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十七
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「あの日、お姫さんに会わなかったら俺はきっとこんなにがむしゃらに生きてはこなかっただろう」
屋敷に着いて、彼は我慢出来ないというように性急にわたしを寝台に押し倒してくる。熱い眼差しに蕩けそうになりがなら、わたしも彼の背にそっと手を廻すと彼は驚いたようにビクリと身体を跳ね上げさせる。
「……あ、ごめんなさい。わたしったら、はしたないですわよね」
慌てて離そうとすると彼は慌てて違うのだとかぶりを振る。
「そうじゃない。貴女から俺に触れるのが初めてだから驚いたんだ」
離さないとばかりに抱きしめる力が強くなるのを肌で感じて、笑みが零れる。
「どうした?」
「貴方に求められているようで嬉しいのです」
「お姫さんっ……!」
なんて可愛いことを言うんだと彼が込める力はますます強くなり、背中が痛むほどだ。けれど、それでも離してほしいなんて思わない。だってようやく繋がり合えたのだ――だからもっと求めて、と耳打ちすれば彼は今度こそ動きを止めた。
「……参った」
「何がです?」
「お姫さんは俺が思うより、大胆な人なんだな」
溜め息混じりに呟かれると、自分の恥知らずな言動が急激に居たたまれなくなり、彼の視線から離れるように眼を逸らす。どうやら彼との気持ちが繋がって、気が大きくなったみたいだ。
「忘れて下さい」
「忘れる必要なんてない。貴女は知らないのだろう。今の言葉が俺にとってどれだけ嬉しいのかを――」
そっぽを向いたままの懇願はあえなく却下される。そのまま彼はわたしに軽く口付けると、ゆっくりと帯の紐を緩めようとしてきた。
「……まだ昼ではありませんか」
「屋敷に着いたら抱くと言ってあった。貴女も了承してくれていたじゃないか」
「けれど、その、貴方に裸を見られると思うと……ひどく恥ずかしくて堪らないのです」
自分でも往生際が悪いと思う。だけど、仕方ないじゃないか。こんなに明るい所で身体を暴かれるだなんて、想像するだけで身悶えるのだから。顔を赤くしていることを知られたくなくて俯くと、彼は盛大に溜息をつく。面倒な女だと思われたのかと恐る恐る顔を上げると、彼も顔を紅潮させている。
「お姫さん、貴女は本当は俺を煽っているのか」
「ちがっ……!」
「違わないだろう。もし違うのだとしても、大抵の男は俺のように勘違いしてしまうぞ」
耳をねぶりながら、嗜めるように警告してくる彼の方が淫靡だ。涙目になりながら彼を見つめると彼の喉がゴクリと鳴る音が聞こえる。
「……せっかく想いが通じ合ったというのに、そんな意地悪をおっしゃらないで下さい」
拗ねた気持ちのまま呟けば、もう彼は我慢ならないと息を奪うかのように口を塞いでくる。呼吸が出来なくて苦しいと思うのに止めて欲しくないと思うのは、自分がおかしいのか――分からないけれど、それでも良い。だってこんなにも幸せだと感じるのだから、今はその気持ちのまま素直に身を任せるのだ。
「ほら、やっぱり俺を煽るような顔をしてる」
ニヤリと口角を上げ、生理的に流したわたしの涙を指先で拭う彼の艶っぽい仕草に胸が高鳴る。身体が密着している今、彼にも聞こえているのかと思うと妙な気まずさが襲い、少しだけ彼と離れようともがくが、先ほどの口付けで力の抜けた今の状態では、単なる身じろぎにしかならない。だけどそんな些細な動きすら不服そうに口を尖らせ、わたしを困らせるのだ。
「どうして俺から離れようとするんだ?」
「だって、その……」
本当の理由なんて言える訳がない。それなのに彼はわたしをさらなる窮地に追いやる。
「俺には言えないことか。だったら身体に直接聞いてやろうか」
わたしが止める間もなくあっという間に帯を解き、裸に剥かせる。じっとりと見つめる視線が妙に嫌らしく感じ、わたしは彼から顔を背けて耐えようとするのに、責め手は緩むことはなく今度は言葉で嬲られるのだ。
「触ってもいないのに胸の頂点が硬くなっているなんて、貴女は本当に敏感なんだな。ほら、ちゃんと理由を言わないともっとひどいことをしてやるぞ?」
わたしが避けた理由なんて恐らくもう察しがついているだろうに追いつめていくる彼は性格が悪いとしかいいようがない。けれど、困ったことにそれすらも嫌ではないのだからわたしも末期なのだろうか。
「……もう好きにしてください。貴方の好きなようにお攻めになって?」
顔から火が出そうなほど恥ずかしい台詞は、想いが通じたからこそ言えるのだ。自分でも信じられないほどの大胆な挑発は見事に彼の言葉を射抜いたらしい。彼は顔を天に仰ぎぽつりと何かを呟いた。見れば、耳まで紅くしている。ほんの数秒ほどその体勢で居たのかと思うと、勢いよくわたしの着物を剥ぎ取り、床に投げ捨てる。行儀の悪い行動に普段なら眉を顰めてしまうかもしれないけれど、今日ならもう良いのだと思う。
「お姫さん、アンタはどうしてそんな俺の理性を打ち砕くんだ。優しくほぐして貴方を身も世もなく可愛らしく喘がせてやりたいのに、自分の欲望に負けてしまいそうになるじゃないか」
悩ましげに眉間の皺を寄せて苦悩する姿を見て、そこまでわたしを好いてくれているのかと嬉しく思う自分がいる。もっと彼がわたしを求めて欲しい。強い願望を彼に知られないように、わたしはひっそりと息を吐き出した。
「どうして理性に勝つ必要があるのです。そんなことされたら、せっかくわたしが勇気を出して貴方様を求めたことの全てが無駄になるではありませんか」
そっと彼の唇に自分から重ねると、彼は堰を切ったように口内を犯し尽くす。わたしも彼の行動に応えたくて必死に舌を絡めようとするけれど、その間も彼の手はわたしの弱点を刺激し、淫らに身体を蕩けさせていく。
「嗚呼っ! アンタは本当に俺を煽るのが上手いな。下の口もこんなにいやらしく濡らして、俺の手がふやけているぞ」
「っあなたが……そぉ、させて……いっ、るのです」
いつのまにか彼が挿れている指は二本から三本に変わっている。わたしはもう彼の背中にしがみ付くのがやっとなのに、翻弄する彼はまだそんな余裕があるというのか。これは経験値の差なのだろうか。そう考えると少しだけムッとして、わざと強く背中に爪を立ててやる。
「くそっ……もう我慢出来るか!お姫さんアンタが欲しい。良いだろうか……」
切ないように眉を顰めて、懇願する彼が愛おしい。だからわたしは頬を綻ばせて、ずっと心の隅に置いていた悩みを解決するべくお願いをすることにした。
「……わたしも貴方にして欲しいことがあるのですが、頼んでも大丈夫でしょうか」
「なんでもくれてやる。貴女が俺に望むこと全てを……だから俺にアンタの全てをよこしてくれ」
彼の答えが嬉しくて涙が頬を流れる。突然わたしが泣きだしたものだから彼は驚いて、慌ててわたしの涙で指ですくいとる。どうしたらいいか分からないとばかりにオロオロとする彼の姿を見て、ずっと言おうとしていことへの決心がようやくつく。
「……名前を」
「うん?」
「名前を呼んで欲しいのです。お姫さんと呼ばれるのは貴方と距離がある気がして――」
続く言葉は確かにあった。けれど、それよりも早く彼はわたしを抱きしめる。強い力で抱きしめられ、彼がどのような表情をしているかは分からない。けれど、わたしを覆う二本の腕は僅かに震えていた。
「…………貴女は知らないのだろうな」
ぽつりと吐き出すように呟いた声は掠れていた。何か地雷を踏んでしまったのだろうかと不安に思ったけれど、彼はわたしの願いどおりに名前を呼んでくれた。
「薫子さん」
「はい」
「貴女はどうして俺の欲しい言葉が分かるんだ――本当は俺だって貴女を、名前で呼んでやりたかった。いつぞやの貴女の婚約者だったあの男のように、けれど平民風情の俺が呼ぶにはとんでもないくらいの勇気がいることだということを、貴女は知らないのだろうな。」
だからこそ垣根を飛んでくれるのかもしれない、と続けた彼にわたしも自分の想いをぶつける。
「貴方だって知らないはずです。夫である貴方に名前を呼ばれない妻の気持ちを――」
「……俺達はそこからしてすれ違っていたのだな。だったら薫子さん、これからは俺は貴女の名前をたくさん呼んでやる。だから、薫子さんも俺の名前を呼んでくれないか――俺ばかり呼ぶのは不公平だろう」
耳元で笑う気配が聞こえて、わたしの心は軽くなると共にじんわりと温かい気持ちになった。
「はい、誠一郎さん。これからは貴方の耳にタコが出来るほど沢山呼びましょう」
「……それでは、さっそく頼もうか」
なにを、と聞く間もなく彼は突然わたしの足を急な体勢に変えたかと認識した途端、彼の逞しい男根がわたしのナカに入り込んでくる。苦しさと甘い疼きに浅く息を吐き出せば、彼は意地悪く胸の頂点を舌で舐めあげ、わたしをさらに翻弄しようとしてくる。
「ほら、俺の名前を呼ばないか」
そんな余裕なんかあるわけがない。こっちは意識を保つのもやっとだというのに無茶を言わないで欲しい。けれども誠一郎さんはそんなことをお構いなしのようで、わたしを窮地に追いやってくるのだ。
「……薫子さんが呼ぶまでは、何回も交わってやろうか」
そんなことされたら死んでしまう。わたしは彼の名前を呼ぼうとするけれど、口から出るのはただの喘ぎ声でしかない。
「っ、あぁ、せっ……ぅ、ぁっんん」
名前を呼んで欲しいというなら、せめて手加減くらいしてくれても良いじゃないか。拗ねた気分で彼を睨み付ければ、彼はそんなことお構いなしだとばかりに腰の動きを早くしていく。
わたしはただぼんやりとそれを甘受して、そしてせめてもの反抗に誠一郎さんの首筋を軽く噛んでやるのだ。そんなことされるとは彼は思っていなかったようで動きを止めて、ゆっくりと噛まれた場所を指先で辿る。
「あんまり、意地悪をしては、駄目です……」
ぷいと子供みたいに顔を背けると、彼は悪かったと謝ってくる。
「やっとお姫さんが手に入ったから、浮かれてしまったようだ」
「…………お姫さんと呼ばないで、とさっき言ったではありませんか」
駄々を捏ねるあたり、幼子そのものだというのに彼はそれでも謝ってくる。
「今度はもっと優しくする――だから良いだろうか」
ソワソワとわたしの様子を見る彼が、先程の意地悪な面影が全くなく、それが少しおかしい。だからわたしは彼に飛びついて、そして口づける。
「誠一郎さん、今度はとびきり優しくしてください。せっかく想いが通じ合ったのですから、わたしに実感させてください」
その言葉を皮切りにお互いの魂を吸いあうような長い口づけを交わす。そうして、お互いの手を握り、抱き合うのだ。
これから先、またすれ違うことになっても離されないように強く掴んでやる――今度はもう置いていかれるものか。絶対に離してやらない。そう心に決めてわたしは誠一郎さんに愛の言葉を囁いたのだった。
屋敷に着いて、彼は我慢出来ないというように性急にわたしを寝台に押し倒してくる。熱い眼差しに蕩けそうになりがなら、わたしも彼の背にそっと手を廻すと彼は驚いたようにビクリと身体を跳ね上げさせる。
「……あ、ごめんなさい。わたしったら、はしたないですわよね」
慌てて離そうとすると彼は慌てて違うのだとかぶりを振る。
「そうじゃない。貴女から俺に触れるのが初めてだから驚いたんだ」
離さないとばかりに抱きしめる力が強くなるのを肌で感じて、笑みが零れる。
「どうした?」
「貴方に求められているようで嬉しいのです」
「お姫さんっ……!」
なんて可愛いことを言うんだと彼が込める力はますます強くなり、背中が痛むほどだ。けれど、それでも離してほしいなんて思わない。だってようやく繋がり合えたのだ――だからもっと求めて、と耳打ちすれば彼は今度こそ動きを止めた。
「……参った」
「何がです?」
「お姫さんは俺が思うより、大胆な人なんだな」
溜め息混じりに呟かれると、自分の恥知らずな言動が急激に居たたまれなくなり、彼の視線から離れるように眼を逸らす。どうやら彼との気持ちが繋がって、気が大きくなったみたいだ。
「忘れて下さい」
「忘れる必要なんてない。貴女は知らないのだろう。今の言葉が俺にとってどれだけ嬉しいのかを――」
そっぽを向いたままの懇願はあえなく却下される。そのまま彼はわたしに軽く口付けると、ゆっくりと帯の紐を緩めようとしてきた。
「……まだ昼ではありませんか」
「屋敷に着いたら抱くと言ってあった。貴女も了承してくれていたじゃないか」
「けれど、その、貴方に裸を見られると思うと……ひどく恥ずかしくて堪らないのです」
自分でも往生際が悪いと思う。だけど、仕方ないじゃないか。こんなに明るい所で身体を暴かれるだなんて、想像するだけで身悶えるのだから。顔を赤くしていることを知られたくなくて俯くと、彼は盛大に溜息をつく。面倒な女だと思われたのかと恐る恐る顔を上げると、彼も顔を紅潮させている。
「お姫さん、貴女は本当は俺を煽っているのか」
「ちがっ……!」
「違わないだろう。もし違うのだとしても、大抵の男は俺のように勘違いしてしまうぞ」
耳をねぶりながら、嗜めるように警告してくる彼の方が淫靡だ。涙目になりながら彼を見つめると彼の喉がゴクリと鳴る音が聞こえる。
「……せっかく想いが通じ合ったというのに、そんな意地悪をおっしゃらないで下さい」
拗ねた気持ちのまま呟けば、もう彼は我慢ならないと息を奪うかのように口を塞いでくる。呼吸が出来なくて苦しいと思うのに止めて欲しくないと思うのは、自分がおかしいのか――分からないけれど、それでも良い。だってこんなにも幸せだと感じるのだから、今はその気持ちのまま素直に身を任せるのだ。
「ほら、やっぱり俺を煽るような顔をしてる」
ニヤリと口角を上げ、生理的に流したわたしの涙を指先で拭う彼の艶っぽい仕草に胸が高鳴る。身体が密着している今、彼にも聞こえているのかと思うと妙な気まずさが襲い、少しだけ彼と離れようともがくが、先ほどの口付けで力の抜けた今の状態では、単なる身じろぎにしかならない。だけどそんな些細な動きすら不服そうに口を尖らせ、わたしを困らせるのだ。
「どうして俺から離れようとするんだ?」
「だって、その……」
本当の理由なんて言える訳がない。それなのに彼はわたしをさらなる窮地に追いやる。
「俺には言えないことか。だったら身体に直接聞いてやろうか」
わたしが止める間もなくあっという間に帯を解き、裸に剥かせる。じっとりと見つめる視線が妙に嫌らしく感じ、わたしは彼から顔を背けて耐えようとするのに、責め手は緩むことはなく今度は言葉で嬲られるのだ。
「触ってもいないのに胸の頂点が硬くなっているなんて、貴女は本当に敏感なんだな。ほら、ちゃんと理由を言わないともっとひどいことをしてやるぞ?」
わたしが避けた理由なんて恐らくもう察しがついているだろうに追いつめていくる彼は性格が悪いとしかいいようがない。けれど、困ったことにそれすらも嫌ではないのだからわたしも末期なのだろうか。
「……もう好きにしてください。貴方の好きなようにお攻めになって?」
顔から火が出そうなほど恥ずかしい台詞は、想いが通じたからこそ言えるのだ。自分でも信じられないほどの大胆な挑発は見事に彼の言葉を射抜いたらしい。彼は顔を天に仰ぎぽつりと何かを呟いた。見れば、耳まで紅くしている。ほんの数秒ほどその体勢で居たのかと思うと、勢いよくわたしの着物を剥ぎ取り、床に投げ捨てる。行儀の悪い行動に普段なら眉を顰めてしまうかもしれないけれど、今日ならもう良いのだと思う。
「お姫さん、アンタはどうしてそんな俺の理性を打ち砕くんだ。優しくほぐして貴方を身も世もなく可愛らしく喘がせてやりたいのに、自分の欲望に負けてしまいそうになるじゃないか」
悩ましげに眉間の皺を寄せて苦悩する姿を見て、そこまでわたしを好いてくれているのかと嬉しく思う自分がいる。もっと彼がわたしを求めて欲しい。強い願望を彼に知られないように、わたしはひっそりと息を吐き出した。
「どうして理性に勝つ必要があるのです。そんなことされたら、せっかくわたしが勇気を出して貴方様を求めたことの全てが無駄になるではありませんか」
そっと彼の唇に自分から重ねると、彼は堰を切ったように口内を犯し尽くす。わたしも彼の行動に応えたくて必死に舌を絡めようとするけれど、その間も彼の手はわたしの弱点を刺激し、淫らに身体を蕩けさせていく。
「嗚呼っ! アンタは本当に俺を煽るのが上手いな。下の口もこんなにいやらしく濡らして、俺の手がふやけているぞ」
「っあなたが……そぉ、させて……いっ、るのです」
いつのまにか彼が挿れている指は二本から三本に変わっている。わたしはもう彼の背中にしがみ付くのがやっとなのに、翻弄する彼はまだそんな余裕があるというのか。これは経験値の差なのだろうか。そう考えると少しだけムッとして、わざと強く背中に爪を立ててやる。
「くそっ……もう我慢出来るか!お姫さんアンタが欲しい。良いだろうか……」
切ないように眉を顰めて、懇願する彼が愛おしい。だからわたしは頬を綻ばせて、ずっと心の隅に置いていた悩みを解決するべくお願いをすることにした。
「……わたしも貴方にして欲しいことがあるのですが、頼んでも大丈夫でしょうか」
「なんでもくれてやる。貴女が俺に望むこと全てを……だから俺にアンタの全てをよこしてくれ」
彼の答えが嬉しくて涙が頬を流れる。突然わたしが泣きだしたものだから彼は驚いて、慌ててわたしの涙で指ですくいとる。どうしたらいいか分からないとばかりにオロオロとする彼の姿を見て、ずっと言おうとしていことへの決心がようやくつく。
「……名前を」
「うん?」
「名前を呼んで欲しいのです。お姫さんと呼ばれるのは貴方と距離がある気がして――」
続く言葉は確かにあった。けれど、それよりも早く彼はわたしを抱きしめる。強い力で抱きしめられ、彼がどのような表情をしているかは分からない。けれど、わたしを覆う二本の腕は僅かに震えていた。
「…………貴女は知らないのだろうな」
ぽつりと吐き出すように呟いた声は掠れていた。何か地雷を踏んでしまったのだろうかと不安に思ったけれど、彼はわたしの願いどおりに名前を呼んでくれた。
「薫子さん」
「はい」
「貴女はどうして俺の欲しい言葉が分かるんだ――本当は俺だって貴女を、名前で呼んでやりたかった。いつぞやの貴女の婚約者だったあの男のように、けれど平民風情の俺が呼ぶにはとんでもないくらいの勇気がいることだということを、貴女は知らないのだろうな。」
だからこそ垣根を飛んでくれるのかもしれない、と続けた彼にわたしも自分の想いをぶつける。
「貴方だって知らないはずです。夫である貴方に名前を呼ばれない妻の気持ちを――」
「……俺達はそこからしてすれ違っていたのだな。だったら薫子さん、これからは俺は貴女の名前をたくさん呼んでやる。だから、薫子さんも俺の名前を呼んでくれないか――俺ばかり呼ぶのは不公平だろう」
耳元で笑う気配が聞こえて、わたしの心は軽くなると共にじんわりと温かい気持ちになった。
「はい、誠一郎さん。これからは貴方の耳にタコが出来るほど沢山呼びましょう」
「……それでは、さっそく頼もうか」
なにを、と聞く間もなく彼は突然わたしの足を急な体勢に変えたかと認識した途端、彼の逞しい男根がわたしのナカに入り込んでくる。苦しさと甘い疼きに浅く息を吐き出せば、彼は意地悪く胸の頂点を舌で舐めあげ、わたしをさらに翻弄しようとしてくる。
「ほら、俺の名前を呼ばないか」
そんな余裕なんかあるわけがない。こっちは意識を保つのもやっとだというのに無茶を言わないで欲しい。けれども誠一郎さんはそんなことをお構いなしのようで、わたしを窮地に追いやってくるのだ。
「……薫子さんが呼ぶまでは、何回も交わってやろうか」
そんなことされたら死んでしまう。わたしは彼の名前を呼ぼうとするけれど、口から出るのはただの喘ぎ声でしかない。
「っ、あぁ、せっ……ぅ、ぁっんん」
名前を呼んで欲しいというなら、せめて手加減くらいしてくれても良いじゃないか。拗ねた気分で彼を睨み付ければ、彼はそんなことお構いなしだとばかりに腰の動きを早くしていく。
わたしはただぼんやりとそれを甘受して、そしてせめてもの反抗に誠一郎さんの首筋を軽く噛んでやるのだ。そんなことされるとは彼は思っていなかったようで動きを止めて、ゆっくりと噛まれた場所を指先で辿る。
「あんまり、意地悪をしては、駄目です……」
ぷいと子供みたいに顔を背けると、彼は悪かったと謝ってくる。
「やっとお姫さんが手に入ったから、浮かれてしまったようだ」
「…………お姫さんと呼ばないで、とさっき言ったではありませんか」
駄々を捏ねるあたり、幼子そのものだというのに彼はそれでも謝ってくる。
「今度はもっと優しくする――だから良いだろうか」
ソワソワとわたしの様子を見る彼が、先程の意地悪な面影が全くなく、それが少しおかしい。だからわたしは彼に飛びついて、そして口づける。
「誠一郎さん、今度はとびきり優しくしてください。せっかく想いが通じ合ったのですから、わたしに実感させてください」
その言葉を皮切りにお互いの魂を吸いあうような長い口づけを交わす。そうして、お互いの手を握り、抱き合うのだ。
これから先、またすれ違うことになっても離されないように強く掴んでやる――今度はもう置いていかれるものか。絶対に離してやらない。そう心に決めてわたしは誠一郎さんに愛の言葉を囁いたのだった。
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楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。
あさひ様、感想ありがとうございます!
真相の方は今書いている長編が終わりましたら、番外編として書く予定ですので、お読み頂けると嬉しいです。
そしてこちらこそ素敵な感想を頂けて心弾ませています(笑)