お姫さんと呼ばないで

秋月朔夕

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十三

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 お分かりになったら取りに来てくださいな――そう言って彼女が去った。けれどあれからいくら考えても分からない。
 (縁……それは一体どういうことなの?)
  もしかしたらわたしは彼と会ったことがあるのか。けれどわたしはほとんど家から出たことがないし、男の人と話すのは、使用人と婚約者であった和真様くらいしかいない。そんなわたしが異性と話す機会があるとすれば、覚えているはずだろう。
 (多分、佐田は何か知っているわよね……)
  だってわたしと旦那様と何か関係があると橘侯爵が告げた時、彼の息を呑む音が聞こえた。それはほんの一瞬だったけれど、彼が動揺することは稀だ。ゆえに彼は分かっているはずなのだ。正解を聞かないのは、わたしの意地の問題。だって彼女はわたしを試している。応えないのは癪なのだ。



 「あー、でも……分からない」
  寝台で身悶えて、枕に苛々をぶつける。この三日考え過ぎて、頭が破裂してしまいそうだ。
 (少し息抜きがてら散歩でもしようかしら)
  窓から空を見上げれば、大きな満月が眼に飛び込んできた。これは外に行けという神様の暗示ではないだろうか。
 「ちょっとくらい良いわよね?」
  誰に言うわけでもなく呟いて、上着も羽織らずに庭に出ることを決めれば、少しだけ気分が軽くなる。どうやらわたしは自分が思っていたよりも疲れていたみたいだ。てくてくとゆっくりと庭園に出れば、色とりどりの綺麗な花が咲き誇っている。見ているだけでも気分が癒されてくる。
 (本当に素敵なお庭よね)
  海外から取り寄せているのかわたしには分からない花が沢山あるけれど、それでも美しいものに国境はないのかもしれない。そう思うと自然に笑みがこぼれる。思えばここに来てから、こんな風に庭を散策することもなかった。
 (今度から部屋と書庫にばかり居ないで、もう少し色んな所を見てみようかな)
  こっそり彼の部屋に入っても良いのかもしれない。悪戯めいたことを考えているとやがて行き止まりだと告げるような大きな木が眼に入る。ここに登ったらあの月がもっと身近に感じられそうだ。
 (最後に木登りをしたのっていつだったかしら)
  これでも小さい頃はわんぱく過ぎて周囲を心配させていたのだ。わたしがわんぱくなことをするたびに父に怒られ、母に嘆かれるので次第に大人しくなっただけで。
 「…………あ!」
  思い出した。わたしは確かに彼に会ったことがある。あれは最後に木に登った時のことだ。





  思い出すのは二年前の春の頃。その日、両親に内緒で飼っていた子猫の牡丹がとうとう知られてしまい、ひどく怒られた。特にわたしの父は動物が嫌いなので飼うとう選択肢は最初からない。みすみす捨てられるくらいなら、誰かに飼ってほしいと思って、塀に隣接している木を登って屋敷から抜け出そうとして、上部まで登った所で突然声が掛けられたのだ。

 「なぁ、アンタ。何してるんだ?」
 (ああ、まさか見つかるなんて……)
  庭の奥にあるこの場所は使用人もなかなか現れることもない穴場であったのに、今日に限って人が来るなんてついていない。けれど、敷地の方面から声が掛かっていないので、まだ幸いだった。
 「あの見なかったことにしてくれませんか」
  通行人と思われる男性にわたしの顔がばれないように下を向きながら懇願すると、洋式の恰好をした人は呆気にとられたように理由を訪ねてくる。
 「えっと、これには深い事情があるのです」
  まさか子猫のために脱走しようとしていたなんて本当のことなんて言えない。もしもこのことが両親に知られてしまったら、考えるだけでも恐ろしい。だけど間の悪いことに牡丹が鳴いてしまう。
 「……深い事情?」
  彼が訝しげに聞き返すと着物に入っていた牡丹が息苦しさからか、ひょっこり顔を出す。慌てて押し込もうとしても、牡丹は迷惑そうに鳴き続ける。これではもう誤魔化すことができないだろう。仕方なく事実を打ち明けると彼は呆れたように大きなため息をついた。
 「これが『深い事情』なのか」
 「貴方にとってはそうではないのかもしれませんが、わたしにとっては屋敷を抜け出すほどの事情なのです」
 「猫一匹くらい使用人になんとかして貰えばいいだろう」
 「それは駄目です。この子をこっそり飼っていたのはわたしなのですから、飼い主であるわたしが最後まで面倒を見るのが筋というものでしょう」
 「飼えないくせに?」
 「自分で飼えないからこそ、きちんと面倒を見てくれそうな人を見つけたいのです」
 「矛盾だな」
 「……そうかもしれません。けれど、自分が出来ることくらいはしてあげたいと思うのはいけないことですか?」
  わたしの問いかけに男は一拍ほど押し黙る。そして彼が続けた言葉は意外なことであった。
 「俺では駄目か?」
 「何がです?」
 「その猫の飼い主とやらだ」
  思いがけない展開にわたしは眼を丸くした。少し話したくらいだけど、どうしても眼の前の男性が動物好きだとは思えなかったからだ。
 「理由を聞いても……」
 「……その猫がやけに俺に熱い視線を送ってきているからな。このまま帰って、その猫が誰にも飼って貰えなかったら後味が悪い」
  確かに牡丹はにゃあにゃあ鳴いてはいるけれど、視線は彼から外すことなく真っ直ぐに見つめている。彼の服装からしても身なりも良いし、牡丹が餌で困ることもないのだろう。そしてわたしがこのまま町に行って、飼い主を見つけられる保証もない。それならば彼に飼って貰った方が幸せなのかもしれない。
 「…………大切にしてもらえますか?」
 「約束する。なんならいつでも俺の家に見に来ても構わない」
  彼のはっきりとした物言いにわたしは安堵して牡丹を渡す。それなりの高さもある木に登っているから、牡丹を抱いている腕が震えそうになるが、背丈のある彼も可能な限り腕を伸ばしてくれたので、すぐに彼の腕に移り渡った。
 (良かった)
  無事に牡丹の飼い主が見つかった安堵感がわたしの油断を煽ったのだろう。途端強い風が吹き、木に登っていたわたしの体制を大きく崩れ、わたしはそのまま屋敷の方に落ちてしまったのだ。


  ――その衝撃からかわたしが目覚めたのは翌日のことで、はっきりと見てなかったせいで彼の顔を思い出すことはもうなかった。





 
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