2 / 8
2
しおりを挟む
「ハリル! お黙りなさい」
その声に、ハリルはびくりと大きく肩を震わせ振り返った。
「は、母上! これは一体どういうことなのですっ。私の婚約届が受理されていないなどそんなことがあるわけ……!」
王子の口を、側妃であるハリルの母アルビアが扇でびしりと制する。そしてじろり、と目の前に立つフローラとミルドレッドに視線を向けた。その視線は針のような鋭さで二人を射貫く。
「あなたたち、それが我が国の側妃である私と次期国王に対する態度? たかが伯爵風情の小娘がなんと無礼なっ! 控えなさいっ」
キンキンとした耳障りな甲高い怒声に、フローラとミルドレッドは無言ですっと片足を引き優雅に礼の姿勢をとった。
仮にも目の前にいるのは、この国の側妃なのだ。そしてこの国内に他に王位継承の可能性がある者がいない今、ハリルが次期国王と目されていることも確かだった。
少なくとも、今はまだ――。
「これは何の騒ぎです。まさか陛下、あなたが裏で何か……」
アルビアは険しい表情でつかつかと国王のもとに歩み寄ると、玉座に座ったまま冷静な表情を浮かべ事の成り行きを見つめていた夫を鋭く見つめた。
「……まさかあなたは、この期に及んでまだあの子を次期国王にすえようなどと……? 国を背負う責務から簡単に逃げ出すようなあんな情けない子に、次期国王が務まるものですか! この国を背負うのは私の息子、ハリル以外にはあり得ませんわっ。一体何度言えば分かるのです!」
その鬼のような形相にも、国王は顔色をまったく変えることなくただ静かに見つめ返す。
「それを決めるのは、国王である私だ。そなたにその権利はない。それにリカルドがこの国を出たそもそもの原因は、そなたが作ったのではなかったか? 私が何も知らぬとでも思っていたのか、アルビア」
国王の声は低く淡々としていたが、耳にした皆の腹の底が一瞬にして凍り付くような冷たさと、それとは真逆の怒りの熱を帯びていた。
アルビアはその静かな迫力に一瞬ひるんだように動きを止めたが、手にしていた扇をぎり、と握りしめ顔を上げると国王をにらみつけた。
「一体何をおっしゃっているのか分かりませんわ。あの子は国を担う重責から逃れようと、無様にもこの国を捨てて自ら逃げ出したのではありませんか。私もハリルも何もしておりませんわ。ただあの子が弱く、次期国王になる器などなかっただけのことでしょう」
吐き捨てるように言い切り、鼻で笑った。
アルビアの言うところのあんな子というのは、すでに儚くなった前王妃の残した息子リカルドのことである。すでに二十を超える年であり、現在はこの国を遠く離れこの国の土を二度と踏むことはないだろうと目されていた。本来であれば、リカルドが王位継承権第一位であるにもかかわらず。
そのため、この国の次代を担うのは他にないと、ハリルが事実上の次期王位継承者として位置づけられていたのである。
となれば、次期国王の母である側妃アルビアの権力は絶大なものとなる。ハリルとアルビアはそれを振りかざし、この国を好きなように牛耳ろうと一部の貴族たちを抱き込んで我が物顔で振舞っていた。
しかも最近では隣国の有力貴族と裏でつながり、ある意味将来的に国を売り渡しかねないやり方で私腹を肥やす計画まで立てていたのである。
が、そんな企みを国王が見逃すはずもなかった。
そして今日がまさに、その断罪の日だった。
「アルビア、ハリル。そなたたちに会わせたい者がいる」
国王がすっと小さく手を上げ合図すると、一人の男が会場に姿を現した。
引き締まった筋肉質なすらりとした体躯を王族のみに許された色の正装に身を包んだその男は、艷やかな黒髪と深碧色の目をしていた。その堂々とした立ち居振る舞いと姿とは、まるで若い獅子のようなしなやかさと豪胆さを感じさせた。
その姿を目にした聴衆から、大きなどよめきが起こった。
男はゆったりとした余裕のある仕草で場をぐるりと見渡すと、一瞬フローラに視線を止めその目元を優しげにやわらげた。そしてフローラもまた、その視線を微笑みを持って受け止めしばし二人は見つめ合う。
それから男は顔に余裕のある笑みを浮かべつつもどこか冷たさを滲ませて、アルビアに視線を向けた。
「随分とお久しぶりですね。お変わりなさそうで何よりです。いや、少し以前よりふっくら豊満になられましたか? さぞ良い暮らしぶりをなさっておいでのようだ。……そして」
次にハリルへとその視線を移す。
「お前も相変わらず、といっていいのか。背は伸びたようだが剣の鍛錬は……あまり進んでいないようだな」
ハリルのゆるんだ腹と筋肉など微塵もついてなさそうな細い腕とに目をやり、男は口元に小さく笑いを浮かべた。ハリルの表情に、一瞬にして朱が走る。
「お……お前がなぜここにっ、リカルドッ! もうこの国には二度と戻らないのではなかったのかっ」
口から唾を飛ばしそう叫んだハリルを、リカルドと呼ばれたその男は眉をひそめて見やった。
その声に、ハリルはびくりと大きく肩を震わせ振り返った。
「は、母上! これは一体どういうことなのですっ。私の婚約届が受理されていないなどそんなことがあるわけ……!」
王子の口を、側妃であるハリルの母アルビアが扇でびしりと制する。そしてじろり、と目の前に立つフローラとミルドレッドに視線を向けた。その視線は針のような鋭さで二人を射貫く。
「あなたたち、それが我が国の側妃である私と次期国王に対する態度? たかが伯爵風情の小娘がなんと無礼なっ! 控えなさいっ」
キンキンとした耳障りな甲高い怒声に、フローラとミルドレッドは無言ですっと片足を引き優雅に礼の姿勢をとった。
仮にも目の前にいるのは、この国の側妃なのだ。そしてこの国内に他に王位継承の可能性がある者がいない今、ハリルが次期国王と目されていることも確かだった。
少なくとも、今はまだ――。
「これは何の騒ぎです。まさか陛下、あなたが裏で何か……」
アルビアは険しい表情でつかつかと国王のもとに歩み寄ると、玉座に座ったまま冷静な表情を浮かべ事の成り行きを見つめていた夫を鋭く見つめた。
「……まさかあなたは、この期に及んでまだあの子を次期国王にすえようなどと……? 国を背負う責務から簡単に逃げ出すようなあんな情けない子に、次期国王が務まるものですか! この国を背負うのは私の息子、ハリル以外にはあり得ませんわっ。一体何度言えば分かるのです!」
その鬼のような形相にも、国王は顔色をまったく変えることなくただ静かに見つめ返す。
「それを決めるのは、国王である私だ。そなたにその権利はない。それにリカルドがこの国を出たそもそもの原因は、そなたが作ったのではなかったか? 私が何も知らぬとでも思っていたのか、アルビア」
国王の声は低く淡々としていたが、耳にした皆の腹の底が一瞬にして凍り付くような冷たさと、それとは真逆の怒りの熱を帯びていた。
アルビアはその静かな迫力に一瞬ひるんだように動きを止めたが、手にしていた扇をぎり、と握りしめ顔を上げると国王をにらみつけた。
「一体何をおっしゃっているのか分かりませんわ。あの子は国を担う重責から逃れようと、無様にもこの国を捨てて自ら逃げ出したのではありませんか。私もハリルも何もしておりませんわ。ただあの子が弱く、次期国王になる器などなかっただけのことでしょう」
吐き捨てるように言い切り、鼻で笑った。
アルビアの言うところのあんな子というのは、すでに儚くなった前王妃の残した息子リカルドのことである。すでに二十を超える年であり、現在はこの国を遠く離れこの国の土を二度と踏むことはないだろうと目されていた。本来であれば、リカルドが王位継承権第一位であるにもかかわらず。
そのため、この国の次代を担うのは他にないと、ハリルが事実上の次期王位継承者として位置づけられていたのである。
となれば、次期国王の母である側妃アルビアの権力は絶大なものとなる。ハリルとアルビアはそれを振りかざし、この国を好きなように牛耳ろうと一部の貴族たちを抱き込んで我が物顔で振舞っていた。
しかも最近では隣国の有力貴族と裏でつながり、ある意味将来的に国を売り渡しかねないやり方で私腹を肥やす計画まで立てていたのである。
が、そんな企みを国王が見逃すはずもなかった。
そして今日がまさに、その断罪の日だった。
「アルビア、ハリル。そなたたちに会わせたい者がいる」
国王がすっと小さく手を上げ合図すると、一人の男が会場に姿を現した。
引き締まった筋肉質なすらりとした体躯を王族のみに許された色の正装に身を包んだその男は、艷やかな黒髪と深碧色の目をしていた。その堂々とした立ち居振る舞いと姿とは、まるで若い獅子のようなしなやかさと豪胆さを感じさせた。
その姿を目にした聴衆から、大きなどよめきが起こった。
男はゆったりとした余裕のある仕草で場をぐるりと見渡すと、一瞬フローラに視線を止めその目元を優しげにやわらげた。そしてフローラもまた、その視線を微笑みを持って受け止めしばし二人は見つめ合う。
それから男は顔に余裕のある笑みを浮かべつつもどこか冷たさを滲ませて、アルビアに視線を向けた。
「随分とお久しぶりですね。お変わりなさそうで何よりです。いや、少し以前よりふっくら豊満になられましたか? さぞ良い暮らしぶりをなさっておいでのようだ。……そして」
次にハリルへとその視線を移す。
「お前も相変わらず、といっていいのか。背は伸びたようだが剣の鍛錬は……あまり進んでいないようだな」
ハリルのゆるんだ腹と筋肉など微塵もついてなさそうな細い腕とに目をやり、男は口元に小さく笑いを浮かべた。ハリルの表情に、一瞬にして朱が走る。
「お……お前がなぜここにっ、リカルドッ! もうこの国には二度と戻らないのではなかったのかっ」
口から唾を飛ばしそう叫んだハリルを、リカルドと呼ばれたその男は眉をひそめて見やった。
63
あなたにおすすめの小説
好きだった幼馴染みに再会→婚約者を捨ててプロポーズした侯爵令息
星森
恋愛
侯爵家の令息エドモンドは、幼い頃に結婚を誓い合った幼馴染コレットへの執着を捨てられずにいた。
しかし再会した彼女は自分を避け、公爵令息アランと親しくする姿ばかりが目に入る。
嫉妬と焦燥に駆られたエドモンドは、ついに“ある計画”に手を染めてしまう。
偶然を装った救出劇、強引な求愛、婚約破棄──
すべてはコレットを取り戻すためだった。
そして2人は……?
⚠️本作はAIが生成した文章を一部に使っています。
愚かな王太子に味方はいない
遥彼方
恋愛
「オレリア・ヴァスール・ド・ユベール。君との婚約を破棄する」
20歳の誕生日パーティーの場で、俺は腕に別の令嬢をぶら下げて、婚約者であるオレリアに婚約破棄を言い渡した。
容姿も剣も頭も凡庸で、愚直で陰気な王太子。
全てにおいて秀才で、華麗な傑物の第二王子。
ある日王太子は、楽しそうに笑い合う婚約者と弟を見てしまう。
二話目から視点を変えて、断罪劇の裏側と、真実が明らかになっていきます。
3万文字強。全8話。「悪女の真実と覚悟」までで本編完結。
その後は番外編です。
この作品は「小説になろう」にも掲載しております。
虐げられたアンネマリーは逆転勝利する ~ 罪には罰を
柚屋志宇
恋愛
侯爵令嬢だったアンネマリーは、母の死後、後妻の命令で屋根裏部屋に押し込められ使用人より酷い生活をすることになった。
みすぼらしくなったアンネマリーは頼りにしていた婚約者クリストフに婚約破棄を宣言され、義妹イルザに婚約者までも奪われて絶望する。
虐げられ何もかも奪われたアンネマリーだが屋敷を脱出して立場を逆転させる。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
【完結】もしかして悪役令嬢とはわたくしのことでしょうか?
桃田みかん
恋愛
ナルトリア公爵の長女イザベルには五歳のフローラという可愛い妹がいる。
天使のように可愛らしいフローラはちょっぴりわがままな小悪魔でもあった。
そんなフローラが階段から落ちて怪我をしてから、少し性格が変わった。
「お姉様を悪役令嬢になんてさせません!」
イザベルにこう高らかに宣言したフローラに、戸惑うばかり。
フローラは天使なのか小悪魔なのか…
婚約破棄の日の夜に
夕景あき
恋愛
公爵令嬢ロージーは卒業パーティの日、金髪碧眼の第一王子に婚約破棄を言い渡された。第一王子の腕には、平民のティアラ嬢が抱かれていた。
ロージーが身に覚えのない罪で、第一王子に糾弾されたその時、守ってくれたのは第二王子だった。
そんな婚約破棄騒動があった日の夜に、どんでん返しが待っていた·····
天真爛漫な婚約者様は笑顔で私の顔に唾を吐く
りこりー
恋愛
天真爛漫で笑顔が似合う可愛らしい私の婚約者様。
私はすぐに夢中になり、容姿を蔑まれようが、罵倒されようが、金をむしり取られようが笑顔で対応した。
それなのに裏切りやがって絶対許さない!
「シェリーは容姿がアレだから」
は?よく見てごらん、令息達の視線の先を
「シェリーは鈍臭いんだから」
は?最年少騎士団員ですが?
「どうせ、僕なんて見下してたくせに」
ふざけないでよ…世界で一番愛してたわ…
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、
完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。
だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。
理由は簡単だった。
「君は役に立ちすぎた」から。
すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、
“静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。
そこで待っていたのは――
期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。
前に出なくていい。
誰かのために壊れなくていい。
何もしなくても、ここにいていい。
「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」
婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、
何者にもならなくていいヒロインの再生と、
放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。
これは、
“役に立たなくなった”令嬢が、
ようやく自分として生き始める物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる