お姫さんと呼ばないで

秋月朔夕

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十六

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  商談の帰り、俺は馬車に乗る気になれず、歩いて帰ることにした。
 (くそっ! 腹が立つ)
  華族と仕事があるといつも胸糞悪くなる。今日もそうだった。家柄で馬鹿にされ、品性がないのだと乏しめられ、俺の言動の揚げ足ばかり取るくせに、いざ仕事の取引をしようものなら、無駄に利権ばかり主張してうんざりする。
 (仕事も出来ないくせに一丁前に権利ばかりいってくるんじゃねぇよ……)
  そんなに華族というものが偉いというのか。こっちの努力を無視して生まれ一つで差別してくる奴らが憎くて堪らない
 ――いっそ事業なんて止めてしまおうか。
  半ばやけっぱちの気持ちで、葉巻の煙を思い切り吐き出して天を見上げると、そこには猫を抱えた少女と眼がかち合った。


 「なぁ、アンタ。何してるんだ?」
  思わず声を掛けると少女はしまったとばかりに眼を泳がせ、気まずそうに見なかったことにしてくれないかと頼み込んでくる。
 (いや、それは無理だろう)
  明らかに良家のお姫さんが木登りをしているなんて忘れることが出来るだろうか。少なくとも俺には出来ない。好奇心のままに何故と聞けば、深い理由があるのだと返される。
 (いや、深い理由なんてないだろう)
  どう見ても原因は着物からひょっこり顔を出している小さい猫だ。彼女はそれに気付いてないらしく、必死に口止めしてくる。けれどその刹那、子猫が鳴いて存在を主張したのだ。動揺ゆえにかあわあわと言い訳を考えているさまが見ていておかしかった。わざとらしくこれが深い事情かと聞いてやれば、彼女は拗ねたようにそっぽを向く。
 (今時珍しいくらいに分かりやすいお姫さんだな)
  良家のお姫さんとはこれまで何人か見てきたが、もっとツンと澄ました人形のような印象しかない。だからだろうか。俺は彼女の反応が可愛らしく思えたのだ。なんとかして、彼女の顔を見てみたい。そう思った俺は我ながら意地の悪いことを言うことにした。



 「猫一匹くらい使用人になんとかして貰えばいいだろう」
 「それは駄目です。この子をこっそり飼っていたのはわたしなのですから、飼い主であるわたしが最後まで面倒を見るのが筋というものでしょう」
  凛とした声がやけに大人びていて、俺は少しだけドキリとした。それをかき消そうと大人げもなく反論したのだ。
 「飼えないくせに?」
 「自分で飼えないからこそ、きちんと面倒を見てくれそうな人を見つけたいのです」
 「矛盾だな」
 「……そうかもしれません。けれど、自分が出来ることくらいはしてあげたいと思うのはいけないことですか?」
  きっぱりとした正論は何もかも投げ出そうとした俺の心に突き刺さった。自分よりも十は年下であろう彼女の方が、俺なんかよりもよっぽど責任感があるじゃないか。

 (俺は馬鹿野郎だ)
  でかい屋敷に住んで、綺麗な着物を纏っているだけの彼女を、勝手な思い込みで世間知らずのお姫さんだと見下していたのだから。
  贖罪の気持ちと彼女と繋がってみたいというよこしまな気持ちを隠して、猫の飼い主を申し出ると心配そうに大切に出来るかと問うてくる。
  ああ、大切にするさ。小さい少女が必死で飼い主を探そうとしていることをどうして俺が踏みにじる行為が出来ようか。それにきっとこれは大きな縁となって俺と彼女を紡ぐのだろう。その縁がどういうものかはまだ分からない。けれど顔もろくに知らない彼女をどうしようもなく魅力的に感じたのだ。


 「約束する。なんならいつでも俺の家に見に来ても構わない」
  年若い彼女が屋敷にくることはないのだろうと思いながらも、いつかそんな日がくれば良いと願うのは俺が彼女に惹かれているからだろうか。照れくさい気持ちを隠して、彼女の方を見上げれば安堵の息が聞こえた。
 (……良かった)
  俺自身も彼女に認められた緊張の緩みを隠し通そうとわざとらしく眉間の皺を深くさせる。そしてそのまま猫を受け取ろうとした途端、突然強い風が彼女の掴まっている枝を大きく揺らしたのだ。
 「危ないっ!」
  不安定な体勢だった彼女はそのまま地面に吸い込まれそうになる。固い砂利道が待っているそこへ頭から落ちてこようとしているのだ。そんなことさせるもんか。反射的に彼女と抱えられている猫を受け止めて、地面に尻餅をつく。猫はなんでもないように毛繕いをしているが、受け止めた少女は衝撃からか気を失ってしまったようだ。怪我はないだろうかと背中に廻した手を動かそうとした時、ふと屋敷の中の方から家人が彼女を捜索する声が至る所から聞こえ、俺の身体はギクリと強張る。

  別に見られてやましいことをしていたわけではない。ただこちらの方へ落ちてきた彼女を受け止めただけのことだ。だが、問題はそんなことではない。気を失ったお姫さんを抱きとめているこの状況は、どう考えてもただの人さらいにしか見えないだろう。ましてや俺は人相も良い方ではない。だから一刻も早くこの場から離れた方が身の為だ。大きな枝の上に彼女を乗せて、猫を腕に抱いて立ち去る自分の力量のなさが、ひどく歯がゆくて仕方ない。


  ――もしも身分があれば、堂々と彼女の家の使用人を呼べただろう。
  そう考えて、かぶりを振る。そんなのは言い訳だ。今の俺はただの負け犬だ。だが、このまま終わらせてやるものか。拳を強く握りしめて、戻ってきた道をゆっくりと振り返る。
 (いつか、手に入れてやる)
  地位も金も全て手に入れて、また彼女に会いにいってやろう。その想いを胸に秘め、俺はまた前に歩き始める。会社に戻る足取りは彼女に出会う前とは違って、力強く一歩一歩大きく進んで行く。まるで、自分自身の決意を表すように。






   
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