お姫さんと呼ばないで

秋月朔夕

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十四

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 思い出してからのわたしの行動は自分でも信じられないほど早いものだった。わたしは次の日の朝に待ちきれないほどの気持ちで橘侯爵に連絡を取り、そして一週間後の今日、やっと機会を得ることになったが不思議に思うことが一つ。



 (どうしてわざわざ離れの調度品もなにもない部屋に通されたのかしら)
  二十畳ほどのだだっ広い分だけの和室の奥には襖があり、どうやらそこにもう一つ部屋が繋がっているようだが、さすがに人様の屋敷を詮索するようなはしたない真似は出来ない。座布団もないので大人しく立って待つことにする。
 「薫子さん、お待たせしてごめんなさい」
  思っていたよりもすぐにやってきた彼女は紫に蝶をあしらったあでやかな着物で、今日も美しかった。対するわたしも加賀友禅の桜をあしらった一張羅を着てきたので、あの日よりも臨戦態勢は取れていると信じたい。
 「いいえ。お忙しい中わたしのためにお時間を頂き、ありがとうございます」
  頭を下げると彼女の笑みが聞こえた。そろりと視線を上げると、新しい玩具を貰った子供のように彼女の眼が輝せていた。
 「……それでもう正解を導いてしまったの?」
 「ええ、わたし思い出しましたの。確かに彼に会っていることを――けれどその前に、お尋ねしたいことがあるのです」
  わたしの返答が意外だというように彼女の眼が丸くなる。だがそれも一瞬のことで、彼女は含みを持った笑みを見せてくる。
 「わたくしが答えられるものでしたら何でも、といったら面白くありませんね。それでは貴方が聞きたいことを一つお選びになるのなら良いですわよ。橘の名に誓って嘘をつかないことをお約束しましょう」
  面白いということが問題なのか。そう反論したい気持ちとなんでも答えてくれるという約束を取り付けられた安堵の気持ちが半々。聞きたいことは本当は何個もある。貴方と旦那様はどんな関係なのか。どうして旦那様が彼女に猫を預けていたのか。なぜわたしと彼が過去に会っていたことを知っているのか。
 (どれを選びましょう)
  わたしの選択を彼女は期待して待っている。こんなにも感情豊かな人だったことは予想外なことだった。
わたしは思わず苦笑を洩らして、そして答えを選ぶ。


 「橘侯爵と旦那様は相思相愛の関係なのですか?」
  彼女の眼を見つめて静かな声で尋ねる。もしも相思相愛なのだと告げられたら、このまま去る気だ。わたしが邪魔者だというのなら、はっきりと彼女の口から聞きたい。だって彼女は家名を出してまで嘘を付かないと言ったのだから。

 「……貴女も他の人と同じようなことを言ってしまうのね」
 「正直に話しますと、わたしあの方とほとんど一緒な時を過ごしておりませんの。ですからわたしは第三者に近い存在なのかもしれません」
 「本当に素直な方ね。もしもわたくしが悪い人間であれば、このまま仲を引き裂いてしまうのかもしれませんのに」
 「いいえ。橘侯爵はそんなことしませんわ」
 「どうして言い切れるのです」
 「だって貴女は『橘』の名前に誇りを持っていらっしゃる感じがしましたもの。そのような方がわざわざ卑しい真似をしてまでわたしと旦那様の仲を引き裂くはずがありません」
  言い切って、彼女は参ったというように瞠目した。その様子からして外れではないのだと知り、わたしは内心胸を撫で下ろす。本当は膝がみっともなく震えだしそうなほどに緊張していたけれど、彼女はそれに気付くことなく口角を上げる。
 「貴女って大人しそうに見えて、度胸があるのね。いいわ。本当のことを教えましょう。けれどこれは誰にも口外しないという条件よ?」
  喉の奥を転がして軽快に笑う彼女の瞳は氷付いている。これは本当に彼女がひた隠しにしている事実があるのだと直感し、ごくりと唾を呑み込む。だが、もう後には引けない。引いてやる気もない。
 「ではわたしも『青柳』の名に誓って、口外しないことをお約束致します」
 「誠一郎さんの苗字に誓うのね」
 「ええ。だってわたしはあの方の妻なのですから」
  そこまで言い切ると彼女は堪えきれないとばかりにふきだした。何が面白いのか耳まで赤い。
 「あーあ。どうしましょう。貴女わたくしの好みだわ」
 「……は?」
  なぜだか分からないが橘侯爵が息が感じる程の距離まで詰め寄って、ねっとりとした視線で見つめてくる。そして溜息を一つ。
 「けれど、残念――どうして記憶が蘇ってしまったのかしら」
 「どういうことです?」
 「あの人、貴女の記憶が蘇らなかったらもう貴女を諦めようと考えていたのよ」
  それは初耳だ。思わず息を呑みこんで眼を丸くするが、彼女は構わずに続ける。

 「わたくしに訳も話さずに猫を預かってくれ、と頼み込んできたのが今から二月前のことよ」
  彼がわたしの前から消えてしまったのもちょうどそれくらいのことだ。
 「ひどく項垂れていて、驚いたわ。だって彼が自分の弱っている姿を見せてきたのは初めてのことだもの。だから、理由を聞いたの。どうしてそこまで仲の良くないわたくしに預けるのかを――」
 「仲が良くない?」
 「そう。わたくしとあの人は皆が噂するような関係じゃないの。ただわたくしが同性愛者だということを内緒にしたいがために、誠一郎さんを隠れ蓑にしていただけのこと。その代わり彼の会社に少し融通を利かせるだけの利害協定を結んでいたの」
  ここに来てから何度目かの驚愕の事実をこともなげに言う彼女は本当に涼しい顔をしているのだから呆気にとられるしかない。
 「彼はなんと言ったのですか?」
 「さぁ、それは直接誠一郎さんにお聞きなさい」
  そして、彼女は閉ざされていた襖を開けた。

  そこに一人分の人影が見える。逆光で見えなかったのは一瞬。
  今まで会いたくても会えなかったその人が立っていた。茫然と乾いた口で彼の名前を呼べば、動揺したように肩がビクリと跳ね上がった気がした。



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