや膨らみ、左右から風を受けたように靡いた。
これまでのパターンから察するに、先に揺らぎが止まった方向へ動く合図だ。
右が止まれば右前方へ、左が止まれば左前方へ。その動きは風に乗るかのように曲線的な軌道を描くが、最短距離を捨てるわけではない。
相手を翻弄するフェイント程度の横移動を見せながらも、確実に攻撃を放てる位置へ動く。
夜風が頬を撫でた瞬間、風とは逆方向の黒い膨らみ――――左のクラゲが動きを止めた。
「――――ッ!」
ミラナードの動きを追うことを止め、左方向へ体を反転させる。
同時に息を吸い込んだ。
今から使うスキルはリリアに付与されたもので、使うのは初めてだ。
声を振動に変えるスキル――――鳴撃(キャズ)
威力は声量に比例し、衝撃の鋭さは声の高低に依存し、攻撃範囲は周波数の波によって変化する。という知識は俺も持っている。
しかし、初見で衝撃の種類までコントロールするのは難しい。現状は不確定要素の多い範囲スキルとして使用することになる。
なぜトマトがこのスキルを俺のために選んだかと言えば、リリアの執事ですら使いこなせない“余りもの”だからに他ならない。
その理由も使用段階になって実感した。
“当てづらい”
この一言に尽きる。
範囲スキルといえど、まず広範囲に放つには技術が必要となる。さらに、出せる衝撃の種類は声質によって得手不得手がある。ひょっとしたら俺の声で狙いの衝撃が出せない可能性もある。
そして何より、戦闘中に“声で攻撃する”というのが想像以上に難しい。
呼吸は戦闘における重要なファクターの一つだ。
心理状態、戦況、体調、気候、様々な要因によって変化する呼吸を一定のリズムに保つことで、俺達は本来の戦闘力を発揮することができる。
“声を出す”という行為は、その呼吸のリズムを乱すことに繋がる。
これが、攻撃と発声が一体となっている剣道や柔道であれば、スムーズに行えるかもしれない。けれど、鳴撃(キャズ)は声そのものが攻撃であり、武道における“気合い”とは違う。
鳴撃(キャズ)を高威力で放つためには、絶叫あるいはそれに近い声量が必要だ。
戦闘中に絶叫することは、並の攻撃を当てることよりも難しい。
この世界の戦闘は、地球の戦闘がスローモーションに思えるほど速く、一呼吸の間に三発~五発の攻撃をやり取りする。
つまり、鳴撃(キャズ)を放つためには、三~五手先を読み、手足による攻撃を捨て、一撃に賭けなければならない。
俺は今、ミラナードの動きの法則を把握することで、三手先の未来を予測した。
右足を軸に反転した体を、左足で支え、大きく吸い込んだ空気を肺に留める。
攻撃の射程範囲から両手を引く。
移動してくる黒い影。
――――読み切った。
そう確信した瞬間、黒い影は目の前で急加速し、通り過ぎた。
「――――――――――――――――――――――――ッ!」
攻撃のキャンセルは間に合わず、衝撃へと変わった声は、ミラナードが通過した軌道上に放たれ、庭の土に地割れのようなヒビを入れた。
慌てて方向転換する。
しかし、既に『先の後』を取られていた。
ミラナードがいない。背後に揺れる気配。鋭い香りが鼻孔を突き抜ける。
自らの判断ミスに気付いた瞬間、背中に強烈な衝撃が走った。
「がはっっっっ!」
背骨が軋む。
おそらくミラナードの切り札の攻撃スキルだ。充分な殺傷力がある。けれど、その衝撃は俺の打突(ガルダ)ほどではない。
あえて脱力し、ミラナードの拳に身を委ねた。
仰け反った体がエネルギーを全身に分散させ、浮き上がる。
風が頬を叩き、視界は一気に空へ近づいた。
呼吸が苦しい。背筋に痺れを感じる。皮膚が焼けるように熱い。けれど、衝撃は体を弾き飛ばす力へと変換され、身体への直接的なダメージは致命傷の一歩手前まで緩和された。
まだ、戦える。
通常ならミラナードの追撃に備える場面だが、思考はまったく別のベクトルを向いた。
追い詰められた状況だからこそ、通常では起こり得ないことが起こりうる。不確定要素が充満している“ピンチ”という状況は、戦況をひっくり返すターニングポイントになることを、幾度となく実感して来た。
目を閉じ、持続時間残りわずかとなった香辛(ジンカ)に感覚を集中させる。
地を縫うようにこちらへ向かってくる仄かな香り。それは動物の本能を刺激する肉の力強さと、それを従属させるレモンの酸味を合わせた、紛れもなくあの少女にしか出すことのできない戦闘力の象徴だ。
完璧に殺気を殺せるミラナードが、圧倒的な優位にたったが故に、微かな綻びを見せている。その位置は数センチの誤差もなく嗅覚が脳に伝えている。
戦場の火花をもろともせず、最短距離でこちらへ向かってくる。
距離は十メートル。二秒後にはここへ到達する。
タイミングを逃せば負ける。先を読まれていても負ける。
けれど、俺には助けるべきメイド達がいる。
こんなところで従者相手に手古摺っているわけにはいかない。
俺は今から世界一強い男を倒すんだから。
弓なりになった体の動きに呼吸を合わせ、悟られないよう肺に息を送り込む。
自然と遅くなっていく心拍と、嗅覚で捉え続けている香りだけが、意識の中心にくっきりと浮かび上がる。
三…………二………………
「---------------ッ!」
上空に向かって声にならない声を張り上げた。
それは衝撃へと変換され、宙に浮いた俺の体を反転させる。
眼前に拳。その奥に、驚愕を浮かべたミラナード。
ほぼ無意識の内に、飛んできた拳を右手で逸らした。
行き場を失った細い腕を掴む。
握りしめたその腕を基点とし、逃げ場のないゼロ距離の戦闘を開始――。
自由になったミラナードの手足が振り回される。頬を掠め、腹部を弾き、脇を蹴ってくる。
一撃一撃が重い。けど、耐えられる。
黒服に閉じ込められた気泡を蹴りつけ、少女の機動力を奪った。
急速に落下していく。
少女は目を見開き、悔し気に歯を食いしばった。
ここまでくれば単純な筋力差の勝負となる。
握りしめた右腕を、肩口から地面に振り抜く。
「だああああああああああああああああああああっ!」
「がはぁっっっっ!」
地面に叩きつけられたミラナードは苦悶の表情を浮かべた。
ほぼ同時に、捨て身の攻撃を放った俺の体も地面に叩きつけられ、首筋から背中に電流が走る。が、ギリギリで着地は成功した。
起き上がり、たった今倒した小柄な従者を見下ろす。
小さな口で荒い呼吸を繰り返している。一時的に肺の空気を持っていかれただけだろう。体の強い格闘家ならいずれ復活する。
見開かれた目は何か言いたげに俺を見つめた。
構わず反転し、屋敷へつま先を向ける。すると、
「…………お前は、なんで…………メイドを……守る…………」
ミラナードから息絶え絶えの声が発せられた。
足を止め、振り返る。
「お前こそ、なんでディークなんかの味方をしてるんだ。あいつはメイド達の尊厳を奪おうとしてる。彼女達には彼女達の生き方があるんだ。それを否定するなら、俺は全力で止める」
「誰かに守ってもらわなければ生きられない人間に、生きる価値なんてあるのかっ……」
消え入りそうな呟き。
それはメイドに対してではなく、彼女自身に向けられているようにも聞こえた。
「俺は彼女達を、命を賭けても守るよ。守られることは悪いことじゃない」
「だから、私を……このまま放置していくのか?」
「ああ、トドメは刺さない」
「私は、お前に守られたとは思わない。後で復活したらリリアを倒して、残りの執事達も片付ける」
「その前にこの戦いを終わらせるさ」
ミラナードのスキルはもう切れている。動けるようにはなっても、さっきまでのようには暴れられないだろう。
どちらにしても俺は敵を殺すつもりはない。それがたとえディークであってもだ。
俺はただ、メイドを助けたい。
「鳥太様っ! 大丈夫ですかっ!」
駆け寄って来たトマトが心配そうに俺の背中を撫でた。
「大丈夫だよ。それより、みんなの場所はわかるか?」
「はいっ。地図は暗記しています。こちらへ」
先導するトマトについて歩き出した。
後ろで泣き叫ぶミラナードの声が聞こえた。
彼女の心の真ん中にあったものが何なのかはわからない。けれど、戦う人間はそれぞれ譲れないものを抱えている。
あと一歩。全てを終わらせる。
俺は今晩、世界中のメイド達を救ってみせる。
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そんなある日、魔物の住む森に使いに出されたカイラは、魔物の群れに教われている人々に遭遇する。
カイラは、命がけで人々を助けるが重傷を負う。
死に瀕してカイラは、自分が前世で異世界の精霊王の姫であったことを思い出す。
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