お姫さんと呼ばないで

秋月朔夕

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「では手始めに服を脱いで貰おうか」
 冷やかに命令する彼は戸惑うわたしを見下ろして酷薄に嗤った。
「どうした? 出来ないのか。ああ……そうか。お姫さんだから自分で脱いだことがないのか。それなら安心しろ。俺が一枚残らず剥ぎ取ってやるさ」
 わたしがまごついているのはそんな理由ではないことを知っていて、わざとらしく逃げ道を一つなくす彼はどこまでも本気でわたしを追いつめる気なのだ。男の人に肌をさらしたことなんてない。そんな破廉恥なこと想像しただけで顔から火が出てしまいそうなほど恥ずかしい。けれど、自分から言い出しておいて出来ないとは言えない。
「……自分で脱げます」
 あきれるほど小さく掠れた声はなんとか彼の耳に届いたようで面白げに唇が弧を描いている。
「それなら早くしろ」
 苛立たしげに促す彼に、わたしは覚悟を決めるために一呼吸をして、真珠の首飾りを外そうとした――けれど。
(どうしましょう。金具が見えなくて上手く外せないわ)
 考えてみたらわたしは首飾りはもちろん洋装の場合、自分で着たこともなければ脱いだこともなかったのだ。金具をなんとかすればいいと甘く考えていたけれど、慣れていないわたしにとって一番の難関だったのだ。早くしなければと焦るほどにみじめにもたついてしまう。
「……やはりお姫さんには難しいか」
 いつの間にか彼はわたしの後ろに立っていた。そんなことにも気付かないほどに熱中していたのがと思うと自分の不器用さに呆れてしまいそうだ。
「ほら、ここだ。せっかく待ってやったが、時間切れだ」
 溜め息が零れると共に彼の手によって首飾りもワンピースもあっという間に剥ぎ取られる。文字通り何一つ着ていないわたしは恥ずかしさのあまりしゃがみこむが、彼がそんなこと許すはずがない。
「何をしている? やましいことがないと言うなら隠してないで俺に見せてみろ」
 自分から肌を晒し出せというのか。そんな恥知らずのようなこと出来るわけがない。ますます身体を折り曲げるわたしに彼の機嫌が下降していく。
「らちが明かない」
 短く吐き捨てると、彼はわたしの腕を強引に掴み上げ寝台に押し倒したのだ。
「嫌っ!」
 反射的に身体を隠そうにも彼が片手でわたしの両腕を纏めている。そして邪魔はなくなったとばかりに、彼はわざとらしくじっくりと視線を傾けるのだ。あまりのいたたまれなさに眼を瞑ることで現実から逃避させようとする。しかしそれは彼がわたしに触れるまでのことだ。
「ひっ」
 彼の冷たい手のひらの感触が腹部に伝わるとわたしはみっともなく身じろでしまう。ぼんやりと眼を開けると彼は上唇を舐めあげ、そのまま深く口の奥を吸い上げたのだ。
 息を奪う程の口付けは今までわたしが感じていた恥ずかしさを蕩けさせるように情熱的で、女として彼に求められているのだと意識させられる。
(ああっ、そんなに真っ直ぐにわたしを見ないで)
 鋭い眼光はわたしだけを見つめる。だから錯覚してしまいそうになるのだ――女としてわたしが必要なのだと。そして、それはわたしの願望でもある。ほとんどなにも知らない彼をわたしは好いていたのだ。
(さっきまで抵抗していたくせに)
 自分の矛盾に思わず自嘲が洩れる。その途端彼は勢いよくわたしを引き離したのだ。
「……俺に触れられるのはそんなに嫌か?」
 そんなことはない。頭の中では即座に否定する。しかし、貪られていたためか舌が回らず、すぐには声には出せなかった。そのせいで彼はわたしが無言の肯定をしたのだと判断したようで、掴まれている腕が折られてしまうのではないかと思うほどの力が込められる。痛みに呻くわたしを無視して顎を掬い取る。
「忘れるなよ。お前は俺に買われたんだ」
 揺らぐことのない視線はギラギラと熱く、それゆえに彼の怒りが深いことを思い知る。だが続く彼の言葉は到底許せることではなかった。
「お前は何も考えてなくて良いから足でも開いてろ」
 ああ、そうか。彼はわたしを春を売る女性だと思っていたのか。これほどの侮辱は今まで生きていた中で初めてだ。しかし、腕が拘束されている今どうやって反撃が出来ようか。
(……悔しい)
 怒りと悲しみの感情の波がわたしを急き立てるというのに抵抗すらまともにできないなんて、本当に惨めな存在に感じる。
(どうしてわたしはこんな方に惹かれてしまったのかしら)
 見抜こうとも思わなかった自分の愚かしさに腹が立つ。
「貴方はわたしをそのような存在だと思っているのですね」
「それ以外になんだという」
 ばっさりと返された言葉に、わたしは彼に夢見ていた分、深く失望し生理的嫌悪感を抱く。
「触らないで下さい」
 意識的に強く睨み付けると男の眉間の皺がさらに深くなった。
「何故だ」
「これ以上貴方に触れて欲しくないからです」
「……それはあの男に操を立てるということか?」
 ぎりり、と相手の奥歯を噛み締める音が聞こえる。
「いいえ、そうではありません。貴方に触れられたくはありません」
 生まれて初めてする相手への拒絶は、彼の怒りに火をつけるには十分だった。
「ふざけるなよ」
 短く吐き捨てられるとともに、わたしの顔すれすれに彼の拳が降ってくる。ドン、と鈍い衝撃は彼の激情を現していた。けれど、なぜだかこの時のわたしには恐いとは思わなかった。だから彼を煽ってしまったのだ。
「聞こえませんか? 貴方という人間に触れられたくない、と言ったのです」





 この時、わたし達は大きな過ちを犯した――今でも思う。わたしはあの時、きちんと相手のことを考えて話すべきだったのだ。そうすれば彼が無理矢理わたしを抱くこともなかったのに。そしてわたしもこの先、意地を張らないで済んだのに。


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